KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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マラソン旅日記~香川・丸亀ハーフマラソンvol.2

2006年03月21日 | マラソン参戦記
坊ちゃんスタジアムから市内の中心部に戻る。路面電車の線路の上を、明治時代のSLのレプリカである「坊ちゃん列車」が走るのを見ることができた。この列車、原動力はディーゼル・エンジンである。前回語った、高橋尚子がマドンナの格好(袴姿)になったのは、この列車の開通式に招かれた時である。ちょうど、ベルリン・マラソンで世界最高記録を出した翌月だった。

当時の僕は、どうして地元出身の世界選手権のマラソン銀メダリストを起用しないのだろうと疑問に思っていた。なんといっても、彼女はこの鉄道会社の前会長の母校(高校)の後輩なのである。地元出身のヒーロー(ヒロイン)よりも「全国区」のスターの方を有り難がるのが、我が県民性の悪しき一面だ。坊ちゃんスタジアムを本拠地としたプロ野球チームがなかなか誕生しなかったのは、この辺りに原因があるのではないかと思う。

サッカーではJ2に愛媛FCが昇格したが、今はまだ、カズなど、「有名なスター」がいるチームとの対戦でないと客が集まらないと思う。

一旦、お2人をホテルまで送った。違法工事を摘発されても、開き直りのような記者会見を社長が行ったホテル、とよく似た名前のホテルだった。こちらは、かつては陸上競技の五輪代表選手を輩出した、電鉄会社系列の有名ホテルだった。そこから歩いて5分ほど、途中で女芸人、友近の母校である女子高の前を通り、松山城の天守閣が山頂にある、通称お城山の登山口に着く。

ロープウェーやリフトもあるが、お2人ともランナーである。歩いて登りましょうと誘う。
東雲神社の長い石段から登っていく。松山市内の中学校から大学で、体育系の部活をしたら、一度はここを走らされているはずだ。(昔はうさぎ跳びも行われたと思う。)

きつい坂道を登りきると、松山城。今は天守閣が工事中だった。せっかくなのに残念だ。そう言えば、僕が初めて札幌に行った時、時計台は改修工事中だった。

城山の頂上から見た下界の景色は、美しかった。カメラを忘れたことが悔やまれたほどである。夕闇の迫る瀬戸内海の景色が特に気にいられたようだ。帰りは別の登山口から降りていく。大学時代の土佐さんが、母校の後輩ととみに練習していた、旧陸上競技場の横を通る。まもなく、取り壊されることになっている。

道後に足を運ぶ。道後駅前に多くの人が集まっていた。時計を見る。
「ちょうど、いいタイミングでしたよ!」
駅前にあるからくり時計が、6時を告げる直前だったのだ。「坊ちゃん」のキャラクターや温泉客の人形がBGMに合わせて独特の動きを見せるのだ。ここはビデオカメラを持ってくるべきところだった。

道後というのは、実は風俗店の多い「大人の遊び場」なのだ。マラソン大会の前日に過ごすにはふさわしい場所とは言えない。

ホテルに2人を戻して、夕食を食べに行く。
サブスリー・ランナーが経営する居酒屋は、土曜日の夜は予約のみだったので、別の居酒屋へ行き、生ビールで乾杯。クルマの中からずっと、掲示板で話しているような話題をずっと話し込んでいたのだ。アルコールが入って、さらにヒートアップする。

愛媛のうまいものとして、静かなブームとなっているという、八幡浜の名産であるじゃこ天を注文する。魚のすり身を油で揚げたもので、愛媛県外にもファンが多い。ある人気バンドのリーダーは愛媛でライブを行うと必ず買って帰り、東京FMのラジオ番組に出演した際にPRしていたし、あのIT企業の前社長は、一口食べて気に入り、ネット通販を始めたほどである(その会社の社長は、彼の逮捕に大きなショックを受けていた。当然のことだが。)

お2人もうまいうまいと食べていた。Sさんはお土産として買ったそうである。

明日早いからと切り上げて、帰宅した(もちろん、飲酒運転はしていません!代行運転を頼みました。)のは10時。明日は朝7時にホテルまで迎えに行く。早起きは慣れているが、少しだけプレッシャーを感じる。明日、雨は降らないようだ。

(つづく)



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