皆様方も、ご自身が考えてご自分の脳を創造したのでもないにも関わらず、優れた知恵を用いる脳が備えられていることについて思いを巡らされたかも知れません。私たちは備えられた脳によって知恵を働かせ、危険を予知し、どうすれば安心、安全で福祉に貢献できる設計や製造をすることができるかを考え、具体的に実行することが出来ます。それは、人間は進化したのではなく、神エホバの偉大な特質の知恵を反映できるように「神の像(かたち)」に創造されているからです(創世記1:26,27)。
地上に遣わされたイエスは神エホバからの知恵を明らかにされました。今日はイエスの教えた事柄によって、神エホバからの知恵がどのように明らかにされたかを聖書からお伝えいます。
まず、第一にイエスが弟子たちや人々に教えた事柄を考えてみましょう。イエスが教えた音信の主題は、「神の王国の良いたより」でした(ルカ4:43)。それは、神の王国が神エホバの主権を立証し、人類に永遠にわたる祝福をもたらす点で果たす役割のゆえに、最も重要な福音でした。また、イエスは教えの中で、日常生活に関する賢明な助言も与えました。ご自分が、予告されていた「くすしい助言者」であることを示されたのです(イザヤ9:6).確かに、イエスの数々の助言は「くすしい」という言葉にぴったりです。イエスは、神エホバの言葉とご意志に関する奥深い知識、人間の性質についての鋭い理解、人間に対する深い愛がありました。それゆえに、その助言は実際的な知恵が反映し、聴く人々に最善の益をもたらしました(マタイ5章~7章)。加えて、イエスは「永遠の命のことば」を語りました。そうです、イエスの助言に誰でも従うなら、永遠の救いを得ることが出来るのです(ヨハネ6:68)。
有名な山上の垂訓は、イエスの教えに含まれる比類のない知恵の際立った例です。マタイ5章3節から7章27節までに記録されているこの山上の垂訓を語るには、20分くらいしかかからないでしょう。しかし、ここに含まれている助言は時代を超越しており、初めて語られた当時と同様、今日でも適切です。イエスはその垂訓の中で広範な論題を取り上げています。例えば、幸福な人になる方法や他の人との関係を改善する方法(マタイ5:3~11;5:23~26,38~42;7:1~5,12)、道徳的な清さを保つ方法(マタイ5:27~32)、有意義な生活を送る方法(マタイ6:19~24;7:24~27)、等々です。とはいえイエスは、知恵の道とは何かを聴き手に告げる以上のことを行ないました。説明し、推論し、証拠を提出することによって明白に論証したのです。
一例として、物質的な事柄についての人にありがちな思い煩いに対処する方法に関してイエスが与えたマタイ6章に記されている賢明な助言を考えてみましょう。イエスはこのように忠告されています。「何を食べまた何を飲むのだろうかと自分の魂(命)のことで、また何を着るのだろうかと自分の体のことで思い煩うのをやめなさい」(マタイ6:25)。私たちにとって、食物と衣服は基本的な必要物であり、それらを入手することに深い関心を払うのは至極当然のことです。それなのに、イエスは、そうした物のことで「思い煩うのをやめなさい」、と述べておられます。なぜでしょうか。
説得力のあるイエスの推論の方法に注目しましょう。神エホバは私たちに命とくすしい体を与えてくださっているのですから、その命を支える食物と、その体を覆う衣服とを備えることもできるのではないでしょうか(詩編139:14~16.マタイ6:25)。神エホバは、鳥に食物つを備え、野のユリに美しい衣を与えておられるのであれば、ご自分を崇拝する人々をなおのこと気遣われるのではないでしょうか(マタイ6:26、28~30)。過渡の思い煩いは、意味のないことで、自分の命を少しも伸ばすことが出来ません(マタイ26:27)。では、人間にありがちな思い煩いをどうすれば避けられるでしょうか。イエスは「(神の)王国と神の義をいつも第一に求めなさい」と、優先事項を助言されました。そうする人たちは、天の父エホバが、私たちの日毎の必要物すべてを「加えて」くださることを保証されました(マタイ6:33)。締めくくりに、イエスは神エホバに依り頼み一日一日を生きて行くように、という非常に実際的な知恵を忠告として与えてくださいました。今日の思い煩いに加えて、明日の思い煩いを抱くべきでないことを教えられました(マタイ6:34)。起きてもいない明日の事柄を思い煩うのが愚かなことであることを理解できるようにされました。こうしたイエスの賢明な知恵の助言を、私たちが適用するなら、「終わりの日の対処しにくい危機の時代」に生きる人々の心痛を大いに和らげることができるでしょう(テモテ第二3:1)。
イエスが与えた賢明な知恵の助言が、約2、000年経過した今も当時と同様、実際的な知恵であることは明らかです。それは、神エホバからの知恵であることの証拠ではないでしょうか。人間のカウンセラーの与える助言は、その時は最善のものでも、時が経過すれば時代遅れになり、やがて修正されたり差し替えられたリします。しかし、イエスの教えた内容は時の経過の試練に耐えて来ました。それは、意外なことではありません。このくすしい助言者イエスは、「神エホバの言われたことを」を話したからです(ヨハネ3:34)。イエスは、いつも神エホバの知恵の言葉を教えてくださったのです。私たちもイエスの残された手本に見倣う必要があります(ペテロ第一2:21)。次回は「イエスは神エホバからの知恵を明らかにされた:イエスの教え方によって」をお伝え致します。
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