年を重ねると東京に出て間もない若い時代のことを思い起こします。
今から50~55年も前になりました、私は会社の独身寮には入らず、東京豊島区南池袋から
雑司ヶ谷墓地に向かって約5分位歩いた所にあった蕾荘に住んでいました。
その蕾荘から地下鉄丸ノ内線の池袋駅に出て、銀座4丁目で下車し、
江東区豊洲のIHIまで、銀座から豊洲までは当時は満員バスで通勤していました。
蕾荘から雑司ヶ谷墓地までは徒歩5分位でした。
蕾荘の近くには当時東京理容専門学校がありました。
大家様は藤間様で、独り娘の方がいらっしゃいました。
その蕾荘時代、地下鉄の車掌をしていた鈴木さん、女性の方は佐古田(又は迫田)さん、
小林さん、早稲田に通学されていた延村さんと、もう一人の女性が
住んでいらっしゃったのを思い起こします。
住人の1番のいたずら者は延村さんでした。確かかおじさんが私と同じIHIで、呉工場に
勤務されていいる、と話されていたのを覚えています。
佐古田(迫田)さんや小林さんとは会社の同僚たちと江の島まで潮干狩りに行き
楽しんだ記憶もあります。
住人の1人に立教大学生がいましたが、その方は同郷の方で
今でも連絡が取れています。
蕾荘での生活は、朝晩は共同炊事場での自炊生活をしていました。
5年ほど住み、埼玉県の上福岡に家を建て、そちらに移転するまでの
思い出深い生活でした。後に千葉県佐倉市に家を建て移転しました。
最近は蕾荘時代の生活を思い起こしながら、当時の住人たちはお元気にお過ごしだろうかと
しきりに、消息が気にかかります。
蕾荘に住んでいた当時、私より1~2歳位年下の姉妹が、日曜日の朝8時半頃には
熱心に聖書の伝道にお一人でこられていました。その姉妹のこともお元気だろうかと、
思い起こします。
35年以上前に、蕾荘を訪ねましたが、蕾荘は無くなり、大家さんが「藤間ビル」を
建てていらっしゃいました。周囲も再開発されていました。
雑司ヶ谷墓地には文豪の夏目漱石の墓や大正時代の画家竹久夢二の墓もあったのを
思い出す今日この頃です。
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