再々掲:ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」シリーズ記事の目次ですよ
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2b680910fc0d58497ba6e371f165236b
今回の散策の舞台は「はるひ野-黒川-栗平-五月台」といった新百合ヶ丘エリア内の小田急多摩線沿線です。このエリア、新百合から一番離れている「はるひ野駅」でも、営業キロ4.9キロの距離。新百合のダウンタウンから大人の足ならちょうど1時間の地域です。
散策はルートの都合で新百合から二番目に遠い黒川駅からスタート。そして、最後は新百合の中心部に隣接する「旧津久井道」沿いの現在の佇まいも紹介する予定。全行程約9キロ、2時間程度の散策になります。
尚、本線経路の地図画像を適宜参照いただければ分かりやすいかもしれません。経路が一部重なっている外部リンク地図のURLも下に記しておきましたので参考にしてください。ということで、早速出発しましょう。
小田急黒川駅
【地図画像】
・多摩線沿線散策Map(コバルトブルーの線が散策ルート)
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/shinyurimap14a.JPG
・【外部情報】あさおウォーキングマップ
http://www.city.kawasaki.jp/73/73hohuku/kenko/kenko/sonota/pdf/01_map.pdf
・【外部情報】小田急沿線自然ふれあい歩道
http://www.odakyu.jp/walk/14/print/guide_2.pdf
http://www.odakyu.jp/walk/13/print/guide_2.pdf
黒川駅から黒川と柿生を結ぶ道路に出て黒川の集落方面に坂を下ります。突き当たりは、
そう、鶴川街道 。
・鶴川街道-完全踏破編(黒川&真光寺)
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58587554.html
小田急多摩線は1974年の開通、多摩ニュータウンと都心を結んでいます。而して、小田急多摩線沿線は新百合ヶ丘エリアの「宅地開発の最前線」でもあり、また、県境を接する東京都町田市、多摩市、稲城市の<魔の手>から新百合ヶ丘の中心部を守る、謂わば「辺境の屯田兵駐留エリア」。2008年のデータによれば、小田急多摩線各駅の一日平均の乗降客数は、新百合ヶ丘駅の120,516人に対して(ちなみに、この連載でもしばしば登場する柿生駅は35,443人)、以下の通りの規模。すぐご紹介するように、今回歩くエリアは自然と歴史がてんこ盛りの素晴らしい地域なのです。
五月台駅:9,220人
栗平駅:21,837人
黒川駅:8,265人
はるひ野駅:5,771人
・小田急線各駅の平均乗降客数
http://www.odakyu.jp/company/about/jyokou.html
鶴川街道に出たら左。2~3分で「鶴川街道-完全踏破編」で紹介した「汁守神社」が見えてきます。
下は汁守神社の境内で見かけた「地神齋」の石碑。碑には「文久三年」「武州都筑郡黒川村」の文字がありました。文久三年と言えば1863年、新撰組が結成された年。薩英戦争が起き、政変に敗れた三条実美らが長州に「七卿落ち」した年。時代の潮目が「攘夷→開国」と「勤皇→倒幕」に、正に、変わろうとしていた騒然とした世情の中でこの石碑は建てられたということです。
と、最初から一々感動していては散策は進みませぬ。先を急ぎましょう。汁守神社の横辺の坂を北側に2ブロック上ります。そこを左折。下の画像は汁守神社の横辺の道と、左折地点の簡易道路標識。尚、左折せずにこの坂を道なりに800メートル進めば小田急はるひ野駅です。
ここまで来れば、我が街「新百合ヶ丘」が誇る、多摩丘陵エリアでも最大級の谷戸、黒川の谷戸群がその片鱗を覗かせています。尚、「What is 谷戸?」という方は下記の過去記事に目を通していただければと思います。
・岡上地区-完全包囲編(七)
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58741330.html
と、そこで我々の目に飛び込んできたものわぁー!
はい。
これでした。
「公約実行」ってか。国外、最低でも県外の普天間基地移転。赤字国債の発行に頼らない財政運営等々。是非、公約を実行してみせてもらいたいものです(爆)。
と、こんなチンケな政治家の話をしてたら、折角、自然と歴史が満載の黒川の素晴らしい風光の紹介が滞る。
前進前進っと。
上の画像。先程の汁守神社横の左折点から約200メートルで別の谷戸に到達します。人呼んで「海道谷戸」。カーブミラーのある角で今度は右折。下の画像がこの辺りの景色ですが、要は、この辺りの本線の経路は右手がはるひ野の新興住宅地で、左手が海道谷戸とそれに続く中小の谷戸群なのです。
ちなみに、「海道谷戸」の「海道」とは「街道」の同音同義の異字表示。つまり、我々が現在進んでいる本線部分は、江戸期から近代にかけて柿生・黒川から現在の多摩市に抜ける脇街道、「瓜生黒川往還」 と呼ばれる道だったのです。
ウォーキングはロマンだにゃー♪
と、江戸時代後期(文化・文政・天保:1804年-1843年)から明治の半ばまで、黒川の炭とともに商品作物として「旧柿生村≒現在の新百合ヶ丘エリア」の経済を支えた「禅寺丸柿」が秋の青空に映えて感動的でした。
と、そんな本線経路の右手の宅地開発地区の向うに見えてきたのがこれです。昨年、2008年4月に開校した「はるひ野小中学校」。麻生区でも最も新しく綺麗な公立小中学校。
まだ新築の建物特有の匂いがするブランドニューな校舎。上の2枚目と3枚目は別の日に撮影したものですが、文化祭のシーズンらしく「すばる 一丸となって未来へ輝け」というスローガンも初々しい。
はるひ野小中学校内には、「はるひ野黒川地域交流センター」が併設されていて、地域のサークル活動とかに大いに利用されています。下は、別の日にKABUも参加した催しのチラシ。
б(≧◇≦)ノ ・・・そうだ! 「麻生」に親しもう!
б(≧◇≦)ノ ・・・「麻生総理」断乎支持! 頑張りましょう。
尚、小中学校と社会人ための施設が同じ校舎敷地内にあるため、学校入口のセキュリティーは極めて厳格。頼もしい限り。もし、はるひ野小中学校にお子さんを入学させようとお考えの家庭も心配は無用です。しかも、はるひ野駅からはるひ野小中学校までは見通しのよい明るい道路を通って、僅か450メートル、小学生の足でも6分足らず。安心です。
本線の順路に戻りましょう。海道谷戸の入口からはるひ野小中学校が見えるところまで約10分。いよいよ里山の山道に入ります。下がその山道の入口。2枚目の画像が、山道の入口から今来た本線の道筋、「瓜生黒川往還」を振り返ったもの。
そして、そこから山道を進むこと7-8分で「瓜生黒川往還」 と「多摩よこやまの道」の交差点の峠に到着です。下の2枚目の画像、「よこやまの道」の道標には「鎌倉街道 約1.8km」(向かって左)、「多摩東公園 約1.4km」(向かって右)と書かれています。多摩市を縦断している鎌倉街道 は鎌倉時代には現在の道筋よりも数百メートル東側にあり、つまり、当時、今いるこの地点から鎌倉街道までは1キロ少々ではなかったかと思われます。正に、中世から近代初頭にかけて黒川地区は多摩丘陵を巡る交通の一つの結節点だったのかもしれませんね。
というところで、適度な長さなので次回に続きます(;・ω・;)。