愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

神エホバは謙遜に責任をゆだね、耳を傾けられる♪

2018-01-27 23:14:34 | 神の言葉・聖書

 あなたも成長に伴って、父親から責任をゆだねられ、かつ、あなたの意見に耳を傾けてくださる親に、喜びを抱き、その期待に応えるように物事を成し遂げて来られたのではないでしょうか。また、会社でも上司がいつも謙遜に耳を傾け責任をゆだねてくださる職場なら、働きがいがあり、毎日仕事が充実し、物事が順調に進むことをご経験されていらっしゃるかも知れません。人間は偉大な創造者エホバ神の特質を反映することができるように、「神の像(かたち)」に創造されていますので(創世記1:26,27)、神エホバのご意志に沿った生き方は、あなたの人生を成功に導きます(詩編1:2,3)。今日は、神エホバは謙遜に責任をゆだね、耳を傾けられる、ことを聖書からお伝え致します。

 神エホバが快く責任をゆだね、耳を傾けられることは、その謙遜さの心温まる証拠となっています。そのようになるということ自体が驚くべきことです。神エホバは全能の神ですから、助けも助言も全く必要とされないからです(イザヤ40:13.ローマ11:34,35.啓示16:14)。それでも、聖書は、神エホバがそのようにしてご自分を低くされることを幾度も記しています。

 一例として、アブラハムの生涯の一つの際立った出来事を考えてみましょう。アブラハムは3人の訪問者を迎え、その一人に「エホバ」と呼び掛けています。この訪問者たちは、実際にはエホバ神からのみ使いたちでした。しかし、その一人は神エホバの名において訪れ、そのみ名において行動しています。そのみ使いが話したり行動したりする時、それはあたかも神エホバが話し、行動しておられるかのようでした。神エホバはそのような方法を用いてアブラハムに、ご自分が「ソドムとゴモラについての苦情の大きな叫び」を聞いたことをお告げになりました。そして、こう言われます「わたし(エホバ)は、それについてわたしに達した叫びのとおりに彼らが行動しているのかどうかを見るために下って行こうと決めている。もしそうでないのなら、それも知ることができよう」(創世記18:3,20,21)。もちろん、神エホバが述べておられるのは、全能者自らが「下って行く」ということではありませんでした。むしろ神エホバは、ご自分の代表者として、再びみ使いたちをお遣わしになりました(創世記19:1)。なぜでしょうか。万事を見通す全能の神エホバは、その地域の実情を見通すことができなかったのでしょうか。そうでは、ありません。しかし、神エホバはそのようにする代わりに、謙遜にもそれらのみ使いたちに、状況を調査し、ソドムにいるロトとその家族を訪ねるという割り当てをゆだねられたのです。

 さらに神エホバは、耳を傾けることもなさっています。邪悪なアハズ王を没落させる様々な方法を提案するよう、み使いにお求めになられました。神エホバは、そのような助言を必要とはされていませんが、それでも、ひとりのみ使いの提案を受け入れ、その提案を実行する任務をそのみ使いにお与えになりました(列王第一22:19~22)。それは神エホバの謙遜さの表われです。

 神エホバは、気がかりなこと話したいと願う不完全な人間に対しても快く耳を傾け、模範を示されました。例えば、ソドムとゴモラを滅ぼす意向であることを神エホバから初めて告げられた時、忠実なアブラハムは困惑しました。アブラハムは、「そのようなことはあなた(エホバ)については考えられません」と述べた上で、「全地を裁く方(エホバ)は正しいことを行なわれるのではありませんかと言います。もし50人の義人を見いだせるなら、あなたはそれらの都市を滅ぼさずにおかれますか、と尋ねます。神エホバはそうであれば滅ぼさない、と保証されます。しかし、アブラハムは人数を45人、40人と減らしながら質問を繰り返します。神エホバは幾度も保証されにも関わらず、アブラハムは10人になるまで質問を続けます。アブラハムは、神エホバがどれほど憐れみ深いかをまだ十分に理解していなかったのかも知れません。いずれにせよ、神エホバは、ご自分の友であり、僕でもあるアブラハムがそのようにして気がかりなことを繰り返し質問するのを、辛抱強く温和で、謙遜にお許しになられました(創世記18:23~33)。

 私たちの人間社会で、学識があり才知あふれる人たちや、政府の要人たちが、自分よりはるかに知性の劣る人や身分の低い人たちの話しにこれほど辛抱強く、耳を傾ける人がどれほどいるでしょうか。神エホバは愛の神であり、辛抱強く耳を傾け、責任をゆだねてくださるのが、わたしたちの神エホバの謙遜さなのです(ヨハネ第一4:8.コリント第一13:4)。その同じやり取りの中で、アブラハムは、神エホバが、怒ることに遅い」神であることも認識するようになりました(出エジプト記34:6)。アブラハムは、自分には至高者エホバの行われる事柄をとやかく言う権利などない、ことに気付き、どうかエホバがお怒りになりませんように」と、二度懇願しています(創世記18:30、32)。もちろん、神エホバは、お怒りになりませんでした。確かに、「知恵に伴う温和さ」を有し、謙遜な方なのです(ヤコブ3:13)。あなたも、神エホバの謙遜に責任をゆだね、耳を傾ける模範に見倣う方々のお一人であれば幸いです。次回は、神エホバは道理にかなっておられるという内容についてお伝え致します。引き続きお読み下されば幸いです。 

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     黄水仙 下向きに咲く 美しさ 今日の一句

              鉢植えの「黄水仙」

 

 

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ピンクの山茶花とウキツリボク

2018-01-27 01:26:05 | 四季折々の花々

 山茶花の花は次々と花を咲かせ、

 垣根や庭木が明るさを放っています。

 とりわけ、ピンクの山茶花は優しい温かさを

 見せてくれています。

 今日はピンクの山茶花とウキツリボクを紹介致します。

                     道辺に咲いている「山茶花」

                   ご近所の庭の「ウキツリボク」

 

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神エホバはどのように温和さ、謙遜さを示しておられるか♪

2018-01-27 00:00:11 | 神の言葉・聖書

 先にも書きましたが、心が賢く、温和で謙遜な人が多くなれば、日々が快く、平安になることは明かです(箴言3:17,18)。偉大な創造者エホバ神は、その模範を示して来られました。今日は、聖書からそのことを紹介致します。皆様方も見倣ってくだされば嬉しく存じます。

 謙遜とは、へりくだった思いであり、尊大さや誇りのないことです。謙遜は内面的な心の特質であり、温和、辛抱強さ、道理にかなっていることなどの特性として発揮され、愛を基盤とした特質です(ガラテア5:22,23)。とはいえ、こうした敬虔な特質を、弱さや臆病さと取り違えてはなりません。それらは、神エホバの義なる怒りや、破壊する力の行使と相反するものではありません。むしろ、神エホバは温和さと謙遜さにより、ご自分の畏怖の念を抱く強さを、つまりご自身を完全に制御する力を実証しておられるのです(イザヤ42:14)。では、温和さ、謙遜さは知恵とどんな関係があるのでしょうか。聖書に関する参考文献は、「謙遜は、突き詰めると・・・無私という言葉で定義され、すべての知恵の本質的な根幹である」。ですから謙遜なくして本物の知恵が存在することはあり得ないのです。では、神エホバの示される温和さ、謙遜さはどのように私たちの益となっているのでしょうか。

 ダビデ王は神エホバに向かってこう歌いました。「あなた(エホバ)はその救いの盾をわたしに下さり、あなたの右手がわたしを支え、あなた(エホバ)の謙遜さがわたし(ダビデ)を大いなる者とするのです」(詩編18:35)。神エホバは、不完全な人間を助け、日毎に保護し、支えるために、身を低くされたのです。ダビデは、自分が救いを得るとしても、また王として最終的にある程度大いなることを成し遂げるとしても、それはただ神エホバはこうして快く謙遜になってくださることにかかっている、ということを悟っていました。実のところ、神エホバが謙遜でなければ、また温和で愛のある父として、私たちに接するために快く身を低くしてくださらないなら、不完全なわたしたち人間のだれが救いの希望を持てるでしょうか。

 謙遜と慎みは違う、という点でも注目に値します。慎みは、忠実な人々が培うべき麗しい特質です、謙遜と同様、慎みも知恵と結び付けられています。例えば、箴言11章2節には、「知恵は、慎みある者たちと共にあると書かれています。とはいえ、聖書は、神エホバを慎みある方とは述べていません。なぜでしょうか。聖書中で用いられている場合、慎みという語は、自分の限界をふさわしくわきまえていることを示唆しているからです。全能の神エホバには、ご自身の義(公正)の基準のゆえに自らに課するもの以外に限界はないからです(マルコ10:27.テトス1:2)。さらに、至高者である神エホバは、何にも従属していません(詩編83:18)。ですから、慎み深さと言う概念は神エホバには、まったく当てはまらないのです。

 しかし、神エホバは最高度に謙遜で温和な方です。真の知恵には、温和さが不可欠であることを、神エホバご自身が僕たちに教えておられます。み言葉は、「知恵に伴う温和さ」について述べています(ヤコブ3:13)。この点での神エホバの手本を考察し、次回は、神エホバは謙遜に責任をゆだね、耳を傾けられることをお伝え致します。

 イエス・キリストは地上に遣わされ、贖いの死を遂げられまで、神エホバの子でありながら、謙遜に身を低くし、人々に仕えその手本を残されました(フィリピ2:5~8.ペテロ第一2:21)。あなたも、温和で謙遜な方々のお一人であれば幸いです。

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      女子校生 マグロさばきの 鮮やかや 今日の一句

                    私の住む地域からの「日没の風景」

 

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