神エホバは、邪悪な者を処断する時、必ず、善良なご自分の僕たちを見分け保護されます。私たちが「心を安んじる」ことの出来ることを知ることができる第三の点を紹介致します(ヨハネ第一3:19,20)。
神エホバは私たちの心をくまなく探る時、良い点を探して、良い点を悪い点から注意深くふるい分けられます。例えば、ヤラベアム王の背教した王家全体は処刑されねばならないと布告した時、神エホバは、王の息子の一人アビヤがきちんと葬られるよう取り計らわれました。なぜでしょうか。「イスラエルの神エホバに対する良い事が・・・その子に見いだされた」のです(列王第一14:1,10~13)。神エホバは、その若者の心を、いわばふるいわけ、そこに「良い事」を見いだされました。そのよい事柄がいかに微々たるものであったとしても、神エホバは、み言葉の中で言及する価値があるとお考えになりました。そして、そのよい事柄に対する報いとして、背教した家族の一員であるその子にしかるべき憐れみも示されました。
もっと顕著な例として、善良な王エホシャファトを挙げることができます。この王が愚かな行いをした時、神エホバの預言者はこう告げました。「このために、あなたに対してエホバのみ前からの憤りがあります」。まさに穏やかならぬ状況です。しかし、神エホバからのメッセージはそれで終わりませんでした。こう続いています。「それでも、あなたのもとに見いだされる幾つかの善い事があります」(歴代第二19:1~3)。ですから、神エホバは、義にかなった怒りのために王エホシャファトの「善い事」が見えなくなったりはしませんでした。私たち人間の見方とは違うのです。私たちは他の人に対して憤慨すると、その人の持つ良い点が見えなくなってしまうことがあります。また、自分が罪を犯した時は、落胆、恥ずかしさ、罪の意識を感じるあまり、自分自身の良い点が見えなくなることもあります。しかし、忘れないでください。罪を悔い改め、それを繰り返さないよう懸命に努力するなら、神エホバは惜しみなく許してくださいます(コロサイ3:13)。
神エホバはあなたをふるい分ける時、そのような罪を取り除いて捨ててくださいます。それは、選鉱鍋を使って金を探す人が無価値な砂利を取り除いて捨てるのと似ています。では、あなたの良い特質や業はどうでしょうか。それらはまさしく「金の塊」であり、神エホバそれを貴重なものとして取分けられます。愛情深い親が、我が子の絵や架台授業の作品を大切に保管しておくことを、あなたもご存知でしょう。子供はとっくに忘れてしまっているのに、親はまだ大切にしていることがあります。神エホバは、最も愛情深い私たちのお父さんです。私たちが神エホバに忠実を保つ限り、私たちの良い特質や業を決してお忘れになりません。事実神エホバは、それを忘れることを不義な事とみなされます。そして、神エホバは全く不義なところのない方です(ヘブライ6:10)。さて、神エホバは別の面でも私たちをふるいにかけられます。そのことは次回にお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく思います。
フイギュアの 四回転の 技魅了 今日の一句
道辺に咲いている「椿」