お訪ねした家の庭に、夕刻でしたが、真っ赤なリコリスの花が
まだ咲いていました。花の盛りは過ぎた感じでしたが、それでも赤が鮮やかです。
花期は7月~10月です。
用途は切り花、庭植えです。
殖やし方は分球です。
花言葉は「感傷に浸る」と紹介されています。
今日は真っ赤なリコリスの花と青紫のディウランタを紹介致します。
お訪ねした家の「真っ赤なリコリスの花」
この時期も庭に次々と咲く「ディウランタ」
お訪ねした家の庭に、夕刻でしたが、真っ赤なリコリスの花が
まだ咲いていました。花の盛りは過ぎた感じでしたが、それでも赤が鮮やかです。
花期は7月~10月です。
用途は切り花、庭植えです。
殖やし方は分球です。
花言葉は「感傷に浸る」と紹介されています。
今日は真っ赤なリコリスの花と青紫のディウランタを紹介致します。
お訪ねした家の「真っ赤なリコリスの花」
この時期も庭に次々と咲く「ディウランタ」
神エホバは、ご自分の語った言葉は永久に保たれることを、イザヤを通して宣言されました(イザヤ40:6~8)。この事は私たちにとって大きな慰めとなるのではないでしょうか。
イザヤは、神エホバの民の回復の約束を信頼できる2番目の理由を挙げています。回復の約束をされている方は、愛と公正と知恵と力の神エホバです。神エホバはご自分の民を優しく導かれます。それは、あたかも優しい羊飼いが、羊を優しく世話すのに例えられています。イザヤは次のように記しています。
「シオンに良い知らせを持って来る女性よ、高い所に登れ。エルサレムに良い知らせを持って来る女性よ、力強く声を上げよ。声を上げ、恐れてはいけない。ユダの町々に、「ほら、あなたたちの神(エホバ)です」と告げよ。主権者である主エホバが力を帯びて来て、ご自分の腕によって治める。報いを与えることを願い、報酬を支払おうとしている。神(エホバ)は羊飼いのようにご自分の群れを世話する。腕で子羊を集め、懐に抱いて運ぶ。子に乳を飲ませている羊(ご自分の民)を優しく導く」(イザヤ40:9~11)。
聖書時代には、女性たちが、勝ち戦や将来の解放についての良い便りを叫んだり、歌ったりして祝う習慣がありました(サムエル第一18:6.7.詩編68:11)。イザヤは、神エホバの民のユダヤ人流刑者に、神エホバの約束の良いたよりがあることを預言的に示しています。それは、恐れることなく、それは山の頂からも呼ばわることのできる良いたよりです。神エホバはご自分の民を、愛するエルサレムに導き戻されるのです。神エホバの民は救出を確信することができます。それは、神エホバが「力を帯びて」来られるからです。それゆえ、何者も、神エホバが約束を果たされるのを妨げることはできません。
神エホバは力が強いだけではありません。イザヤは、、神エホバがどのように優しくご自分の民を故国へ導くかを明らかにしています。ほのぼのとした表現でエホバ神のことを描写しています。神エホバは、子羊を集めて「懐に抱いて運ぶ」、愛ある羊飼いに例えられています。このエホバ神に関するイザヤの描写は、イスラエルの民にとって大きな慰めに満たされたに違いありません。
現在の為政者たちも神エホバに見倣って欲しいものです。
散歩道 ドングリの実の 落ちており 今日の一句
自宅から見る朝の「宇和島城」
先に頂いた薩摩芋の花は直ぐにしなびたのですが、
茎を花瓶に挿したままにしていましたら、蕾が開き綺麗に咲きました。
薩摩芋の蔓は強いことがわかっていましたが、
直ぐに綺麗な花を咲かせたのには驚きました。
今日は続薩摩芋の花と11月12日の淡いピンクのバラを紹介致します。
卓上で咲いた「続薩摩芋の花」
お訪ねした家の「薩摩芋の花」
庭に元気に咲いている「11月12日の淡いピンクのバラ」
神エホバは、イザヤを通して、ご自分の栄光が明らかにされ、全ての人がそれを見ることを明らかにされました(イザヤ40:3~5)。それは、神エホバは必ず約束を果たされる神であることを証しするものでした。
まず、ご自分の民の回復を約束されるエホバ神の言葉は永久に存続します。このことは、私たちにとって大きな慰めとなります。イザヤは、神エホバからの霊感を受け、次の通り書き記しています。
「聞け!誰かが「叫べ!」と言っている。別の者が、「何と叫べばいいのか」と尋ねる。「人は皆、青草である。人々の揺るぎない愛は全て、野の花のようだ。青草は干からび、花は枯れる。エホバが息を吹きかけるからである。確かに人々は青草にすぎない。青草は干からび、花は枯れる。しかし、私たちの神(エホバ)の言葉は永久に存続する」」(イザヤ40:6~8)。
確かに青草は干からび、花々も枯れます。私たちは草や花が永久には保たれないことを理解しています。幾つかの点で、人間の命も草や花々のように、はかない側面があります(詩編103:15,16.ヤコブ1:10,11)。しかし、人間のはかない命とは異なり、偉大な創造者エホバ神の言葉は永久に存続することを知るのは、大きな慰めではないでしょうか。その証拠は、神エホバの言葉は「聖書」として存続し、世界中の人々が母語で読める状態に保たれています。誰も、聖書を除き去ることはできないのです。
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