
[1] 「柔和」と「宮きよめ」とは対照的ではないのでしょうか? いや、これが貧しい人々、障害のある人々や子ども、異邦人らへの大胆な行動であることを思うと、この出来事も「柔和な王」の力だと覚えさせ得られるのです。因みに、マルコの福音書では、ロバに乗った入城の翌日(月曜日)に「宮きよめ」となっていますが、マタイは、その事には拘らず、「宮きよめ」を「エルサレム入城」と直結させています。
[2] レビ記1章14節(主へのささげ物が鳥の全焼のささげ物である場合には、山鳩、または家鳩のひなの中から、自分のささげ物を献げなければならない。)、5章7節(しかし、もしその人に羊を買う余裕がなければ、自分が陥っていた罪の償いとして、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽を主のところに持って行く。一羽は罪のきよめのささげ物、もう一羽は全焼のささげ物とする。)そして、5章11節には「もしその人が、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽さえも手に入れることができないのなら、自分の罪のために、ささげ物として、十分の一エパの小麦粉を罪のきよめのささげ物として持って行く。その人はその上に油を加えたり、その上に乳香を添えたりしてはならない。これは罪のきよめのささげ物であるから。」とまで、次の策が規定されています。
[3] 申命記14章22~26節(あなたは毎年、種を蒔いて畑から得るすべての収穫の十分の一を、必ず献げなければならない。23主が御名を住まわせるために選ばれる場所、あなたの神、主の前であなたの穀物、新しいぶどう酒、油の十分の一、そして牛や羊の初子を食べなさい。あなたが、いつまでも、あなたの神、主を恐れることを学ぶためである。24もしあなたの神、主が御名を置くために選ばれる場所が遠くて、あなたの神、主に祝福していただくために運んで行くことができないほど、道のりが長いなら、25あなたはそれを金に換え、その金を包んで手に取り、あなたの神、主が選ばれる場所に行きなさい。26あなたは、そこでその金を、すべてあなたの欲するもの、牛、羊、ぶどう酒、強い酒、また何であれ、あなたが望むものに換えなさい。そしてあなたの神、主の前で食べ、あなたの家族とともに喜び楽しみなさい。)
[4] 各地のコインは像が刻まれていましたから、ユダヤ人の律法解釈では「偶像」と見なされたのです。
[5] イザヤ書56章2~8節「幸いなことよ。安息日を守って、これを汚さず、どんな悪事からもその手を守る人は。このように行う人、このことを堅く保つ人の子は。3主に連なる異国の民は言ってはならない。「主はきっと、私をその民から切り離される」と。宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ」と。4 なぜなら、主がこう言われるからだ。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、5 わたしの家、わたしの城壁の内で、息子、娘にもまさる記念の名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。6また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった異国の民が、みな安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、7わたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のささげ物やいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。8 ──イスラエルの散らされた者たちを集める方、神である主のことば──すでに集められた者たちに、わたしはさらに集めて加える。」
[6] エレミヤ書7章2~11節(「主の宮の門に立ち、そこでこのことばを叫べ。『主を礼拝するために、これらの門に入るすべてのユダの人々よ、主のことばを聞け。3イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたがたの生き方と行いを改めよ。そうすれば、わたしはあなたがたをこの場所に住まわせる。4あなたがたは、「これは主の宮、主の宮、主の宮だ」という偽りのことばに信頼してはならない。5もし、本当に、あなたがたが生き方と行いを改め、あなたがたの間で公正を行い、6寄留者、孤児、やもめを虐げず、咎なき者の血をこの場所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、7わたしはこの場所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住まわせる。8見よ、あなたがたは、役に立たない偽りのことばを頼りにしている。9あなたがたは盗み、人を殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに犠牲を供え、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。10そして、わたしの名がつけられているこの宮の、わたしの前にやって来て立ち、「私たちは救われている」と言うが、それは、これらすべての忌み嫌うべきことをするためか。)11わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた──主のことば──。
[7] 神殿は、大祭司が年に一度だけ入れる「至聖所」と、祭司だけが入れる聖所を中心に、その回りに、ユダヤ人男性が入れる庭、その回りにユダヤ人女性が入れる「女性の庭」、そして、その外に、異邦人はそこまでしか入れない「異邦人の庭」という構造になっていました。これは、最も外側の「異邦人の庭」でのことです。これを今日の教会堂に適応するなら、「礼拝堂」では金銭のやりとりや飲食などを禁じる、ということではなく、玄関が「にわか」の人たちにとって入りにくくなっていないか、という問いかけとして聞くべきなのです。
[8] Ⅱサムエル記5章6~9節(王とその部下は、エルサレムに、その地の住民エブス人のところに行った。すると彼らはダビデに言った。「おまえは、ここに攻めて来ることなどできない。目の見えない者どもや足の萎えた者どもでさえも、おまえを追い出せる。」彼らは「ダビデがここに攻めて来ることはできない」と考えていたのである。7しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これがダビデの町である。8その日ダビデは、「だれでもエブス人を討とうとする者は、水汲みの地下道を通って、ダビデの心が憎む『足の萎えた者どもや目の見えない者ども』を討て」と言った。それで、「目の見えない者や足の萎えた者は王宮に入ってはならない」と言われるようになった。9ダビデはこの要害に住み、これを「ダビデの町」と呼んだ。ダビデはその周りに城壁を、ミロから一周するまで築いた。) 聖書協会共同訳は、8節の「王宮」を「神殿」と訳しています。
[9] 「驚くべきことサウマシオス」(直訳:驚き)はここのみの言葉です。そしてそれゆえにこそ、この驚くべきことを見てさえ、祭司長たちは驚かなかった、それこそ驚くべき頑なさ、というよう。
[10] 16節の「子どもたち(フートイ)が何と言っているか」は意訳で、「これらが何と言っているか」という問いです。乱暴に訳せば、「これら」「こいつら」とも出来る、突き放した言い方です。
[11] 詩篇八篇「主よ 私たちの主よ あなたの御名は全地にわたり なんと力に満ちていることでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。2幼子たち 乳飲み子たちの口を通して あなたは御力を打ち立てられました。あなたに敵対する者に応えるため 復讐する敵を鎮めるために。3あなたの指のわざである あなたの天 あなたが整えられた月や星を見るに4人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。 人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。5あなたは 人を御使いより わずかに欠けがあるものとし これに栄光と誉れの冠を かぶらせてくださいました。6あなたの御手のわざを人に治めさせ 万物を彼の足の下に置かれました。9主よ 私たちの主よ あなたの御名は全地にわたり なんと力に満ちていることでしょう。
[12] 神殿の商売で搾取されている人々、宮には相応しくないと排除されてきた目や足の不自由な人々、そして、賛美を口にすることも生意気だと思われていた子どもたち。こうした人々を、イエスは優先されました。その柔和さのゆえに、権力側の商売人を追い散らすことも厭わず、祭司長たちにも怯まずに子どもたちを庇われました。これが、イエスの激しい柔和さでした。神殿礼拝にとってこれは全く仰天ものでした。今の社会も、障害者が居づらく、裕福な人には優しく貧しい人には冷たい。私たちもそんな考えや差別意識の影響を否応なく受けて、教会を健康で似たような人がいて、活動を維持してくれる人の来会を期待してしまいます。礼拝や信仰でも、神のため、ふさわしい礼拝のためという大義名分が優先してしまいます。熱心が高じて、神や礼拝を代弁しなければ、と人を説得しよう、教えようと焦ることもあるでしょう。そうなればなるほど、私たちは柔和さとは逆の、怒りや頑固さに強ばってしまいます。
[13] 17節「泊まられた」アウリゾマイ ここのみ。アウレー(庭、屋根なしの空間)。26:3、58、69の派生語です。立派な神殿のある都は、イエスの泊まる場所ではなく、イエスにとっても「わたしの家」「祈りの家」ではありませんでした。イエスは、王でありながら、野宿同然にベタニアに泊まります。それは、8章20節で「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」と仰った通りで、また、多くの庶民が野宿したのと同じ生き方を選ばれた証しでもあります。
ベタニア 26:6でも。(さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、) ここでもイエスは、貧しい人の友となっている。
[14] イエスは、私たちが人生を計算し、貸し借りを書き留めた机をひっくり返してくださる。私たちのソロバンをひっくり返してくださる。支配が変わる時、通貨も古いものは紙切れとなる。ヨベルの年に、借金はすべてなくなり、財産も屑になる。
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