イエスは、「前創造物の初子」と呼ばれ、神エホバの「優れた働き手」として神エホバに喜んで長い期間、天で仕えて来られました(コロサイ1:15.箴言8:30)。偉大な創造者エホバ神とみ子イエスは、他のすべてに勝る最も強い愛の絆を結ばれていました。
それにもかかわらず、み父エホバはみ子イエスを約束通り地上に遣わし、人間の赤子として処女マリアから生まれるようにされました。そうすることは、神エホバにとって、愛するみ子イエスと幾十年かの間、天で親しく交われないことを意味しました。イエスが人間の姿をして成長し、しかも完全な人間の大人になるのを、神エホバは天から、強い関心を持ってご覧になりました。イエスは、30歳の時に水のバプテスマをヨルダン川で受けられました。その時、み父エホバ神ご自身は、天からこう言われました。「これはわたしの子、わたしの愛する者である。この者をわたし(エホバ)は是認した」(マタイ3:17)。その後、イエスが、預言されていた事柄のすべてを求められている通り、そのすべてを忠実に行われるのを見て、み父エホバは大いに喜ばれたに違いありません(ヨハネ5:36;17:4)。
しかし、西暦33年ニサン(春の)14日、み父エホバはどのようにお感じになったでしょうか。イエスがユダヤ人から裏切られ、次いで夜間に暴徒に捕縛された時、どうお感じになったでしょうか。イエスが友に見捨てられ、不法な裁判に掛けられた時はどうでしょうか。イエスがあざけられ、つばを吐きかけられ、こぶしで殴られた時は、また背中をむち打たれ、背中の皮膚がひも状に裂け、血が流れる状況をご覧になった時はどうでしょうか。手足を釘付けにされ1本の杭に掛けられ、人々から愚弄され、ののしられるままにされた時はどうでしょう。愛するみ子イエスが激痛にもだえながら、み父エホバに向かって呼ばわった時、み父エホバはどのようにお感じになったでしょうか。イエスが槍で刺され、息を引き取り、すべての創造の業の開始以来、愛するみ子イエスが贖いの死を遂げた時、み父エホバはどのようにお感じになられたでしょうか(マタイ26:14~16,46,47,56,59,67;27:38~44,46.ヨハネ19:1)。
上の状況に思いを巡らす時、私たちは言葉を失います。神エホバは感情を持つ方です。その神エホバが最愛のみ子イエスの贖いの死に関して味わった苦痛を言葉で表現することなど、私たちにはできません。表現できるのは、愛するみ子イエスの贖いの死を見ておられた神エホバの動機に関してです。み父エホバはなぜ、そのような感情を忍ばれたのでしょうか。神エホバはヨハネ3章16節で、お気持ちを明らかにされています。この聖句は非常に需要なので、縮小版福音書とも呼ばれています。そこにはこのように記されています。「神(エホバ)は世(一般人類社会)を深く愛してご自分の独り子を与え、だれでも彼(贖いの死を遂げたイエス)に信仰を働かせる者が滅ぼされないで、永遠の命を持てるようにされた」。したがって、神エホバの動機はこの最高度の愛だったのです。愛するみ子イエスを遣わして、人類がアダムから受け継いだ罪と死からの解放のために(ローマ5:12)、苦しみと死を経験させるという神エホバからの深い愛の贈り物は、史上最大の愛の行為なのです。あなたも、この神エホバと従順にご意志を成し遂げたみ子イエスの深い愛に感謝し、神エホバに近づく方々のお一人であれば幸いです。
次回は神エホバの愛を定義についてお伝え致します。引き続きお読み下されば幸いです。
日向ぼこ 楽しむ婦人 姿なし 今日の一句
切り花の「ボール菊」