イエス・キリストは神エホバの約束通り地上に遣わされ、一般人類を深く愛し贖いの死を遂げられるまで、謙遜であり、み父エホバに従順に仕え、ご意志を完全に行われました(創世記3:15.ヨハネ3:16.フィリピ2:5~8)。イエスは地上に遣わされバプテスマ(水の浸礼)を受けられた後は、神の王国の良いたよりの真理を都市から都市、村から村、また、人の集まる会堂で宣明し、かつ、あらゆる疾患に苦しむ人、あらゆる病の人たちを無償で治されました(マタイ4:23.ルカ4:43;8:1)。そうしたイエスはご自身について、「りっぱな羊飼い」と、教えられました。何故、イエスはご自身を「りっぱな羊飼い」に例えて教えられたのでしょうか。ヨハネの福音書に次のように記されています。
「わたし(イエス)はりっぱな羊飼いです。りっぱな羊飼いは羊のために自分の魂(命)をなげうちます。・・・わたし(イエス)はりっぱな羊飼いであり、自分の羊を知り、わたしの羊もわたしを知っています。ちょうど父(エホバ)がわたし(イエス)を知っておられ、わたしが父(エホバ)を知っているのと同じです。そしてわたしは羊のために自分の魂をなげうちます」(ヨハネ10:11~15)。
上の聖句に記されている通り、イエスはりっぱな羊飼いであることを教えられました。りっぱな羊飼いは、自分の群れの羊を外敵のオオカミや熊から、体を張って守ります。それだけではなく、牧草地や水飲み場に導き、日々顧み、夜は羊を保護する囲いの中に導き、外敵に襲われないように番をし、羊の命を見守ります。そのようにりっぱな羊飼いは羊のために自分の命を投げ打つのと同じように、イエスもご自分の羊のために命を投げ打つので「りっぱな羊飼い」と、ご自身について説明されました。ここで「羊」はイエスに見倣う追随者・真のクリスチャンの成員を表わしています。イエスはりっぱな羊飼いとして、真のクリスチャンのために命を投げ打って、見守り保護をして下さるのです。事物の体制の終結の時まで、見守ってくださり、神の王国の王として、地上に義の宿る楽園が回復された以降は、神エホバのご意志通りに、エホバの臣民を平安と義に満ちるように導き、永遠の命に導いてくださるのです(マタイ28:19,20.ペテロ第二3:10~13.啓示21:4,5;22:1,2)。あなたも立派な羊飼いのイエスの声、教えを聴き、その羊のお一人であれば幸いです。
流木の 山を残して 秋出水 今日の一句
リビングに入り「網戸に止まっている赤トンボ」