英語と書評 de 海馬之玄関

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保守主義のサンプルとしての<犬養道子>

2011年11月23日 11時02分32秒 | 書評のコーナー


この海馬之玄関ブログは「難解」で有名らしいです。あるブログ友に言わせれば「できるだけ多くの人をブログから遠ざけるための見事なサンプル集」とか。一文にもならないとはいえ、でも、それなりの時間とお金とエネルギーを投入している以上、必ずしも(笑)そんな気ではないのですけれどもね・・・。と、そんなこのブログの貴重な読者の方から「KABUの考える保守主義のイメージを手っ取り早く(爆)理解するための<副読本>は何かないのか」との問合せをいただきました。ありがたいことです。


而して、

確かに、曲学阿世とは思わないけれど、間違いなく浅学非才のためもあり、
例えば、『覚書★アガサ・クリスティーという愉悦』(起~結)の『結』や、
例えば、『風景が<伝統>に分節される構図』およびその続編などを読み返せば、
海馬之玄関ブログの記事は我ながら「難解」なの、鴨(涙)。


・覚書★アガサ・クリスティーという愉悦(結)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b6386fc457f05cc2fc348488c65997d3

・『風景が<伝統>に分節される構図』
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3


 

而して、

KABUの唱える保守主義の手触りは何を読めばつかめるか?


要は、現代における保守主義とは、


①左右の教条主義に対する不信と嫌悪
②慣習と伝統、歴史と文化の尊重と、それらの構築主義的で恒常的な再構築の希求
③自己責任の原則の称揚と同胞意識の勧奨 
④差別排外主義の忌避
(要は、①~③に共感・承認される外国籍市民とその歴史と文化、伝統・慣習の尊敬と尊重)


であるとかなんとか言われても分からんがね、と。

例えば、

KABUの言う保守主義と、ナショナリズム・主権国家・資本主義
との関係
はどうなのさ、と。   



うにゅー、にゃにゃんと、にゃんとも難しいにゃー。
でも、ブログといえども<客商売>だし、なんとかせねば・・・。

というのが本稿アップの経緯です。



で、結論は、

はい、表題の通り、

それは、

犬養道子さんの紡ぎ出された言説である、と。

ということで、KABUが高校時代、否、中学生の頃から今に至るまで、
読んだ犬養さんの作品は下記のもの、香奈。

『お嬢さん放浪記』(1958年)
『私のアメリカ』(1966年)
『花々と星々と』(1970年)
『新約聖書物語』(1976年)
『旧約聖書物語』(1977年)
『セーヌ左岸で』(1977年)
『アメリカン アメリカ』(1978年)
『ある歴史の娘』(1995年)
『聖書を旅する』(1996年)
『女性への十七の手紙』(1998年)
『あなたに今できること - 犬養道子、若き女性に語る』(2001年)
『未来からの過去』(2001年)
『本 - 起源と役割をさぐる』(2004年)
『心の座標軸』(2006年)   


言うまでもなく、犬養さんの聖書研究は専門家裸足、というか、真面目な所、
そう、阿刀田高さんが、例えば、自著の『旧約聖書を知っていますか』(新潮社・1991)
で絶賛しておられるように、現在日本語で読める(素人も受容理解可能な)その分野の最高水準
のものでしょう。

実は、組織神学(≒キリスト教神学の基礎理論)の領域では、私は、
犬養さんとは幾らか意見を異にしていますが、それもマイナーなことにすぎない。
聖書解釈においては私は「犬養道子の弟子」を自称(詐称?)している。

けれども、保守主義の観点で、というか、他者の人間性との共鳴と言う点では、
犬養連合艦隊の二大空母群とも言うべき『新約聖書物語』『旧約聖書物語』は、
少し重たい。そう、昔懐かしいISDN回線で一枚あたり2Mの画像100枚が散りばめられた
サイトをダウンロードするようなもの、鴨。

では、戦闘機編隊のようなものは何かないか・・・。


と、ということで、
上に挙げた犬養さんの著作リスト抜粋の中で、

その中で、私が最も好きな作品は『ある歴史の娘』でしょうか。5・15事件前後の犬養家を舞台とした、10歳前後の少女時代からの著者の自伝的心象風景描写の作品。要は、知名度の高い『花々と星々と』の続編。而して、本書こそKABUの抱く「保守主義」の具象的サンプルなの、鴨。



例えば、この中で、犬養さんは舌鋒鋭く痛烈に「偏狭なナショナリズム」を批判している。けれども、犬養さんの主張は、逆に言えば、そう今の言葉で言えば、「ナショナリズム」と(人間の有限性と、他方、人間の現存在性の普遍性への確信としての)「保守主義」とのナチュラルな融合でもある。而して、10歳の少女の心象世界の中での、稚拙であり峻烈ではあるが清新かつ豊饒な両思想の交錯と融合は見事。と、そう私は考えています。

本書には全くと言ってよいほど、犬養さんの「全人格-全価値観」の基盤たるカトリック信仰のことは触れられていません。しかし、例えば、上で述べた「保守主義とナショナリズムとの融合」のエネルギー、否、霊感は、おそらく、そのカトリックの信仰に源泉するものだ。そのことは確実であろう。と、そう私は思います。

機会があれば一書なりとお手にお取りください。

お薦めします。








※)本エントリーは、今年の6月に「ファン限定記事」としてアップロードしたものの加筆修正版です。





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