城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

岐阜県図書館休館中(3) 20.5.15

2020-05-15 19:30:00 | 面白い本はないか
 岐阜県の緊急事態宣言が解除され、岐阜県図書館も来週の19日からネット予約による貸出が再開されることになったので、このタイトルでの記事は今回が最終回となる。本棚にあった本で再読した本は今読んでいる仲正昌樹著「今こそアーレントを読み直す」で14冊目となる。新しい本ばかり読まずに、過去に読んだ本を今一度じっくり読むのも味わい深いことがわかった。

 さて、最終回で紹介するのは大庭健著「民を殺す国・日本」(2015年)。第二回目で紹介したアジア太平洋戦争にも分析が及んでいて共感するところ大いにあった次第。ここで念入りに言及されているのは、「フクシマ」の原発事故と明治時代に起きた足尾鉱毒事件そして同じく「国策」として行われた十五年戦争。フクシマの事故は、津波による過酷事故ということで巻引きがなされようとしている。しかし、津波の来る前に既に地震により重大な損傷を受けていたという指摘。事故前における不作為の数々ー事故隠し、後の検証を不可能とするような数字の改竄を繰り返し、たいした調査をすることもなく耐用年限(40年)の延長を行った、IAEAの勧告(深層防護、特に長時間にわたり外部電源が失われた場合の対応)に真剣に取り組もうとしなかったことなどなど。エネルギー資源のない国として、原子力発電が国策となったことにより、チェックが利かなくなった、そして「原子力村」と称する産官学政さらにはマスコミが作り出した「安全神話」(一旦安全だと言ってしまうとそうではないと言えなくなる、結果ウソにウソを重ねる結果となる)。そして、その国策に逆らう者、当時の福島県知事や内部通報者への仕打ち。この一連の流は遠くは足尾鉱毒事件、十五年戦争への道で何度も繰り返された歴史でもある。

 足尾鉱毒事件については、明治10年政府は所有の足尾銅山を古河鉱業に譲渡。生糸と並ぶ重要な輸出品として銅の増産が始まる。結果周辺の山の木々は伐採され、精錬の過程で出る煙は山々の緑を枯れさせ、さらに禿げ山となったことで大雨が降れば、大洪水とともに鉱毒を含んだ土が流域に流れ出す。谷中村農民の必死の訴え(鉱山を止めろというのではなく、対策をして欲しい)を無視し、本来は鉱山による被害を洪水によるものとし、谷中村をつぶして大きな調整池を造ることにした当時の政府。ここにフクシマの原型があると著者は言う。(私は、この事件をこの事件解決のために終始名も無き民衆のために働いた田中正造について書かれた本によって知った。)引用「谷中村を水没させて足尾鉱毒事件に終止符をうった後、日本帝国のアジア進出は一挙に加速していく。しかも、当の農村を「一銭五厘」で調達できる兵卒の供給源として、いわば「内地植民地として最大限に利用しながら」。

 さらに、朝鮮を日本の利益線とし、さらには満州を日本の生命線とした政府及び軍部。国民に満州の重要性について啓蒙して戦争の正当性を訴えた。さらには戦況について間違った情報を与え続けた大本営。この時は約300万人の犠牲者をだして、終わった。しかし、国策に名を借りた政策がいつまでも生き残る体質は今も健在である。
 日本の電力会社は戦時体制に向かう中で1938年国策会社「日本送発電」が発足し、以後しのぎを削っていた電力会社は、地域ごとに国策会社の業務を分担する会社へと再編された。戦後この送発電が解体された後も9電力体制は維持され、こうした中で国策としての原子力発電が始められた。スリーマイル島、チェルノブイリを経ても原子力推進体制は揺らぐことなく、フクシマの後も国民の忘却が進むにつれてその亡霊はよみがえってくるのである。

 
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