秋になり庭のランタナにヒョウモン蝶が忙しく吸蜜に来ていました。
花から花に忙しく移動します。
写真を撮ろうとしても、花の上で体を右から左、左から右に
回しますので、正面から向き合うチャンスはほとんどありません。
蝶たちは夏から秋にかけて花のある時期を懸命に生きています。
今日はランタナにヒョウモン蝶と秋の花センナを紹介致します。
庭の「ランタナにヒョウモン蝶」
庭に咲いている「秋の花センナ」
秋になり庭のランタナにヒョウモン蝶が忙しく吸蜜に来ていました。
花から花に忙しく移動します。
写真を撮ろうとしても、花の上で体を右から左、左から右に
回しますので、正面から向き合うチャンスはほとんどありません。
蝶たちは夏から秋にかけて花のある時期を懸命に生きています。
今日はランタナにヒョウモン蝶と秋の花センナを紹介致します。
庭の「ランタナにヒョウモン蝶」
庭に咲いている「秋の花センナ」
イエス・キリストは神エホバのご意志を成し遂げるために地上に遣わされましたが、その足跡はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書に記されています。それらの福音書を読むなら、イエスの足跡をまるでパノラマを見るように想い描くことができます。ヨハネの福音書には、イエスの友人のラザロが亡くなり、四日も経ってからイエスがラザロを復活をさせる前に、イエスが涙を流された場面が記されています(ヨハネ11:17、35、39)。亡くなった人を復活させることができるイエスが涙を流されたのは何故でしょうか(ヨハネ11:25)。
「それからマリアは、イエスのおられる所に着いて彼(イエス)の姿を見ると、その足元にひれ伏して、こう言った。「主(イエス)よ、もしここにおいでおいでくださったなら、わたしの兄弟(ラザロ)は死ななかったことでしょう。それでイエスは、彼女(マリア)が泣き悲しみ、また一緒に来たユダヤ人たちも泣き悲しんでいるのをご覧になると、霊においてうめき、また苦しみを覚えられた。そして、こう言われた。「あなた方は彼(ラザロ)をどこに横たえたのですか(どこに葬ったのですか)。彼らは言った、「主よ、おいでになって、ご覧ください」。イエスは涙を流された。それゆえユダヤ人たちは言い始めた、「ご覧なさい、彼(ラザロ)に対して何と愛情を抱いておられたのでしょう」(ヨハネ11:32~36)。
上の聖句の場面は、マリアの姉妹のマルタが、イエスが来られることを聞き、イエスを迎えに行き、イエスが到着すると、マリアが泣きながら急いで迎えに出た時の状況です。(ヨハネ11:1、20、30,31)。イエスが到着すると、マリヤやユダヤ人たちがラザロが死に四日も経つのに泣き悲しんでいました。その様子をご覧になったイエスは、うめき苦しみを覚えられました。イエスはラザロを葬った場所を尋ねた後に「涙を流された」ことが記されています。イエスは何故涙を流されたのでしょうか。
イエスが、涙を流されたのは、友人ラザロが亡くなったことで涙を流されたのではありません。なぜならイエスにとっては、友人ラザロの死は、単に「眠った状態」であり、「眠りから覚ます」、つまり復活させることができるからです(ヨハネ11:11,14)。イエスはみ父エホバからすべての権威を授けられており、神の王国の良いたよりを宣明しながら、すべての疾患、すべての病を即座に治し、あらゆる力を持っていることを示して、み父エホバに栄光を帰しておられました(マタイ4:23;28:18)。イエスは、この後ラザロを即座に復活させました(ヨハネ11:38~44)。ですから、ラザロの死にイエスは涙を流したのではありません。
イエスが涙を流されたのは、友人ラザロの死のためではなく、ラザロが亡くなり四日間もマリアやマルタや一緒にいたユダヤ人たちが泣き悲しんでいる様子をご覧になり、その心痛と悲しみに感情移入をし、深い同情心の表われで、涙を流されたのです。何を学ぶことができるでしょうか。私たちも他の人の深い悲しみ、苦痛を感じる時に、心からの感情移入によって、慰め力になることができる、ということです。また、イエスが深い同情心を示されたことから、み父エホバ神がどのような方かを知ることができます。神エホバは、私たちの悲しみ、苦しみや、苦痛の状況をよくご存知であり、感情移入をしてくださり、助けの手を伸べてくださる方であることが分ります。ですから、私たちは神エホバを信頼し、依り頼むことができるのです(箴言3:5,6)。
あなたもイエスの残された模範の手本に見倣う方々のお一人であれば幸いです(ペテロ第一2:21)。
どこからか 玄関に入る キリギリス 今日の一句
道辺の「キバナコスモス」