皆様方の周りにも、一度聞くと忘れがたい有益な話しをして下さる方がいらっしゃれば幸いです。
イエスが神エホバの知恵を反映したもう一つの分野は、教え方です。ですから、イエス・キリストは最も優れた教え手でした。ある時、イエスを捕縛するために遣わされた兵士たちが、イエスを捕縛せずに戻って来て、「あのように話した人はいまだかっておりません」と言いました(ヨハネ7:45、46)。この兵士の報告は大げさではありませんでした。これまで生を受けた人間すべての中で、「上の領域からの者」であるイエスは、知識と知恵と経験の最大の宝庫だったのです(ヨハネ8:23)。実際、イエスは、他のいかなる人間にも不可能な教え方をしました。では、この偉大な教え手イエスが用いた方法のうち二つだけ取り上げてみましょう。
例えを効果的に用いる。「イエスは・・・例えで群衆に話された。実際、例えを用いないで話そうとはされなかった」と記録されています(マタイ13:34)。日常的に誰もが知っていいる事柄を例えに用い、深遠な真理を分かりやすく教えるというイエスの並外れた能力には、驚嘆せざるを得ません。種をまく農夫、パン焼きを支度する女性、市の立つ広場で遊ぶ子ども、網を手繰り寄せる漁師、迷い出た羊を探す愛情深い羊飼い - これらは、イエスの話しを聴いた人々が何度も目にし、十分に知っている光景でした。重要な真理が、身近でよく知っている事柄の例えで結び付けられると、その深遠な真理も、聴き手の思いと心に速やかに、そして深く刻み込まれ、忘れがたいものとなります(マタイ11:16~19;13:3~8、33,47~50;18:12~14)。
イエスは、例え話、つまり道徳的あるいは霊的な深い真理を引き出せる短い物語を頻繁にお用いになりました。そのイエスの例えを用いた物語は、抽象的な概念よりも内容を把握しやすく覚えやすいので、例え話は、聴き手が記憶する助けになりました。イエスは多くの例え話の中で、、忘れがたい生き生きとした絵画的表現でみ父エホバがどのような方かを描写しました。例えば、放とう息子の例え話の要点を理解できない人がいるでしょうか。人生をさまよっていた若者が、純粋な悔い改めを示す時、神エホバは哀れに感じ、その人を優しく迎え入れることを、放とう息子の父親の姿を通して分かりやすく教えられました。(ルカ15:11~32)。
次回は、質問を巧みに用いて教えられたイエスの教え方についてお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。
一瞬の スキージャンプの 業見入る 今日の一句
鉢植えの「プリムラ」