よく見ると、片手袋の後ろにビールの空き缶も挟まってます。こういう時、この片手袋と空き缶の間に何となく物語があるように思ってしまいます。
例えばこれなんかは、「帽子も片手袋も忘れていくなんて、粗忽者だな~」なんて思ってしまいますが、帽子を落としたのと片手袋を落としたのが同じ人であるという確証はどこにもありません。
でも見出すんです、物語を。無理やりにでも紡ぐ。だって「片手袋の背後にある物語を想像する」という行為自体、そもそも“想像”の域を出ない訳です。でも無理やりにでもそこに物語を見出していくと、その物語は不思議な連鎖を生みだします。
これがユング心理学でいうところの「コンステレーション」というやつです。いや、僕はユング心理学なんて全然知らないのですが、大好きな水道橋博士の著作を通じてこの考え方を知りました。
別にオカルトチックな話をしたい訳じゃなく、見知らぬ者同士でさえ、様々な物語で繋がっている、と思ってみると、味気ない大都会が急に色彩豊かなまちに見えてくる訳です。
この猫と片手袋の間に、緊張関係を見出す。なんだか面白くなってきます。
と同時に、“観察”という“想像”とは真逆の姿勢も忘れない。これが片手袋研究の醍醐味ですし、過去にもその事については少し書きました。
今日は何でこんな話を書いているかというと、幾つかの媒体で「文学的心と科学的姿勢で片手袋研究に臨みたい」と自分が言っているのを見て、「唐突にそんな事言っても、何の事だかさっぱり伝わらないよ!」と思ったからであります。
…まあ、書けば書く程、やっぱりちょっとおかしい人に思えてきますわ。我ながら。