名古屋市美術館へ。
日本人でありながら、なぜ、エコール・ド・パリの画家として有名なのだろうという素朴な疑問があった。
知っていることといえば、第二次世界大戦のころ、その画家としての才能を戦意高揚に貢献する絵に捧げ、
戦後はそれが元で戦争協力者としての罪を着せられることになったということくらいで、自画像以外はほとんど
知らなかった。
豊田市美術館の企画展示で、第二次大戦の協力者となってしまったことを悔いる随筆を読んだ。
いつか、この深い人間性の画家が描いた芸術に触れたいと思っていた。
不思議な透明感をたたえた裸婦像が印象的だった。それにとどまらず、気の遠くなるような寂寥感の風景、
エキゾチックな人物像など多彩な表現で楽しませてもらった。
1923年、37歳ごろの作品数が多いことに気が付いた。寝る時間を惜しんで画業に没頭したそうである。
「日本に捨てられた」
のだそうである。