2018/8/12 イザヤ書43章1-4節「愛を届ける言葉」
今日から新しい説教シリーズです。ここ数年、聖書が語っている物語を全体像で捕らえようとするアプローチが盛んです[1]。長老教会の関係でも『神の大いなる物語』が出ています[2]。これを取り上げたいと思っていました所、先月の小会で「愛を伝える方法」(のテーマを「説教でも話してほしい」と言うことになりましたので、ここを切り口に始めて行きたいと思います。
1.『愛を伝える5つの方法』
イエス・キリストは「最も大事な戒め」を聞かれ、
「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」
と仰いました[3]。私たちを愛される神を私たちも愛し、互いに愛し合う。それがキリスト教の最も重要な柱です。ではその愛をどのように表していけば良いのでしょうか。立派な答よりも、教会で、またそれぞれの家庭、夫婦、親子でさえ愛の伝え方が分からないということは多くあるのではないでしょうか。私はこの『愛を伝える5つの方法』で随分助けられました。著者は牧師で結婚カウンセラー、夫婦のコミュニケーションを「愛の5つの方法」という切り口で整理しています[4]。
具体的には、肯定的な言葉、充実した時間、贈り物、助ける行為、スキンシップです。大きく分けて愛にはこういう豊かな方法があります。私たちはお互いに違う者ですが、こうした表現を用いて愛を伝え、受け取っているのです。詳しくは来週から見ていきますが、肯定的な言葉をかけること、一緒に時間を過ごすこと、何かプレゼントをすること、お手伝いをすること、手を繫いだりハグをしたりする。そうした形で、見えない思いを届けることが出来ます。
そして厄介なことにその伝え方も人それぞれです。方法は原文ではランゲージ(言語)。日本語と英語、スワヒリ語と中国語といった外国語はお互いに全く違います。愛の伝え方は5つだけでも、大事にしている方法が違えば会話にならないのです。親が「子供のために一生懸命働いて稼ごう、一緒にいられなくてもお金や必要なものは買えば分かるだろう」と思っても、子供は「うちの親はお金をくれるばかりで一緒にいようともしないから自分のことは愛していないのだ」と孤独であることがあります。夫が何かと妻を誉めても、妻は「家事を手伝って欲しいのに口ばっかり」と怒ることがあります。かとおもえば、口べたな夫が「妻のためならどんな犠牲も厭わない」と思っていて、妻が「あの人は何も話したり手を繫いだりしてくれない」と傷ついている。そういう悲しいすれ違いがあり、大きな断絶になることもあるのです。
2.神の愛の伝え方も
そのすれ違いを解決する話の前に、人との関係も大事ですが、愛の源泉は神ご自身です。神の愛の豊かさを十分に味わい切れていないとしたら、そこから始めようではありませんか。今日のイザヤ書43章4節
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
はよく知られて愛されている箇所です。この言葉がこれほどよく使われるようになったのは40年も経たないのではないかと指摘されていますし[5]、前後を読むとイザヤ書当時の歴史的な複雑な事情も伺えます。しかしそのような文脈はさておいて、この言葉が取り上げられて、頻繁に引用されること、そして実際本当にこの言葉を瞑想すると深い慰めや力をもらえる事実は、主が聖書で私たちに愛の言葉を語って下さっている証しです。聖書には主の愛が沢山語られています。肯定的な励ましや希望が語られています。「価値はないけれど愛している」ではなく「高価で尊い」という言葉があります。そうした希望の言葉が聖書に貫かれています。
では「充実した時間」はどうでしょうか。ここでは
2あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。
と言われています。どんな時も主はともにいる、と言われます。同じイザヤ書46章には
3ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。4あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
と語られています。マタイの福音書はイエスをインマヌエル(神は私たちとともにおられる)と紹介して、最後28章20節をイエスの
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
の約束で結んでいます。
「贈り物」は…贈り物だらけ、です。この体も命も、食べ物、家族や友人、自然や健康、美しい音楽、爽やかな風。私たちを支えるもの、必要なもの、私たちを喜ばせ、成長させてくれるものはすべて神からの贈り物です。イザヤは天地の造り主なる神を繰り返して語りますし、山々や木々や鷲や羊が神のメッセージだと語っています。イエスは太陽も雨も神の惜しみなく無条件のあわれみだと言いました。何よりイエスご自身が贈り物で、聖霊も贈り物です。[6]
また、
「神は私たちの助け」
です[7]。私たちを背負い、執り成し、万事を益となるよう[8]働いておられます。罪の汚れを洗い去り、逃れの道を備え、髪の毛も数え、心の呻きも拾い上げてくださいます。イエスは私たちに仕えるために世に来ました。礼拝もサービスといいますが、人が神にする奉仕ではなく、まず神ご自身が私たちに仕え、十字架の贖いによって、私たちを今ここにおらせてくださる。しもべとなって私たちを助け、支えてくださる神への礼拝なのです。
最後のスキンシップもイエスを思い起こしましょう。イエスは私たちと同じ肉体を持つ人間となりました(受肉)。言葉だけで癒やせるのに、病気の人の肌に触れました。子どもたちをハグして祝福されました。今も「主の聖晩餐」という触って味わう儀式で体感させてくださるのです。
3.愛ならぬものでなく愛を
私はこの5つの視点で神の愛がグッと身近になりました。そして、神の愛を豊かに味わう時、その愛が本当に一方的な愛、無条件で無制限で、聖なる愛だと確認しました。私たちが人に伝えるのもそのような愛、主イエスが下さった愛を土台とする生き方であるはずです。神の無条件の愛を土台として夫婦や親子の関係も本当に「相手を愛したい、大事にしよう。それでもうまく行かない」という時は「5つの方法」はヒントになります。しかしその前に、私たちが神の愛から離れて鈍感になっている問題があります。自分が神に愛されている者、色々あっても「高価で尊い者」ではなく、努力や業績、時には嘘や力尽くででも価値を手に入れなければ愛されないと思い込まされています。大事な夫婦や親子、教会の中でも「愛を伝えたい」はずなのに、愛のようで神の愛とは違うものを届けてしまう事が多いのです。愛してくれない寂しさや非難の方が大きくて、かえって関係をこじらせてしまう事が多いのです。あなたには愛がないとか、何か良いことをして条件を満たせば愛される、というメッセージは愛ではありません。人の生き方を土台として神の愛がもらえるのではなく、神の惜しみなく一方的な愛が土台になり、だからこそ罪を捨てて、神の家族として生きていこう、それなら愛のメッセージです。
聖書は、神の愛から離れて、お互いにも傷つけ合っている人間の歴史が記されています。しかし、その人間をも神が愛されて、神の愛に気づかされていく歴史です。その愛に気づくことで、人も互いに愛し合い、赦し合い、ともに歩むようにと招かれる物語です。その1つの手がかりとして、皆さんは自分がどんな方法で愛を表しているか、どんな方法で愛を一番感じられるか、また皆さんの周りの大事な(でもちょっとぎこちなくなっているかもしれない)人が自分とは違う表現の人ではないか、考えてみてください。そして、お互いの違いを残念だと思わずに、その違うお互いが神に愛され、イエスの愛を注がれている者として見るようにしていただきましょう。違う私たちが、お互いの違いを受け入れ、不器用ながらも愛し合うようになっていく。そういう小さな見えない所での回復によって、神の国がまた一頁前進するのです。
「大いなる、そして本当に細やかで惜しみない愛の主よ。あなたが私たちを愛して、言葉や時間や贈り物を下さり、私たちに仕えてくださっていることを感謝します。まだまだあなたの愛を知り、気づくに足りない私たちが、十字架と復活の主を仰ぎ、その恵みを至る所に見ながら、お互いの関係をも育てていくことが出来ますよう、知恵と恵みの聖霊によってお導きください」
[1] ベルンハルト・オット『シャーローム 神のプロジェクト』(いのちのことば社、杉 貴生 (監修)、 南野 浩則 (翻訳)、2017年)、子供向けには、サリー・ロイドジョーンズ『ジーザス・バイブルストーリー 旧新約聖書のお話』(いのちのことば社、廣橋麻子訳、2009年)。また、W・ブルッゲマン『預言者の想像力 現実を突き破る嘆きと希望』(日本キリスト教団出版局、鎌野直人、2014年)も。
[2] ヴォーン・ロバーツ『聖書の全体像がわかる 神の大いなる物語』(いのちのことば社、山崎ランサム和彦訳、2016年)。本書の出版は、日本長老教会のグレースシティチャーチ東京のプロジェクトによるものです(あとがき「本書について」参照)。
[3] マルコ伝12章29-31節。
[4] 本書は、アメリカ長老教会の牧師ティム・ケラーが『結婚の意味 わかりあえない2人のために』(いのちのことば社、廣橋麻子訳、2015年)の第五章で引用しています(187、218、221頁以下)。なお、以下のサイトには、本書の「5つの言葉」のどれが自分の「第一言語」かのテストがあります。http://www.ijcchawaii.org/message/The%20Five%20Love%20Language/The%20Five%20Love%20Languages.htm
[5] 後藤敏夫『神の秘められた計画 福音の再考 - 途上での省察と証言』(いのちのことば社、2017年)113頁。
[6] ルカ伝十五31「父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。』」もどうしても見ておきたい言葉です。
[7] 詩篇四六1「神は われらの避け所 また力。 苦しむとき そこにある強き助け。」他。
[8] ローマ八28。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
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