今日はとっても寒い・・と思ったら雪が降っている。
ああ、せっかく車で買い物に行く・・というよりエンジンをかけようと思ったのにコリャ無理だ!
医院は空いていた。うーん。普通は空いてるのかな?花粉症のシーズンしか行かなかったからすごく混んでたイメージがあったんだけど。
今日処方してもらった薬に気管を拡張する張り薬があった。噂には聞いてたけど張り薬でもらったのは初めて。寒いからなかなか回復しないなあ。
昨日出かけたときに感じたこと思い出して・・
昨日夕方、友達のコンサートに出かけるためにいつもは利用しない私鉄に乗った。時刻は夕方。通勤客が帰途に付き始めた頃。電車も混んでいた。ただしキュウキュウではないけれど・・
都心のターミナル駅から1本見送って乗車したにもかかわらず座れないくらい。急行だか快速だか忘れてけど鈍行ではない電車。
途中の駅から若いお母さんが子供を2人連れて乗り込んで来た。それだかなら別にどうってことないんだけど、一人はまだ乳児かな?歩けないくらいの子供。それを乳母車に乗っけてそれごと乗り込んできた。
確かにつめれば乗れるだろうけど、なんか耕耘機でも押して感じで、乗車しているお客さんを押しやりながら乗り込んできた。思った。なんて社会性のない人だろうと。子どもがかわいそうだし危ないよ。私も乳母車(ベビーバギー?)の車輪のところで足をぐいぐい押され痛かったから余計腹が立ったのかもしれない。
「子供も育てたことが無いあなたに文句を言われたくない」といわれればしょうがないけど・・ちょっとそれは無いんじゃない・・と本と思った。
でも、なんとか好意的に理解しようと思って、「きっとどうしょうも無くて乗ってきたのよ・・」なんて考えてあげてた。
私の目的地は途中で鈍行に乗り換えなくちゃいけない駅だったので、その電車を下車したらその親子も同じ行動で鈍行に乗り換えた。
鈍行は(普通列車とも言う)はがらがら。親子も座席に座った。
で、考えた。この親子最初から鈍行に乗れば良いのに。こんなに空いてるんだったら、他のお客さんに不快な思いをさせなくてもいいし、なによりも子供たちが安全じゃないかって。このおかあさん何考えてるんだろう?また、こういう態度で育てられた子供ってどう育ってくんだろうか?って。ちょっと恐ろしくなった。
で、思い出した。子供の態度で感心した、というか、ああそうか!と思ったことがこの前のポルトガルであった。
ポルトガルのブラガBragaの郊外、ボン ジェスBon Jesusの教会で出会った風景、この写真の親子である(ちょっとブレてしまっているが)
一番左端が父親と思しき人物である。ごくごく普通の庶民の親子である。
彼が跪いて祈りを捧げだすと、子供たちもそれに習って一緒運命跪いてならっている。ちなみに正面を向いている4人が一組で、右を歩いている子供は別の家族。
神社仏閣で我々がお願い事をしているのと同じかな?でもそれよりは結構長く跪いていた。
ポルトガルではちょびっとだけミサに参加したけど、そこの普通の礼拝にも若い兄ーちゃんなんかも来ていたし、教会入ったら、まず正面に跪いて挨拶を深々としている女性達もたくさんみた。それだけ信仰に熱心な国なのかもしれないが、それにしても、子供の頃から親のこういう態度を見て育ってきたから、連綿と続いているのかな?と感じでしまった。
親の姿を見て子供は育つんですものね。
昨日の親子、子供に責任は無いかもしれないけど、正しい社会性をもった大人に育ってほしいと思った。
ああ、今日はちょっと長すぎた。
ああ、せっかく車で買い物に行く・・というよりエンジンをかけようと思ったのにコリャ無理だ!
医院は空いていた。うーん。普通は空いてるのかな?花粉症のシーズンしか行かなかったからすごく混んでたイメージがあったんだけど。
今日処方してもらった薬に気管を拡張する張り薬があった。噂には聞いてたけど張り薬でもらったのは初めて。寒いからなかなか回復しないなあ。
昨日出かけたときに感じたこと思い出して・・
昨日夕方、友達のコンサートに出かけるためにいつもは利用しない私鉄に乗った。時刻は夕方。通勤客が帰途に付き始めた頃。電車も混んでいた。ただしキュウキュウではないけれど・・
都心のターミナル駅から1本見送って乗車したにもかかわらず座れないくらい。急行だか快速だか忘れてけど鈍行ではない電車。
途中の駅から若いお母さんが子供を2人連れて乗り込んで来た。それだかなら別にどうってことないんだけど、一人はまだ乳児かな?歩けないくらいの子供。それを乳母車に乗っけてそれごと乗り込んできた。
確かにつめれば乗れるだろうけど、なんか耕耘機でも押して感じで、乗車しているお客さんを押しやりながら乗り込んできた。思った。なんて社会性のない人だろうと。子どもがかわいそうだし危ないよ。私も乳母車(ベビーバギー?)の車輪のところで足をぐいぐい押され痛かったから余計腹が立ったのかもしれない。
「子供も育てたことが無いあなたに文句を言われたくない」といわれればしょうがないけど・・ちょっとそれは無いんじゃない・・と本と思った。
でも、なんとか好意的に理解しようと思って、「きっとどうしょうも無くて乗ってきたのよ・・」なんて考えてあげてた。
私の目的地は途中で鈍行に乗り換えなくちゃいけない駅だったので、その電車を下車したらその親子も同じ行動で鈍行に乗り換えた。
鈍行は(普通列車とも言う)はがらがら。親子も座席に座った。
で、考えた。この親子最初から鈍行に乗れば良いのに。こんなに空いてるんだったら、他のお客さんに不快な思いをさせなくてもいいし、なによりも子供たちが安全じゃないかって。このおかあさん何考えてるんだろう?また、こういう態度で育てられた子供ってどう育ってくんだろうか?って。ちょっと恐ろしくなった。
で、思い出した。子供の態度で感心した、というか、ああそうか!と思ったことがこの前のポルトガルであった。
ポルトガルのブラガBragaの郊外、ボン ジェスBon Jesusの教会で出会った風景、この写真の親子である(ちょっとブレてしまっているが)
一番左端が父親と思しき人物である。ごくごく普通の庶民の親子である。
彼が跪いて祈りを捧げだすと、子供たちもそれに習って一緒運命跪いてならっている。ちなみに正面を向いている4人が一組で、右を歩いている子供は別の家族。
神社仏閣で我々がお願い事をしているのと同じかな?でもそれよりは結構長く跪いていた。
ポルトガルではちょびっとだけミサに参加したけど、そこの普通の礼拝にも若い兄ーちゃんなんかも来ていたし、教会入ったら、まず正面に跪いて挨拶を深々としている女性達もたくさんみた。それだけ信仰に熱心な国なのかもしれないが、それにしても、子供の頃から親のこういう態度を見て育ってきたから、連綿と続いているのかな?と感じでしまった。
親の姿を見て子供は育つんですものね。
昨日の親子、子供に責任は無いかもしれないけど、正しい社会性をもった大人に育ってほしいと思った。
ああ、今日はちょっと長すぎた。
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