今日も暖かい。
そういえば、夕べはお池にまたまたカエルが出たようで・・しかも複数匹・・合唱をしているのだが・・アレってメスに対するアピールでしょうけど・・いるんでしょうかね?メスのカエルがね。
ま、暫くは煩いことでしょう。
そういえば、オリンピックの女子フィギア終わりましたね。まあ想像していた通りの結果ではあったけど、ちょっぴり安心したkおばちゃん。
何に安心したかって・・マオちゃんも普通のお嬢ちゃんだったってことです。
競技が終った後のインタビューで色々な感がきわまったんでしょうね。泣き出してしまいました。
それを見て『ああ、彼女も貼り詰めていたモノが溶けて普通のお嬢ちゃんに戻ったのね』と思い、kおばちゃんも泣けてきました。
あんまり、立派な受け答えと行動で、なんだか良いのだけれども違う生物のように感じることもあったからです。まったく勝手なもんですね。
優勝したK国のお嬢さんは、まさに頭脳戦。戦略家が沢山いたようで、一つ一つの得点を全て計算しつくした演出・・恐れ入りました。
一等賞じゃなかったけど、あななが活き活きと滑っている姿を見るのが好きです。また頑張ってね!と心からの応援をしたkおばちゃんです。
○1月1日(金)
とりあえず、岬の先っぽまで行って見たkおばちゃんですが・・もうコレで良いわと引き返します。そう、本来の目的地に向って走り出します。
kおばちゃんの今日の目的地はダルヤンDalyanköy( Dalyan )というチェシュメÇeşmeの町中からちょっと北西にいった漁村の村です。
kおばちゃん、ここの名前はお友だちから聞いたことがあったので知っていました。但し、名前だけね。
だから、ホテルで地図を見た時に思い出して、マネージャーに聞いて見たんです。ここはどうですか?って。
夏場は混むらしいけど、こんなシーズオフでしょ?『今のシーズンだったら車の駐車も困難じゃありませんよ。』ということなので、出かけて見ることにしたんです。
普通『ダルヤン Dalyan 』と言う地名だと一昨昨日までいたトルコ南部の泥池温泉のダルヤンの方が有名かもしれませんね。
kおばちゃんもまったく分からないので・・とりあえず道しるべに従って・・走ります。
細い路地に入ると・・なんとなくくねくね・・あれ?一方通行のはずなのに・・トルコ名物『逆走』ですね。
なんとか集落の中心か??と思うような所に出ました。
駐車場なんて洒落たものは・・どうも無いようで、皆さん適当に路上駐車ですね。
kおばちゃんも見習って??お邪魔じゃないようなところに一応フィエスタ君を止めました。
あとは・・徒歩で少し歩いて見ましょ。
小さな漁村というので、マリーナは直ぐにみつかりました。
でも、停泊してるのは・・どちらかというと、レジャー船じゃないでしょうか?漁船??
しかし大潮なのか、ただの満潮でもそうなのか・・
港から海水があふれ出していますね。
とても、こんなとこにはフィエスタ君を止められません。
少しマリーナ沿いに歩いてみましょう。小さなマリーナですからね。
すると、その端に冒頭の画像の像がたっておりました。一体どなたでしょうか??その出で立ちはオスマン時代の・・どなたかですね。
碑文は何故か英語で書かれています
彼のお名前はTurgut Reisトゥルグト・レイス氏。バルバロス・ハイレディンBarbaros Hayreddin Paşaに使えた船乗りです。
彼はエーゲ海のもっと南部のボルドムBodrumの近郊で生まれたそうで、なくなったのはマルタ包囲戦 Malta Seferi で亡くなったということです。
そんな彼の像がなんでここに??と思ったら、碑文に『1525年の冬に彼らのガレー船団とともにここダルヤンDalyanköyで過ごした』と言う記述がありました。
あら、冬にここにいたのね。丁度コンナ感じの冬だったのでしょうかね?
彼Turgut Reisトゥルグト・レイス氏は、海軍戦術家としての才に武、ガレー船団を引きいてその頃のオスマン帝国の提督バルバロス・ハイレディンのもと、地中海中を暴れまわっていたようです。暴れまわる・・と言う表現は、この頃は戦いで奪い取った船、積荷を奪い取ってもかまわない・・というルールがオスマンにはあったようなので・・kおばちゃんはそう思ってるんですけどね。
無敵の彼もマルタ島でのマルタ騎士団との戦いに傷つき亡くなった訳ですけど、彼の強さは船団をたくみに操った・・ということにあるんじゃないでしょうか?
まあ、この当時に『海軍』という概念はなかったでしょうから・・現在でいえば彼らは『海軍』と『海賊』との両面をもった郡団だったんでしょうね。
でも、こんなところに誇らしげに像なんかたてちゃったりして・・トルコ人にとっては『海軍の育ての父』という意味合いもあるんじゃないかと思います。
彼Turgut Reisトゥルグト・レイス氏の名前は、1910年にドイツから中古ではあるけれど買い付けた軍艦に名付けられ、1950年代半ばに廃船となるまで活躍したとか。
まあ、kおばちゃんは事後学習ですのでダルヤンを訪れた時はもちろんそんなことは知りませんでしたよ。この方何方??と思っただけですから。
それにしても、マリーナにはクルーザのようなレジャーボートばかりのように見えます。
そんな中の何艘かは、こんなに風の強い日・・とkおばちゃんが思ってるのに、出航の準備です。
これぐらいは・・日常茶飯事なんでしょうかね??海水も益々上がってきたみたい・・
ほらこんなに水が上がって来ています。
港の周りには数軒のこじゃれたレストランもありますが・・さっき朝ごはんをたらふく食べたばかりのkおばちゃんです。まだ少し歩いて見ましょ。
これがさっきフィエスタ君で通ったメインストリートです。
お店屋さんも1月1日だけれども、開いているところもありますね。
少しのぞいてみましょうか・・といそいそと戻るkおばちゃんです。
そういえば、夕べはお池にまたまたカエルが出たようで・・しかも複数匹・・合唱をしているのだが・・アレってメスに対するアピールでしょうけど・・いるんでしょうかね?メスのカエルがね。
ま、暫くは煩いことでしょう。
そういえば、オリンピックの女子フィギア終わりましたね。まあ想像していた通りの結果ではあったけど、ちょっぴり安心したkおばちゃん。
何に安心したかって・・マオちゃんも普通のお嬢ちゃんだったってことです。
競技が終った後のインタビューで色々な感がきわまったんでしょうね。泣き出してしまいました。
それを見て『ああ、彼女も貼り詰めていたモノが溶けて普通のお嬢ちゃんに戻ったのね』と思い、kおばちゃんも泣けてきました。
あんまり、立派な受け答えと行動で、なんだか良いのだけれども違う生物のように感じることもあったからです。まったく勝手なもんですね。
優勝したK国のお嬢さんは、まさに頭脳戦。戦略家が沢山いたようで、一つ一つの得点を全て計算しつくした演出・・恐れ入りました。
一等賞じゃなかったけど、あななが活き活きと滑っている姿を見るのが好きです。また頑張ってね!と心からの応援をしたkおばちゃんです。
○1月1日(金)
とりあえず、岬の先っぽまで行って見たkおばちゃんですが・・もうコレで良いわと引き返します。そう、本来の目的地に向って走り出します。
kおばちゃんの今日の目的地はダルヤンDalyanköy( Dalyan )というチェシュメÇeşmeの町中からちょっと北西にいった漁村の村です。
kおばちゃん、ここの名前はお友だちから聞いたことがあったので知っていました。但し、名前だけね。
だから、ホテルで地図を見た時に思い出して、マネージャーに聞いて見たんです。ここはどうですか?って。
夏場は混むらしいけど、こんなシーズオフでしょ?『今のシーズンだったら車の駐車も困難じゃありませんよ。』ということなので、出かけて見ることにしたんです。
普通『ダルヤン Dalyan 』と言う地名だと一昨昨日までいたトルコ南部の泥池温泉のダルヤンの方が有名かもしれませんね。
kおばちゃんもまったく分からないので・・とりあえず道しるべに従って・・走ります。
細い路地に入ると・・なんとなくくねくね・・あれ?一方通行のはずなのに・・トルコ名物『逆走』ですね。
なんとか集落の中心か??と思うような所に出ました。
駐車場なんて洒落たものは・・どうも無いようで、皆さん適当に路上駐車ですね。
kおばちゃんも見習って??お邪魔じゃないようなところに一応フィエスタ君を止めました。
あとは・・徒歩で少し歩いて見ましょ。
小さな漁村というので、マリーナは直ぐにみつかりました。
でも、停泊してるのは・・どちらかというと、レジャー船じゃないでしょうか?漁船??
しかし大潮なのか、ただの満潮でもそうなのか・・
港から海水があふれ出していますね。
とても、こんなとこにはフィエスタ君を止められません。
少しマリーナ沿いに歩いてみましょう。小さなマリーナですからね。
すると、その端に冒頭の画像の像がたっておりました。一体どなたでしょうか??その出で立ちはオスマン時代の・・どなたかですね。
碑文は何故か英語で書かれています
彼のお名前はTurgut Reisトゥルグト・レイス氏。バルバロス・ハイレディンBarbaros Hayreddin Paşaに使えた船乗りです。
彼はエーゲ海のもっと南部のボルドムBodrumの近郊で生まれたそうで、なくなったのはマルタ包囲戦 Malta Seferi で亡くなったということです。
そんな彼の像がなんでここに??と思ったら、碑文に『1525年の冬に彼らのガレー船団とともにここダルヤンDalyanköyで過ごした』と言う記述がありました。
あら、冬にここにいたのね。丁度コンナ感じの冬だったのでしょうかね?
彼Turgut Reisトゥルグト・レイス氏は、海軍戦術家としての才に武、ガレー船団を引きいてその頃のオスマン帝国の提督バルバロス・ハイレディンのもと、地中海中を暴れまわっていたようです。暴れまわる・・と言う表現は、この頃は戦いで奪い取った船、積荷を奪い取ってもかまわない・・というルールがオスマンにはあったようなので・・kおばちゃんはそう思ってるんですけどね。
無敵の彼もマルタ島でのマルタ騎士団との戦いに傷つき亡くなった訳ですけど、彼の強さは船団をたくみに操った・・ということにあるんじゃないでしょうか?
まあ、この当時に『海軍』という概念はなかったでしょうから・・現在でいえば彼らは『海軍』と『海賊』との両面をもった郡団だったんでしょうね。
でも、こんなところに誇らしげに像なんかたてちゃったりして・・トルコ人にとっては『海軍の育ての父』という意味合いもあるんじゃないかと思います。
彼Turgut Reisトゥルグト・レイス氏の名前は、1910年にドイツから中古ではあるけれど買い付けた軍艦に名付けられ、1950年代半ばに廃船となるまで活躍したとか。
まあ、kおばちゃんは事後学習ですのでダルヤンを訪れた時はもちろんそんなことは知りませんでしたよ。この方何方??と思っただけですから。
それにしても、マリーナにはクルーザのようなレジャーボートばかりのように見えます。
そんな中の何艘かは、こんなに風の強い日・・とkおばちゃんが思ってるのに、出航の準備です。
これぐらいは・・日常茶飯事なんでしょうかね??海水も益々上がってきたみたい・・
ほらこんなに水が上がって来ています。
港の周りには数軒のこじゃれたレストランもありますが・・さっき朝ごはんをたらふく食べたばかりのkおばちゃんです。まだ少し歩いて見ましょ。
これがさっきフィエスタ君で通ったメインストリートです。
お店屋さんも1月1日だけれども、開いているところもありますね。
少しのぞいてみましょうか・・といそいそと戻るkおばちゃんです。