落葉松亭日記

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古典暗唱

2006年09月04日 | 日常・身辺
【主張】古典暗唱 国語力再生に意義大きい 2006/09/04 産経
 学習指導要領の見直しを進めている中央教育審議会の教育課程部会は、小学校の国語教育に古文や漢文の暗唱を導入する方向で検討に入ったという。
 現行の指導要領でも高学年を対象に「やさしい文語調の文章に親しむ」ことが掲げられているが、ある小学6年生の教科書には俳句8句、短歌8首程度が形ばかり載っているだけで、「枕草子」や「徒然草」といった古典のさわりの1行もない。他社の教科書も似たり寄ったりで、文語調に親しむといっても、ほとんど形骸(けいがい)化しているのが実情である。
 古典は先人の精神活動の積み重ねであり、その所産に触れることは、単に子供たちの知識を広げるだけでなく、表現力の幅を広げ、情緒をはぐくみ、道徳意識を形成するのに極めて有益である。
 もちろん、小学生とりわけ暗唱力の大きい低学年を対象とするときは、一字一句の語釈や文法に踏み込む必要はない。「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがあるように、繰り返し耳にすれば、難解な経文すらまるごとイメージのように脳に記憶される。口調のいい古典の文章を繰り返し暗唱すれば、暗唱行為自体が脳を活性化させるだけでなく、暗唱文が心の基層部に深く刻印されるのである。
 子供のころに習った文語調の唱歌などの言い回しについて後年、「あ、あれはそういう意味だったのか」と合点した経験をお持ちの方も少なくあるまい。幼少時の暗唱が教養に転じるのである。古典の暗唱は精神活動の骨組みを作るのに大きな力を持っている。
 ただ、同部会の審議経過報告に「義務教育修了段階までに常用漢字の大体が読め、そのうち1000字程度の漢字が書けることなど、具体的な指標を設定することも考えられる」とあり、漢文の暗唱がこれで本当にできるのか疑問も残る。
 現行漢字教育は当用漢字以来の漢字制限を引きずるもので、暗唱導入の成果はその撤廃抜きには考えられない。ルビを活用し、吸収能力の柔軟な低学年のうちに多くの漢字に接し得る教育に改めるよう注文しておきたい。
 衰微する国語力の再生には、小学生への古典暗唱の導入は極めて有意義であり、ぜひ実現してほしい。

 ブログなど拝見していて、古典の引用があり、語彙の豊富な深みのある文章に会うことが多い。
 小中学生に負けないよう今からでも古典に親しまなければと思うのだが、あの般若心経がなかなか覚えられない。

 無学な私だが、水辺の風景などを見ると思い出す文もある。歳のせいか。

鴨長明「方丈記」
 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
 世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。