松山市内の南部に伊豫豆比古命神社という神社がある。地元では椿神社とも椿さんとも呼ばれ(ちなみに椿は松山市の市花である。)、旧暦の1月7日から3日に亘って行なわれる春の大祭は「椿祭り(お椿さん)」として市民に親しまれている。
商売繁盛、開運縁起のご利益があるとされ、時節柄受験生の参拝も多く、期間中には数十万人もの参拝客が集まり、「伊予路に春を告げる椿祭り」と言われている。
以下、「秘密のケンミンショー」風に言えば、愛媛ケンミンにとって、「椿さん」にお参りすることは、お正月の初詣以上のイベントなのである。僕も子供の頃は家族揃って参拝に出かけ、帰り道は、市内の中心部(「お城下」と呼ばれる)の繁華街かデパートのレストランで食事をするのが大きな楽しみだった。ファミレスなんてものがなかった時代のことである。ちなみに、愛媛は椿祭りの直前が一番寒いと呼ばれている。毎年、愛媛マラソンが近づくと、今年の椿祭りは愛媛マラソンより先か後かを気にしていた。椿祭りより早く開催される愛媛マラソンは、たいていは寒さ対策が必要になるからだ。雪の舞う中のレースになったこともある。
露店が立ち並ぶ参道の人ごみを、迷子にならないように、父親か母親の手を握り締めて歩いていた事も忘れられない。愛媛ケンミンは初めて東京や大阪に出かけ、渋谷や新宿や御堂筋の人ごみを見ると、
「東京(大阪)って、毎日お椿さんやってるみたいや。」
と思うのだ。
浅草寺を折り返し、反対車線のランナーたちの集団を見ていると、まさに、マラソン大会が「お椿さん」と化したように見える。ここに集うのは善男善女の集団であろうか。しかし、ぽつりぽつりと目を引くコスプレ・ランナーを除けば、皆、似たようなウェア姿である。長袖シャツと半袖シャツの重ね着に、ロングタイツと膝までのパンツ。ランニング雑誌の「初心者にお勧めのウェア」の記事から抜け出したような集団。今日はそんなに寒くないのに、どうしたものか。むしろ暑いくらいだ。僕は半袖シャツにランニングパンツの「ビル・ロジャース・スタイル」なのだが、それでも寒さはほとんど感じない。むしろ、暑くなってきて、何度か給水所のコップの水を頭から被った。すると、どうしたものか、沿道から歓声と拍手が起こった。新手のパフォーマンスと思われたのだろうか。たぶん、これまでの東京マラソンでは、そんな事をする人があまりいなかったのだろう。
今日の天候だと、むしろ「暑さ対策」が必要だったろうにと思う。熱中症で倒れる人が出ない事を祈った。
既にペースは1km6分を越えている。愛媛マラソンでは35kmまで5km30分以下のペースを維持出来たが、初めての月2度のマラソン出場はやはり甘くなかった。それに見合うだけのトレーニングを積めなかったのだから仕方ない。去年の愛媛マラソン以来、一度も30km以上走るトレーニングをしていなかったのだからだ。
銀座を離れ、コース一の難所と呼ばれる佃大橋にさしかかる。長い上り坂。しかし、愛媛マラソンの35km過ぎの平田の上り坂に比べると大したことはない。むしろ、東京湾が広がる景色を見て、ようやく解放されたような気分になった。どこまで行っても、切れ目なくビルと人が立ち並ぶ景色に嫌気がさしていたのだろう。10km過ぎて、トンネルを越えれば、田んぼが広がり、遠くに腰折山や恵良山が見える、愛媛マラソンの景色を、ここにいる人たちに見せてあげたいと思えてきた。
隣にいたランナーが話しかける。
「気持ちいいねえ。ずっとこうしていたいねえ。」
生憎、僕はそんな気分ではなかった。4時間オーバーが確定的になり、少しでも早くゴールに戻りたかった。
愛媛マラソンでは、レース途中では水とスポーツドリンクしかとらなかった。バナナにパン、愛媛の名物である坊ちゃん団子や七折小梅も用意されていたが、僕の考えではそういった食物は、時間をかけてゴールする人たちのためのものだ。少なくとも、4時間以内のゴールを目指すランナーは、水分補給だけで、フルマラソンを走り通せるだけの力をつけるべきである。でないと、最もそれらの食品を必要とする人たちに行き渡らないし、制限時間か4時間以内の大会だと、給水所に食品を用意している大会の方が少ないからだ。しかし、今回の東京では、パンやバナナにも手が延びた。私設エイド(厳密に言えば、登録ランナーが利用するのはルール違反である。)のコーラもいただいた。レース中にコーラを飲んだのは初めてである。
なんとか、歩かずに身体を前に進めている。品川や銀座では全く聞かれなかった、
「とされいこ、頑張れ!」
の声援をようやく聞けた。彼女の似顔絵Tシャツを着てきた甲斐があった。もしかしたらこの辺りには「マラソンをよく知っている」ギャラリーが多いのかもしれない。東雲橋を越えたあたりで沿道が賑やかになった。後ろから、都知事の息子が近づいてきているようだ。テレビクルーやペースメイカーを含んだ集団に追いつかれて、少しペースを上げてみたが、彼の足取りは軽かった。彼は確か同い年だったはずだ。さらには、有名居酒屋チェーン店の社長にもかわされた。陸上競技に詳しい方にはおなじみだが、この会社は陸上部を設立し、駅伝ではなくフィールド種目やデカスロンの選手を採用して。世界選手権の代表も輩出している。
もはや1km7分オーバーのペース。しかし、一度も立ち止まってはいない。ビッグサイトが近づいてきた。沿道から声が聞こえた。
「なんで、とされいこ?」
僕は答えた。
「本人の代わりだよ。」
ああ、やっぱり、土佐とも一緒に走りたかったなあ。ハイレ皇帝の欠場以上に残念だった。もし、彼がベストの体調で出ていたら、ペースメイカーを振り切って独走していただろう。翌日の新聞はそんな彼の姿を47年前のアベベ・ビキラとダブらせる記事を書いていただろう。
ゴールが近づいてきた。沿道の時計にトップのゴールタイムが表示されていた。2時間7分35秒。かつての児玉泰介さんの持っていた日本最高記録と同じだ。誰だろう。日本人であればいいけど。
ゴールイン。タイムは4時間19分。4時間を切れなかったのは悔しいが、準備不足だからやむを得ない。むしろ故障もなく、愛媛と東京を走り通せたから良かったのかもしれない。
立ち止まることなく、巨大な更衣室と化したビッグサイトの中へと歩いて行く。最も僕が気に入った、某有名ウイスキーのボトルの着ぐるみで走るランナーが横にいた。話しかけてみると、あの
「ウイスキーはお好きでしょうか?」
のテレビCMの制作にも関わっている人だという。
第一回大会では荷物の受け取りに1時間以上かかったというが、5回目ともなると大幅に改善されていて、すぐに荷物を受け取ることが出来た。既にエリートランナーたちとその関係者は帰ってしまったか、我々とは待機する場所が違うのだろう。仮に土佐が出ていたとしても、ゴール後に土佐夫妻と挨拶できるチャンスは無かったろうなと思う。
着替えて、壁に張り出してあった上位の結果を見る。優勝したのはエチオピアのランナー。そして、日本人1位は、川内優輝だった!学習院大出身の県庁職員で、去年も4位に入賞しているがタイムが凄い!2時間8分37秒!!藤原新は59位。どうした?そして、記録を見ていた多くのランナーが驚嘆したのは猫ひろしが2時間37分台のタイム。アジア大会代表の嶋原清子に勝っている!!
疲れた足を引き摺るように歩き、りんかい線から新宿へ。やはり、今度来る時は、もう一日東京に泊まり、Hさんらと「打ち上げ」をしたいものだと思った。翌朝松山へ着く高速バスの出発まで時間があるから、駅前の居酒屋でおひとりさまの打ち上げをする。若い頃から一人旅には慣れているから平気だ。もちろん、店は、僕を追い抜いて行った社長の経営する店を選んだ。店員に、東京マラソン帰りで、お宅の社長に負けた、というと大いにウケた。
冷えた生ビールが本当に美味かった。そして、ウイスキーのハイボールも。コスプレランナーの宣伝効果の賜物だ。
来年もまた、来たいなとその時は本当に思った。今度は走りこんで足を作ってくるぞ。そうして初めて「楽しく走れる」のだから。
※※※※※※※※※※
東京マラソン完走記。完成に8ヶ月もかかってしまった。最後に書いたように、もう一度走りたいという気持ちがあったのだが、その後、東京都知事選に立候補した某候補の「東京マラソンを年4回開催」というマニフェストにあきれてしまい、気勢を削がれた。そして3月11日。
僕自身は特に大きな被害を蒙ったわけではなく、知人で亡くなった人がいるわけではない。あの日から2週間はほとんど走っていない。決して自粛したわけではなくて、とてもそんな気分になれなかった。もう、この国にはランニングを楽しむような余裕も無くなってしまうんではないかと。自粛という行為の是否は様々な議論になったが、ともかく、自分の出来ることとするべきことだけをしていくことで乗り切っていった。チャリティと名のつくものにこれまで関わった覚えはないが、今回はタンスの肥やしとなっている大量の大会参加賞Tシャツやタオル(全て未使用)を岩手県に送ったし。わずかばかりの募金もした。そうする事でようやく、自分のやりたい事をする日常生活に戻っていった。
今になれば、東京マラソンの終盤で聞いた、
「ずっとこうしていたいね。」
の一言が耳について離れられない。東京マラソンから12日後の3月11日を境に、この国は別の国になってしまったのではないかと思う。少なくとも、あの日かけがえのない物を無くした人たちにとっては。40代最後のマラソンとして出場した東京マラソンの話を完結させたくなかったのは、言い訳みたいになってしまうが、僕の怠慢だけではなかったのだ。3月11日以前の最後の「楽しい思い出」にしてしまいたくなかったのだ。
ようやく、東京マラソンの話を終わらせることが出来た。既に僕は人生の中間地点をとっくに過ぎている。しかし、前に進まないと何も始まらない。生きている人間は立ち止まらずに前へと進まなくてはいけない。これで、ようやく、前へと
進むことが出来るようになったと思う。
東京を走ったランナーの中にも、3月11日に、人生のゴールを終えた方もいらっしゃるやらしれない。彼らの冥福を祈りたい。
商売繁盛、開運縁起のご利益があるとされ、時節柄受験生の参拝も多く、期間中には数十万人もの参拝客が集まり、「伊予路に春を告げる椿祭り」と言われている。
以下、「秘密のケンミンショー」風に言えば、愛媛ケンミンにとって、「椿さん」にお参りすることは、お正月の初詣以上のイベントなのである。僕も子供の頃は家族揃って参拝に出かけ、帰り道は、市内の中心部(「お城下」と呼ばれる)の繁華街かデパートのレストランで食事をするのが大きな楽しみだった。ファミレスなんてものがなかった時代のことである。ちなみに、愛媛は椿祭りの直前が一番寒いと呼ばれている。毎年、愛媛マラソンが近づくと、今年の椿祭りは愛媛マラソンより先か後かを気にしていた。椿祭りより早く開催される愛媛マラソンは、たいていは寒さ対策が必要になるからだ。雪の舞う中のレースになったこともある。
露店が立ち並ぶ参道の人ごみを、迷子にならないように、父親か母親の手を握り締めて歩いていた事も忘れられない。愛媛ケンミンは初めて東京や大阪に出かけ、渋谷や新宿や御堂筋の人ごみを見ると、
「東京(大阪)って、毎日お椿さんやってるみたいや。」
と思うのだ。
浅草寺を折り返し、反対車線のランナーたちの集団を見ていると、まさに、マラソン大会が「お椿さん」と化したように見える。ここに集うのは善男善女の集団であろうか。しかし、ぽつりぽつりと目を引くコスプレ・ランナーを除けば、皆、似たようなウェア姿である。長袖シャツと半袖シャツの重ね着に、ロングタイツと膝までのパンツ。ランニング雑誌の「初心者にお勧めのウェア」の記事から抜け出したような集団。今日はそんなに寒くないのに、どうしたものか。むしろ暑いくらいだ。僕は半袖シャツにランニングパンツの「ビル・ロジャース・スタイル」なのだが、それでも寒さはほとんど感じない。むしろ、暑くなってきて、何度か給水所のコップの水を頭から被った。すると、どうしたものか、沿道から歓声と拍手が起こった。新手のパフォーマンスと思われたのだろうか。たぶん、これまでの東京マラソンでは、そんな事をする人があまりいなかったのだろう。
今日の天候だと、むしろ「暑さ対策」が必要だったろうにと思う。熱中症で倒れる人が出ない事を祈った。
既にペースは1km6分を越えている。愛媛マラソンでは35kmまで5km30分以下のペースを維持出来たが、初めての月2度のマラソン出場はやはり甘くなかった。それに見合うだけのトレーニングを積めなかったのだから仕方ない。去年の愛媛マラソン以来、一度も30km以上走るトレーニングをしていなかったのだからだ。
銀座を離れ、コース一の難所と呼ばれる佃大橋にさしかかる。長い上り坂。しかし、愛媛マラソンの35km過ぎの平田の上り坂に比べると大したことはない。むしろ、東京湾が広がる景色を見て、ようやく解放されたような気分になった。どこまで行っても、切れ目なくビルと人が立ち並ぶ景色に嫌気がさしていたのだろう。10km過ぎて、トンネルを越えれば、田んぼが広がり、遠くに腰折山や恵良山が見える、愛媛マラソンの景色を、ここにいる人たちに見せてあげたいと思えてきた。
隣にいたランナーが話しかける。
「気持ちいいねえ。ずっとこうしていたいねえ。」
生憎、僕はそんな気分ではなかった。4時間オーバーが確定的になり、少しでも早くゴールに戻りたかった。
愛媛マラソンでは、レース途中では水とスポーツドリンクしかとらなかった。バナナにパン、愛媛の名物である坊ちゃん団子や七折小梅も用意されていたが、僕の考えではそういった食物は、時間をかけてゴールする人たちのためのものだ。少なくとも、4時間以内のゴールを目指すランナーは、水分補給だけで、フルマラソンを走り通せるだけの力をつけるべきである。でないと、最もそれらの食品を必要とする人たちに行き渡らないし、制限時間か4時間以内の大会だと、給水所に食品を用意している大会の方が少ないからだ。しかし、今回の東京では、パンやバナナにも手が延びた。私設エイド(厳密に言えば、登録ランナーが利用するのはルール違反である。)のコーラもいただいた。レース中にコーラを飲んだのは初めてである。
なんとか、歩かずに身体を前に進めている。品川や銀座では全く聞かれなかった、
「とされいこ、頑張れ!」
の声援をようやく聞けた。彼女の似顔絵Tシャツを着てきた甲斐があった。もしかしたらこの辺りには「マラソンをよく知っている」ギャラリーが多いのかもしれない。東雲橋を越えたあたりで沿道が賑やかになった。後ろから、都知事の息子が近づいてきているようだ。テレビクルーやペースメイカーを含んだ集団に追いつかれて、少しペースを上げてみたが、彼の足取りは軽かった。彼は確か同い年だったはずだ。さらには、有名居酒屋チェーン店の社長にもかわされた。陸上競技に詳しい方にはおなじみだが、この会社は陸上部を設立し、駅伝ではなくフィールド種目やデカスロンの選手を採用して。世界選手権の代表も輩出している。
もはや1km7分オーバーのペース。しかし、一度も立ち止まってはいない。ビッグサイトが近づいてきた。沿道から声が聞こえた。
「なんで、とされいこ?」
僕は答えた。
「本人の代わりだよ。」
ああ、やっぱり、土佐とも一緒に走りたかったなあ。ハイレ皇帝の欠場以上に残念だった。もし、彼がベストの体調で出ていたら、ペースメイカーを振り切って独走していただろう。翌日の新聞はそんな彼の姿を47年前のアベベ・ビキラとダブらせる記事を書いていただろう。
ゴールが近づいてきた。沿道の時計にトップのゴールタイムが表示されていた。2時間7分35秒。かつての児玉泰介さんの持っていた日本最高記録と同じだ。誰だろう。日本人であればいいけど。
ゴールイン。タイムは4時間19分。4時間を切れなかったのは悔しいが、準備不足だからやむを得ない。むしろ故障もなく、愛媛と東京を走り通せたから良かったのかもしれない。
立ち止まることなく、巨大な更衣室と化したビッグサイトの中へと歩いて行く。最も僕が気に入った、某有名ウイスキーのボトルの着ぐるみで走るランナーが横にいた。話しかけてみると、あの
「ウイスキーはお好きでしょうか?」
のテレビCMの制作にも関わっている人だという。
第一回大会では荷物の受け取りに1時間以上かかったというが、5回目ともなると大幅に改善されていて、すぐに荷物を受け取ることが出来た。既にエリートランナーたちとその関係者は帰ってしまったか、我々とは待機する場所が違うのだろう。仮に土佐が出ていたとしても、ゴール後に土佐夫妻と挨拶できるチャンスは無かったろうなと思う。
着替えて、壁に張り出してあった上位の結果を見る。優勝したのはエチオピアのランナー。そして、日本人1位は、川内優輝だった!学習院大出身の県庁職員で、去年も4位に入賞しているがタイムが凄い!2時間8分37秒!!藤原新は59位。どうした?そして、記録を見ていた多くのランナーが驚嘆したのは猫ひろしが2時間37分台のタイム。アジア大会代表の嶋原清子に勝っている!!
疲れた足を引き摺るように歩き、りんかい線から新宿へ。やはり、今度来る時は、もう一日東京に泊まり、Hさんらと「打ち上げ」をしたいものだと思った。翌朝松山へ着く高速バスの出発まで時間があるから、駅前の居酒屋でおひとりさまの打ち上げをする。若い頃から一人旅には慣れているから平気だ。もちろん、店は、僕を追い抜いて行った社長の経営する店を選んだ。店員に、東京マラソン帰りで、お宅の社長に負けた、というと大いにウケた。
冷えた生ビールが本当に美味かった。そして、ウイスキーのハイボールも。コスプレランナーの宣伝効果の賜物だ。
来年もまた、来たいなとその時は本当に思った。今度は走りこんで足を作ってくるぞ。そうして初めて「楽しく走れる」のだから。
※※※※※※※※※※
東京マラソン完走記。完成に8ヶ月もかかってしまった。最後に書いたように、もう一度走りたいという気持ちがあったのだが、その後、東京都知事選に立候補した某候補の「東京マラソンを年4回開催」というマニフェストにあきれてしまい、気勢を削がれた。そして3月11日。
僕自身は特に大きな被害を蒙ったわけではなく、知人で亡くなった人がいるわけではない。あの日から2週間はほとんど走っていない。決して自粛したわけではなくて、とてもそんな気分になれなかった。もう、この国にはランニングを楽しむような余裕も無くなってしまうんではないかと。自粛という行為の是否は様々な議論になったが、ともかく、自分の出来ることとするべきことだけをしていくことで乗り切っていった。チャリティと名のつくものにこれまで関わった覚えはないが、今回はタンスの肥やしとなっている大量の大会参加賞Tシャツやタオル(全て未使用)を岩手県に送ったし。わずかばかりの募金もした。そうする事でようやく、自分のやりたい事をする日常生活に戻っていった。
今になれば、東京マラソンの終盤で聞いた、
「ずっとこうしていたいね。」
の一言が耳について離れられない。東京マラソンから12日後の3月11日を境に、この国は別の国になってしまったのではないかと思う。少なくとも、あの日かけがえのない物を無くした人たちにとっては。40代最後のマラソンとして出場した東京マラソンの話を完結させたくなかったのは、言い訳みたいになってしまうが、僕の怠慢だけではなかったのだ。3月11日以前の最後の「楽しい思い出」にしてしまいたくなかったのだ。
ようやく、東京マラソンの話を終わらせることが出来た。既に僕は人生の中間地点をとっくに過ぎている。しかし、前に進まないと何も始まらない。生きている人間は立ち止まらずに前へと進まなくてはいけない。これで、ようやく、前へと
進むことが出来るようになったと思う。
東京を走ったランナーの中にも、3月11日に、人生のゴールを終えた方もいらっしゃるやらしれない。彼らの冥福を祈りたい。
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