腕塚神社の続き。
***案内の文章より***
忠度塚
寿永三年(1184) 一の谷の戦いに
敗れた平氏の将、薩摩守忠度が
両馬川まで来たとこを 源氏の将
武蔵国(埼玉)の岡部六弥太忠澄
に討たれ、その亡骸を埋めた
ところと伝えられる。
平 忠度 1144~1184
清盛の弟。正四位 薩摩守と
なる。藤原の俊成に師事し和歌を
よくした。平家西走の途中京都に
引き返し俊成に詠草一巻を
託した話は有名。
明石教育委員会
*************
近づいて参拝。(-人-)
「旅宿花(りょしゅくのはな)」碑
平忠度が箙に結びつけた文(ふみ)に「旅宿花」と題して記していた和歌
ゆきくれて 木の下かげを やどりせば
花やこよひの 主ならまし
※この歌での花は、桜の花のこと。
塚に寄り添うように
手前に植えてある木は、桜の木だそうです。
平忠度 人形
2005年3月、京都の井筒装束店さんのビル1階に平忠度に見立てられた人形が展示されていたことがありました。
日中見に行った時はショーウインドウのガラスに自分の姿が映ってしまっていたので、日没後また見に行ったという・・・。
おなかの辺りに注目!
箙(えびら)に文(ふみ)が結び付けらています。
この人形を見たときは感激しました。
明石での旅のお話に戻ります。
・・・忠度塚を参拝後、山陽「人丸前」駅に戻り、お友達と合流して二人旅となりました。
両馬川旧跡へ続く
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ただのりづか
忠度塚
住所:兵庫県明石市天文町2丁目
忠度塚
平忠度の亡骸を埋めたと伝えられています。
神戸地方裁判所明石支部 明石簡易裁判所の近くにあります。
案内板
忠度塚
住所:兵庫県明石市天文町2丁目
忠度塚
平忠度の亡骸を埋めたと伝えられています。
神戸地方裁判所明石支部 明石簡易裁判所の近くにあります。
案内板
***案内の文章より***
忠度塚
寿永三年(1184) 一の谷の戦いに
敗れた平氏の将、薩摩守忠度が
両馬川まで来たとこを 源氏の将
武蔵国(埼玉)の岡部六弥太忠澄
に討たれ、その亡骸を埋めた
ところと伝えられる。
平 忠度 1144~1184
清盛の弟。正四位 薩摩守と
なる。藤原の俊成に師事し和歌を
よくした。平家西走の途中京都に
引き返し俊成に詠草一巻を
託した話は有名。
明石教育委員会
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近づいて参拝。(-人-)
「旅宿花(りょしゅくのはな)」碑
平忠度が箙に結びつけた文(ふみ)に「旅宿花」と題して記していた和歌
ゆきくれて 木の下かげを やどりせば
花やこよひの 主ならまし
※この歌での花は、桜の花のこと。
塚に寄り添うように
手前に植えてある木は、桜の木だそうです。
平忠度 人形
2005年3月、京都の井筒装束店さんのビル1階に平忠度に見立てられた人形が展示されていたことがありました。
日中見に行った時はショーウインドウのガラスに自分の姿が映ってしまっていたので、日没後また見に行ったという・・・。
おなかの辺りに注目!
箙(えびら)に文(ふみ)が結び付けらています。
この人形を見たときは感激しました。
明石での旅のお話に戻ります。
・・・忠度塚を参拝後、山陽「人丸前」駅に戻り、お友達と合流して二人旅となりました。
両馬川旧跡へ続く
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