落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

胡錦濤「江沢民残党」を一斉追放

2006年09月26日 | 政治・外交
 中共政府が変わりつつある。極端な反日教育を推進してきた江沢民勢力が追放されたという。

 「江沢民」についてwikipediaより
 *******************************
 2006年8月に発売された江沢民文選によると、1998年8月「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない」と外国に駐在する大使など外交当局者を集めた会議で指示を出していた。同年11月に中国国家主席として初めて日本を訪れた際は「日本政府による歴史教育が不十分だから、(国民の)不幸な歴史に対する知識が極めて乏しい」と発言して日本の歴史教育を激しく非難している。
 ********************************
 日本の対中外交にとっては少しは明るいニュースになるかどうか。
 それにしても中国4000年権力闘争は永遠に続く。そういう国だと思って屈することなく媚びることなく外交してもらいたいもの。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成18年(2006年)9月27日(水曜日)通巻第1567号 より

 陳良宇・上海市書記が失脚。胡錦濤、ついに「江沢民残党」を一斉追放へ
 政治局員の失脚は11年ぶり、政治激変の兆候か


 絶大な権勢をほこる中国共産党・上海のトップがひっくり返ったのである。
 筆者が兼ねてから予想してきたとは言え、ピッチが早い。これで前国家主席の江沢民「院政」時代は完全な終わりを迎えた。

 直前の八月まで、胡は江沢民を二階へあげて、褒めそやしている内に梯子をはずした。
 すなわち『江沢民選集』を出版させて、各行政単位の末端にまで強制的に買わせたから、その印税だけで4億元とも言われる。
江沢民は有頂天だった。
 狙いは江沢民を油断させ、不断からゆるい上海派の団結力をそぐことに置かれていた。

 陳書記失脚で、いまのところ報道されているのは上海市の社会保険基金をめぐっての汚職事件だが、この背後には常に共産党同市トップの陳良宇・党委書記(党政治局員)の陰がちらついていた。
 この一味が横領したカネは40億元とも言われている。

もとより上海不動産のバブル化の黒幕も陳書記だが、胡錦濤は、念入りの捜査を重ねさせて、ようやく党は陳書記を抜き打ち的に解任したのだ。
捜査したのは上海の検察でも公安でも警察でもない。中央直属の「党中央規律委員会」。

「つまり陳良宇一派の存在が胡の政策遂行に障害となると判断したからであり、それ以外に現職の政治局員の失脚はありえない」(NYタイムズ、9月25日付け)。

しかも次のターゲットは黄菊(前上海市長、江沢民の番頭、現在政治局序列六位)であり、黄夫人はすでに拘束されている。

陳良宇書記も黄菊も江沢民・前国家主席に連なる「上海閥」の最有力メンバーだ。
現職政治局員の解任は江沢民の最大の政敵だった大物、陳希同・元北京市党委書記が汚職事件に関与したなどとされて解任以来、11年ぶりの「大事件」だ。陳希同は内蒙古の刑務所に送られ、まだ収監されたまま。

日本のマスコミは「胡指導部の発足以降、汚職事件に絡む最も高い地位の幹部の処分で、腐敗問題に厳しく臨む胡政権の姿勢を打ち出した」などと言っているが、これは本質ではない。


▼権力の内部争いが、ドラマの本質である

陳良宇は書記に就任する前は「上海市長」だった。
この市長時代に不動産バブルの影で業者の周正毅と組んで大儲け、一連の上海派のスキャンダルの元締めと言われた。
 民間で官と癒着し不動産投機で巨額の汚職をおこなった主犯は民間デベロッパーの周正毅だが、この周が拘束、逮捕、起訴と進むにしたがって陳市長の弟(陳良軍)と市長夫人の関与が取りざたされ、失脚は時間の問題と言われていた。このとき市長は韓正に変わったが、陳良宇は失脚どころか「大出世」を遂げて上海市書記になったのである。

 つまり上海でトップの位置についたのだから、背後で院政を敷いていた江沢民の保護がなければ、あり得ないことだろう。

 香港の雑誌『開放』(8月号)によれば陳良宇書記には最近、「美人女子学生が愛人」と噂された。ところが陳書記の事実上の愛人は上海大学保衛第一派出所所長で尤麗分という中年の女性らしい。

 同じく江沢民の子分、黄菊(政治局員、序列6位)は末期癌で中央政界から退場するのは時間の問題といわれる。
醜聞の元凶は夫人の余慧文だ。
余は上海の不動産富豪の張栄坤(中国富豪ランク46位)と手を組んでのスキャンダルが絶えず、中央規律委員会が隔離審議にはいった。
 とくに張栄坤は不動産、家具製造のほか高速道路企業を経営、これは上海と杭州を結ぶドル箱路線。その買収の過程で賄賂など巨悪の証拠があるとする官製情報が盛んに流れている。

 このようなトップの志気の緩みは軍の腐敗を生む。
最近も海軍ナンバー2だった王守業の失脚が伝わり、ついでオリンピックを控える首都で北京市副市長の劉志華が失脚した。
 背後にある胡のキャンペーンは「反腐敗」が看板、実態は守旧派の排除なのである。

 ついで胡錦濤は天津市のトップ(共産党委員会書記)の張立昌(政治局員)をコーナーへ追い込んだ。これも検察を越えて、いきなり党直属の中央規律検査委員会が捜査に乗りだした。

 上海派排除のために「暴動を政治利用」しているのも胡錦濤である。
 イアン・ブレマー(リスク管理専門家)は「ヘラルド・トリビューン」(7月15日付け)への寄稿で、「胡錦濤が暴動の統計をいきなり公開した大きな理由は上海派の残党狩りである。前任者江沢民時代にこういう社会不安をあらわす数字の公表はなかったから」。

 守旧派となった上海派の巻き返しは一時凄まじいものがあった。
胡の右腕、温家宝一家の財務スキャンダルが西側マスコミに漏れるのは、復讐劇の一環だ。
温首相の長男、温雲松の株投機、張培莉夫人と大手保険「平安保険」との異常な関係など嘗ての李鵬首相夫人のインサイダー取引黒幕説を彷彿とさせる。
 ともかく、こうした政争に身の安全をはかって急速に胡に近づいたのは、嘗ての江沢民の右腕・曾慶紅(序列五位、国家副主席)だ。 


 ▼これだから面白い中国の奥の院の政争

 本質に横たわるのは「三国志演義」的な血みどろの権力闘争である。
中国の奥の院で展開される熾烈な権力闘争は常態であり、決して止むことはない。

 近年の特色は、単に軍権を誰がおさえるか、という基本動向をウォッチするだけでは実態は判らない。改革開放以来、多彩な枝が増えて、誰が率いる、どの派閥が、最大の財力を扶植できるかという視点が中国政治を解析する際に重要なのだ。

 中国の派閥は従来的には親族および同郷のコネクション重視だった。
共産主義と言っても人間集団であり、伝統的体質をすぐに脱皮できる筈はない。地方軍閥の群雄割拠という特質は三国志以来、不変の原則だ。

 中国共産党のトップ・胡錦濤は安徽省出身だが、学閥は清華大学で人脈は共産主義青年団(これを「青紅幇」という)。
 ちなみに温家宝首相は天津出身。前主席の江沢民は上海、トウ小平は四川省、毛沢東は湖南省出身。朱容基前首相も台湾野党指導者の宋楚諭も湖南人だ。
 ところが従来の地域閥の空間を越えて胡錦濤は「青紅幇」を中軸に活かし、「上海派」の排除を陰湿に展開してきた(この場合の「上海派」とはビジネス利権に繋がる江沢民前主席の利権集団を意味する)。

 胡錦濤は人事権を巧妙に行使し、守旧派分断を図った。
 最初は香港の行政長官更迭だった。
 富が集中する香港を動かしてきたのは旧イギリス利権と結んだ広東閥と寧波人脈が主流だった。
董建華前行政長官は包玉剛らの海運人脈からでた江沢民派だった。江沢民が引退した途端、董は寧派人脈=上海閥をきらう胡錦濤によって行政長官の椅子から引きずり下ろされた。

97年の香港返還から九年間、香港の自治は窒息寸前。中国の影響力がつよまり、ビジネス界でも民主化グループは雲散霧消、マスメディアも殆どが北京寄りにスタンスを変えた。民主化の象徴として高い人気を誇るアンソン・チャン女史は次期香港行政長官には立候補しない、と表明した。

 「いまの選挙のルールは、はるかに民主化のプロセスから離れており、民主化を願う人々を失望させるだけのゲームの決まりを作ったようなもの」とアンソン女史は不出馬理由を述べた。(NYタイムズ、9月25日付け)。

アンソン・チャンは中国返還記念日(7月1日)の民主化デモに参加した。陳方安生女史は北京に対して物怖じせず、率直な発言をすることでも有名で、昨年12月の民主化デモにも参加し、普通選挙の全面導入を訴えた。
 その彼女が香港の未来に暗いヴィジョンしか抱けないほどに香港の経済も政治も希望を失ったわけだ。

香港特別行政区政府は、中国の覚えめでたき曽蔭権(ドナルド・ツァン)が行政長官を2005年6月以来務めている。かれは錦濤派と見られている。