イエス・キリストは父エホバの約束通り地上に遣わされ、贖いの死を遂げられる最後まで、謙遜に、しかも従順に、父エホバのご意志の神の王国と真理を証しし、あらゆる疾患とあらゆる病の人たちを癒されました(マタイ4:23、ルカ4:43;8:1.フィリピ2:5~8)。しかし、イエスの時代のユダヤ人たちは、イエスの教えやその業に信仰を働かすことなく鈍感な世代となっていました。そうした真理に対する鈍感な世代について、「広場に座って遊び友達に叫ぶ幼い子供たちのようだ」と、言われました。イエスのこの教えが次のようにマタイの福音書に記されています(マタイ11:16)。神の王国の王イエスに「鈍感な世代・人々」と呼ばれることのないように、真理に堅く立たれる方々は幸いです。
「わたし(イエス)はこの世代(ユダヤ人たち)をだれになぞらえましょうか。それは、幼子たちが市の立つ広場に座って、自分の遊び仲間に叫ぶのに似ています。こう言うのです。「あなたたちのためにフルートを吹いたのに、あなたたちは躍らなかった。わたしたちが泣き叫んだのに、あなたたちは身をたたいて悲しまなかった」」(マタイ11:16,17)。
上の聖句に記されている通り、イエスの時代のユダヤ人たちを「幼子たちが市の立つ広場に座って、自分の遊び仲間に叫ぶのに似ています」と教えられました。そのことを例えで、遊び仲間にフルートを吹いても一緒に遊ばず、笛に合わせて踊りもせず、他の子どもたちが泣き叫んでも、同情を心から示すことはなく、純真な子供らしく和気あいあいに遊ばない不純な子供たちになぞらえました。これは、当時のユダヤ人たちがイエスの教えの真理や奇跡の業を見聞きしても、心を鈍感にしていたことを、上記の通りに分かり易く、純真な子供心を失った幼子の「遊び仲間に叫ぶ」姿に例えられたのです。イエスは「知恵の正しさは、行動によって示されます」と教え、当時のユダヤ人たちが、イエスの真理の教えに正しく知恵を働かせることなく、行動で示していることを明らかにされました(マタイ11,16,19)。一方、イエスは神エホバからの知恵を行動によって示されていました。あなたも真理に対し、いつも目覚め、心の鋭敏な方々のお一人であれば幸いです(マタイ24:43)。
真理こそ 自由の道よ 秋の空 今日の一句
美容院の窓辺に咲いている「グロリオーサ―とサンパラソル」