愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

聖書のイザヤ書:神エホバは遣わすイエスに多くの人たちと同様に分け前を与える♪

2020-04-30 23:30:00 | 神の言葉・聖書

 偉大な創造者エホバ神は、ご自分の預言者イザヤを通して、地上に遣わされるイエスは、ご自分の知識に従って、多くの人々の過ち、つまり罪を負うことを予告されました(イザヤ53:11)。このイザヤの預言は成就し、イエスは杭の上で贖いの死を遂げられました。

 次に、イザヤは、メシアであるイエス・キリストの勝利を次のように書き記しています。

 「それで、私(エホバ)は彼(遣わすイエス)に多くの人たちと同様に分け前を与え、彼は力ある者たちと戦利品を分け合う。彼が自分の命を捧げて死おも受け入れ、違反者たちの1人に数えられたからである。彼は多くの人の罪を煮い、違反者たちのために仲裁した」(イザヤ53:12)。

 上の聖句の結びの部分から、神エホバに関する心温まる事柄を学べます。神エホバはご自分に対して忠節を守る者たちを高く評価されます。そのことは、イエス・キリストに「多くの人たちと同様に分け前を与え」るという約束に示されています。この言葉は、「戦利品を分け合う」習慣に由来しています。神エホバは、イエスキリストに「分け前」をお与えになります。神エホバはイエス・キリストの忠節に報いを与えてくださるのです。私たちも、神エホバが「私たちの働きと、み名に示した愛とを忘れたりは」しないということを確信しています(ヘブライ6:10)。

 上の聖句の「分け前」とは何でしょうか。その中には、「人々の賜物」、つまりイエスがいわばサタンの配下からもぎ取ってクリスチャン会衆に与える人々も含まれるようです(エフェソス4:8~12)。真のクリスチャンたちの神エホバへの献身は、神エホバを高め、神エホバの心を歓ばせます

 イエスの生涯と死に関する歴史の記録により、イエス・キリストがイザヤの預言のメシアなる神エホバに仕える者であることに、疑問の余地はありません。イエスはイザヤの預言通り「多くの人の罪を担い」、贖いの死を遂げられました。そのようにして神エホバとの人々との「仲裁」をされたのです。イエスは死に至るまで謙遜な生き方をし、神エホバに従順を示されました(フィリピ2:5~8)。全ての人々はイエスの贖いの死に感謝を表すべきなのです。

 次回からはイザヤ54章を順次紹介致します。

                   WWW.JW.ORG

      シジミ蝶 早くも羽根の 傷みおり 今日の一句

                  まだ庭に咲いている「ヘレボルス」

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若き日の思い出:仕事に熱中、居眠りして失敗した事例♪

2020-04-30 21:06:33 | 思い出

 本日は松山市まで出かけ、紹介記事を書くのが遅れました。

 私が入社し、1年が経過した頃、出社すると課長に呼ばれ、電源開発の磯子火力発電所(当時としては大型の25万KW出力)のある装置が不具合を起こしているので、原因を調査して来るように指示されました。直ぐに東京都江東区豊洲にある事務所から、火力発電所の横浜の磯子まで調査に出かけました。

 発電所の補修課の方の案内で、不具合を起こしている複数の装置を調査しました。調査の結果、装置の不具合原因は直ぐに分かりました。その不具合原因を細かくスケッチし、発電所補修課に報告し、運転管理方法を説明しました。不具合の原因はいたって簡単な事象で、炭石炭焚き火力発電所のため、燃焼灰が堆積し、運転の不具合起こしていることが分かり、不具合を起こさない運転管理は、定期的に点検し、灰が堆積しないように掃除することで良い事を説明し、お客様にご了解を頂きました。

 自分で言うのはおこがましいのですが、私は先輩に教えられた通り「くそ真面目」仕事に熱中し、昼食抜きで行ったのです。お客様のご了解が得られましたので、大急ぎで会社の上司に報告すするため、最寄り駅の磯子駅から電車に乗って貴社することにしました。

 駅に着くと電車は東京駅方面に行く電車と思い込み電車に乗りました。朝から働き、しかも昼食抜きで仕事をし、問題を解決したことの安心感もあって、電車に乗ると不覚にも直ぐに眠り込んでしまいました。 しばらくし、眠りから覚めると何と電車は東京駅に行くのではなく、方向の違う町田駅来ていました。大慌てで電車を降り、川崎まで引き返し、東京駅を通る電車に乗り換え、新橋駅で下車し、豊洲にある会社に帰り報告をすることができました。

 しかし、磯子火力発電所を出る時に、会社に今から帰社し報告することを伝えていましたので、帰社は予定時間より大幅に遅れてしまい、上司に、注意深く行動するように忠告を受けました。

 田舎から都会に出ていたので、それぞれの電車の行き先を知らなかったことと、昼休みを取って仕事をしなければならないことを学んだ、若い日のとんだ失敗事例でした。

 集中し仕事の質を高めることと、休息のバランスを保つことが肝要ですので参考になれば幸いです。

 聖書にの伝道の書には次の諭の言葉が記されています。

 両手いっぱいに仕事を持つのは風を追うようなものだ。それよりも、片手は休息で満たす方がよい」(伝道の書4:6)。

                 WWW.JW.ORG

       新緑の 輝きており 松山道 今日の一句

                        小さな花壇の「紫蘭」

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珍しいポポーの花とリンゴの花♪

2020-04-30 00:33:33 | 四季折々の花々

 私が花博士と呼ぶ友人から、「ポポー」という花が咲いている場所を教えられ

早速写真を撮って来ました。私も「ポポー」という花を初めて見て、とても花には見えない花に

驚きました。顔を近づけないと花とは分かりません。2,3m先からでは

木の枝に何か黒い物が付いている、といった感じです。

「ポポー」は9月中旬から10月上旬心香りの強いアケビのような実が

収穫できるそうです。

花期は4月です。

残念ながら私の手持ちの花図には紹介されていませんでした。

 今日は珍しいポポーの花とリンゴの花を紹介致します。

                     とても珍しい「ポポーの花」

                  裏庭に咲いている「りんごの花」

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖書のイザヤ書:神エホバの望まれることは、遣わされるイエスを通して成し遂げられる♪

2020-04-30 00:03:13 | 神の言葉・聖書

 愛と公正と知恵と力と命の源の神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、遣わされるイエスは、不当な裁きを受け、罪人と、さらには裕福な人と共に葬られることが予告されました(イザヤ53:8,9)。このイザヤの預言も後に遣わされたイエスに、その通り成就しました。

 次にイザヤは、驚くべき事柄を述べます。イザヤは霊感を受け次のよう書き記しています。

 「しかし、エホバは彼(遣わされるイエス)が打ち砕かれることを望み、彼が苦しむようにしました。もしあなた(エホバ)が彼の命を有罪の捧げ物とするなら、彼は自分の子孫を見て、長く生きることになり、エホバの望まれることは彼(遣わされるイエス)を通して成し遂げられます。彼は苦悩の結果を見て満足します。私(エホバ)に仕える者(イエス)は、自分の知識によって、多くの人が正しいとみなされるようにし、彼ら(多くの人)の過ちを負う」(イザヤ53:10,11)。

 地上に遣わされる忠実なイエスが「打ち砕かれることを望む」神エホバがあり得るのでしょうか。神エホバが愛する遣わすみ子イエスに「苦しむように」することはないことは明らかっではないでしょうか。イエスに対して行った事柄について全面的に責任を負うべきなのは、イエスに敵対して来た者たち自身です。とはいえ、神エホバは、イエスに彼らが残虐に行動するのを許されました(ヨハネ19:11)。なぜでしょうか。感情移入と優しい同情心に富む神エホバは、罪のないみ子イエスが苦しみに遭うのを見て痛みをお感じになったに違いありません(イザヤ63:9.ルカ1:77,78)。神エホバが何らかの点でイエスに不興を覚えられたはずはありません。それでも神エホバは、み子イエスが自ら進んで苦しみに遭うことの結果としてもたらされるすべての祝福ゆえに、み子のその態度を喜びとされました。

 祝福の一つとして、神エホバはイエスの命を「有罪の捧げ物」として置かれました。それゆえイエスは、天に戻った後、犠牲にした自らの命の価値を「有罪の捧げ物」として携えて、神エホバのみ前に入り、神エホバはその価値を「多くの人」、つまり全人類のために喜んで受け入れました。(ヘブライ9:24;10:5~14)。

 地上に遣わされたイエスの死の結果として得られる別の祝福は、イエスが「多くの人が正しいとみなされる」ことであり、イエスは今でさえそうしています。イザヤは、イエスが「自分の知識によって」そうすると述べています。この知識とは、イエスが人間として遣わされ、神エホバへの従順のゆえに不当な苦しみを忍んだことから学んだ知識であるに違いありません。(ヘブライ4:15)。死に至るまで苦しみを偲んだイエスは、それによって、多くの人々の「過ちを負う」必要な犠牲を備えることができたのです。イエスの贖いの死の犠牲に信仰を働かせる人たちは幸いです。

                   WWW.JW.ORG

       蛙らの 大合唱の 懐かしや 今日の一句

                    ご近所の庭の「クレマチス」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする