快風丸

俺の船に乗らないか。

来日50周年記念

2016-05-20 00:39:37 | Weblog

 なぜか中津でこのような展覧会が、なんともタイムリーに開催中。

写真展に2,000円は高いと思ったが、なぜか1,500円に下がっていたので行ってきた。

 アビーロードスタジオで使用されていた録音機。

真空管が多数投入されており、時代を感じる。

天面がオープンリールを水平にセットするテープレコーダーになっている。

全国を巡回してるみたいです。

4年前は「デビュー50周年」と銘打っていたようです。

ビートルズって、知ってるようでよく知らないなと思っていた。

有名な曲、有名なエピソードなどは知っているが、活動の全容となると、はっきりしない感じだった。

すべての知識が断片的なのだ。

いつか、時代のなかのビートルズを知識として整理したいと漠然と思っていた。

この展覧会、年代順に写真とパネルにキャプションがあり、思いのほか、知識の整理に役立った。

 

たとえば、ほんとうの全盛期は63年から65年ということがはっきりとした。

とにかく人気が出過ぎて、レコードが売れすぎて、それがゆえに短期間で消耗してしまったということだと思う。

もしビートルズにこの爆発的な2年間が無かったとしたら、ブライアン・エプスタインに出会わなかったとしたら、

コンスタントに良質な作品を提供し続けられる環境が彼らに与えられていたなら、ロックという音楽の持つ意味

のようなものが、ずいぶんと変わっていたのではないかと思う。

 

このバンドに続く名だたるロックのビッグネームの商業的成功もなかったのではないかと思う。

そうであれば、音楽とビジネスが結びつくことはなく、商業的に成功することもない。

ローカルバンドが群雄を割拠し、今よりも多様な音楽性を持った豊かな音楽社会が実現したのでは

ないだろうか。

音楽とは本来、やりたい者がやりたいことをやり、聞きたい者が聴きたいことを聴く、というのが

あるべき姿だと思うのです。

 

ロックという本来は若き情熱の発露であるべきものを「売れるもの、儲かるもの」という大人の道具に

組み込んでしまった、音楽の側から見たら、大いなる失敗だと強く思うのです。

 

詮のない話ではあるが、この奇跡の2年間がその後50年のポップスにおける音楽的マジョリティーの

画一性を決定してしまったというのは、驚異的なことだなと思うのです。

 

ロックとは、個の爆発であるという前提を忘れないためにも、その歴史過程を知ることは有意義な

事だったと思います。