神エホバは、不安を感じ、動揺する人間のことをよくご存じであり、イザヤを通して、ご自身が、ご自身が創造する畏怖の念を抱く力を有し、神エホバの理解、つまり洞察や識別や知覚は、人間の理解力を超えていることを明らかにされました(イザヤ40:27,28)。このことは、全ての人々にとって大きな慰めであり、生きる力になるのではないでしょうか。
神エホバは、イザヤを通して、ご自分の民の意気消沈した流刑者たちに引き続き励ましを与え、次のように言われました。
「「神(エホバ)は疲れた人に力を与え、弱った人にみなぎる力を与える。少年が疲れ果てて弱ることも、青年がつまずいて倒れることもある。しかし、希望を抱いてエホバを待つ人は、再び力を得る。ワシのように翼を広げて舞い上がる。走っても弱ることがなく、歩いても疲れ果てない」」(イザヤ40:29~31)。
神エホバは、疲れた者に力を与える必要について述べた際、流刑者たちが故国に戻るためにしなければならない難儀な旅を念頭に置かれたのかも知れません。神エホバは、支えを求めて頼ってくるうみ疲れた者たちを助けるのは自分にとっては当然であることを、ご自分の民に思い起こさせています。生気に溢れた「少年」や「青年」でさえ、疲れ果て弱り、つまずいたりすることがあります。しかし、私たちの神エホバは、ご自分に依り頼み、待つ人たちに力を与えることを約束しておられます。鷲は何時間も滑空を続けられる力強い鳥です。鷲が翼を広げて舞い上がるように、神エホバがどのようにご自分の僕たちに力をお与えになるかを示しておられます。神の民は苦難や試練に直面しても、希望に立つことができるのです。神エホバは試練の時に、ご自分の僕に、力を、さらに「普通を超えた力」を与えてくださるのです(コリント第二4:7)。神エホバの助けに絶対の確信を抱く方々は幸いです。
次回からはイザヤ41章を紹介致します。
見上げれば 飛行機の灯よ 星月夜 今日の一句
宇和島湾の夕陽