両馬川旧跡の続き。
歌聖・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)を祀る柿本神社を訪ねました。
歌道の神としての信仰を集め、そこから学問の神として信仰されています。
また、
人麻呂(ひとまろ)→人丸(ひとまる)→人生まる ということで安産の信仰、
人麻呂(ひとまろ)→人丸(ひとまる)→火止まる ということで火災除けの信仰があります。

柿本神社 鳥居と階段

本殿

扁額

本殿全景

ご由緒。↑クリックで拡大。

本殿から見た明石市立天文科学館の時計塔

本殿前の御神木「筆柿」には
実がたわわになっていました。

この柿の実には安産のご利益があるのだとか。

(左)天神社・(右)三宝荒神社

八房梅(やつふさのうめ)
赤穂浪士の一人、間瀬久大夫が
主君仇討を祈念し植えられと伝わるそうです。
一つの花より8つの実がなることから
この「八房梅」の名があるのだとか。

歌碑
御祭神・柿本人麻呂が
明石で詠んだ和歌が歌碑となっています。
天離る 夷の長道ゆ 恋ひくれば
明石の門より 大和島見ゆ
大君は 神にしませば 天雲の
雷の上に いほりせるかも

五社稲荷神社

手水舎

山門
元和六年(1620年)、当時、明石城主であった
小笠原忠政<=のちに改名して、忠真>が柿本人麿公を歌聖として崇敬し、縁深い明石のこの地にお祀りしたのだそうです。
小笠原忠政<忠真>って聞いたことがあるな・・・と思っていたら、豊前小倉藩主ではないですか~!
小倉城の歴史でよく見かけていたお名前だったのでした。
帰宅するまで全く気づかなかった私のばかばか。
歴史に疎いと、あとからわかった時の感動が大きくていいのかも

ヽ(´ω`)ノ
山門前から見た景色へ続く
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