庭にボタン「七宝殿」の花が次々に咲いて来ました。
ボタンの花は、日本女性の美しい立ち振る舞い「立てば芍薬、座ればボタン」という言葉で
広く知られています。
花期は4月~5月です。
殖やし方は芍薬の根に接ぎ木します。
用途は切り花、鉢植え、庭木です。
花言葉は「姉妹愛、壮麗」と紹介されています。
今日はボタン「七宝殿」とナデシコの花を紹介致します。
庭に咲いている「ボタン「七宝殿」」
庭に咲いている「ナデシコの花」
庭にボタン「七宝殿」の花が次々に咲いて来ました。
ボタンの花は、日本女性の美しい立ち振る舞い「立てば芍薬、座ればボタン」という言葉で
広く知られています。
花期は4月~5月です。
殖やし方は芍薬の根に接ぎ木します。
用途は切り花、鉢植え、庭木です。
花言葉は「姉妹愛、壮麗」と紹介されています。
今日はボタン「七宝殿」とナデシコの花を紹介致します。
庭に咲いている「ボタン「七宝殿」」
庭に咲いている「ナデシコの花」
愛と公正と知恵と力と命の源の神エホバは、ご自分の預言者イザヤを用い、ご自分の民に霊的に汚れたものに一切触れてはならないこと、バビロンからエルサレムに帰還するご自分の民の前を歩み、後衛となることを告げられました(イザヤ52:11,12)。
ご自分の民の救い主であられる神エホバは、後に遣わされるメシアをどのように見分けることができるかを前もって明らかにされていました。
メシアに関する聖書のヘブライ語の預言のうち、イザヤ52章13節~53章12節までに記録されている内容ほど明確な描写はほかにありません。イザヤはメシアであるイエス・キリストが遣わされる700年以上も前に、メシアの身体な外見でもなく、もっと重要な詳細を霊感を受けて記述しました。すなわち、遣わされるメシアであるイエス・キリストの苦しみの目的とその様子、また死と埋葬、および高められること、等についての細かな記述です。そのイザヤの預言と成就について考察するなら、心が温まると共に、信仰が強められるでしょう。
イザヤは、イスラエル人がバビロンでの流刑から解放されることについて述べたばかりですが、今度は、それよりはるかに大きな物事が生じることを見越し、神エホバの言葉を次のように記録しています。
「私(エホバ)に仕える者は、洞察力をもって行動する。高い地位に就けられ、偉大な者とされ、非常に重んじられる」(イザヤ52:13)。
上の聖句の神エホバに「仕える者」とは誰のことでしょうか。キリスト教の誕生前、そしてある程度は西暦起元後の幾世紀かにわたり、一部のユダヤ人学者は、この預言をメシアに適用しました。その適用が正しかったことは、クリスチャン・ギリシャ語聖書から分かります。「使徒たちの活動」の書によれば、エチオピアの宦官が、イザヤの預言した「仕える者」が誰であるかが分からないと言った時、フィリポは「イエスについての良い知らせをエチオピアの宦官に告げ知らせ」ました(使徒8:26~40.イザヤ53:7,8)。同様に聖書に記されている他の部分も、イエス・キリストがイザヤの預言したメシアなる「仕える者」であることを示しています。この預言を調べてゆくと、神エホバが「私(エホバ)に仕える者」と呼んでいる者と遣わされたイエスとの類似点を認めることができるでしょう。
イザヤの預言は神エホバに仕える者は、洞察力を持って行動し、高い地位に就けられ、偉大な者と呼ばれ、非常に重んじられることを予告しています。こうしたメシアであるイエス・キリストの足跡を記した、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書及び「使徒たちの活動」等を調べるなら、イザヤの預言がすべて成就したことを理解できるでしょう。
WWW.JW.ORG
復興の 音楽奏で 春過ぎる 今日の一句
ご近所の庭の「芍薬の花」
裏庭にリンゴの木を2本植えているのですが、リンゴの花が咲き始めました。
リンゴの花は可憐な花です。
暖かい地方なので、リンゴの花は咲くのですが、リンゴは毎年、1~2個ほどの
収穫です。それでもリンゴの花は魅力的なので、
毎年花の咲く時期を楽しみにしています。
リンゴの木の傍にアーモンドの木を植えているのですが、花が終わり
小さな実を結びました。
今日は暖かい地表のリンゴの花とアーモンドの実を紹介致します。
裏庭に咲き始めた「りんごの花」
裏庭で「アーモンドの花が散り結んだ実」
偉大な創造者エホバ神は、ご自分の預言者イザヤを通して、ご自身がご自分の民を慰め、救うことを明らかにされました(イザヤ52:9,10)。
バビロンから解放され、エルサレムに帰還する人々は、神エホバが求める霊的な清さを満たさなければなりません。イザヤはそのことを次のように記しています。
「(霊的に汚れたものから)立ち去れ、立ち去れ、そこから出よ。汚れたものには一切触れるな!エホバの器具を運んでいる人たちよ、彼女(バビロン、つまり偽りの宗教)から出て、身を清く保て。あなたたちは慌てて去ることはなく、逃げる必要もない。エホバがあなたたちの前を行き、イスラエルの神(エホバ)が背後も守ってくださるからだ」(イザヤ45:11,12)。
故国のエルサレムに向かって旅立つイスラエル人は、バビロンの偽りの宗教に染まったものすべてをバビロンに残して出なければなりませんでした。かって、エルサレムの神殿にあった神エホバの神聖な器具を運ぶので、清くなければなりません。単なる外面上の清さではなく、何よりも心の清さが必要なのです。(列王第二24:11~13.エズラ1:7)。さらに、神エホバがご自分の民が帰還する旅の前を行ってくださるので、追跡者に追われているかのように恐れ慌てたり、必死ににげたりする必要はありません。神エホバはご自分の民の後衛ともなってくださるのです(エズラ8:21~23)。
霊的な清さを保つ点で、使徒パウロは、不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはならないとコリントのクリスチャンに訓戒した際、イザヤ52章11節の言葉を引用して、次のように述べています。「「それゆえ彼ら(不信者)の中から出て、離れよ」と、エホバは言われる。「そして、汚れたものに触れるのをやめよ」」(コリント第二6:14~17)。バビロンから故国のエルサレムに向かう当時のイスラエル人と同様、真のクリスチャンもバビロン的な偽りの宗教を一切避けなければなりません。そのため、聖書の巻末の啓示の書の中で「彼女(偽りの宗教)から出なさい」と勧められています(啓示18:4)。そのように神エホバの民の真のクリスチャンたちは、清い立場を維持することに依り、神エホバが今も今後も自分たちの前を行き、同時に後衛にもなってくださることを確信しているのです。
WWW.JW.ORG
一列は 種の採取か ねぎの花 今日の一句
初夏を知らせる「イチジクの葉」