2014/11/09 ルカ19章41~44節「イエスはその都のために泣いて」
イエス様が十字架にかかられるその週に、エルサレムに入って行かれる所です。そこで、ルカだけが記しているのが今日の記事ですが、イエス様が、エルサレムのために泣かれたというのです。イエス様が涙を流されたと伝える箇所は三つありますが[1]、今日の箇所はその一つで、イエス様のこの時の感情の激しさ、溢れる思いというのを現しています。
37節以下に見ましたように、弟子たちはエルサレムに入ることで感極まり、イエス様の素晴らしい御業を思い出しては大声で神を賛美しだしました。喜び、賛美、興奮です。ところが、その横で当のイエス様が、涙を流し始められたのですから、弟子たちはさぞかしビックリしたことでしょう。他にイエス様が泣かれたと書いてある箇所は少ないのですし、これは喜びや感激ではなく、悲しみ、苦しみの涙です。弟子たちは、本当に驚いて、歌も止んだことでしょう。喜びや期待が漲っていたはずの所に、イエス様が突然号泣されたというギャップ。それだけの激しい思いが、ここで浮き上がって来ます[2]。なぜ、イエス様は泣かれたのでしょうか。
42言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。…」
勿論、エルサレムという町に何か人格や魂があるということではありません。エルサレムに象徴される、ユダヤの民、神の契約の民、イスラエル人たちが、平和のことを知っていない、という意味です。このエルサレムという名前自体、「神(エル)の平和(シャローム)」という意味があります。神の平和、という都なのに、神の平和を知らない[3]。そこに、彼らの不信仰が現れています[4]。
見たところエルサレムは、ローマでも屈指の美しさと言われる神殿があり、丁度「過越の祭」の巡礼者たちが集まって、賑やかな都でした。弟子たちの心も浮かれ、都を見て、興奮は頂点に達していた筈です。しかし、イエス様はその外見上の賑わいや逞しい建造物を見ながらも、その信仰の根本的な問題を見抜いて、その都を目にしながら、悲しみや痛ましさで堪らなくなってしまったのです。決して、ご自分が十字架にかかる苦しさや弟子たちも離れて行く切なさで泣かれたのではありませんでした。また、
43やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
44そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。…
とありますが、それが悲しくて泣かれた、のでもないのですね。確かに、エルサレムはこの後、四〇年ほどした紀元七〇年、ローマ軍によって陥落させられ、叩きのめされます。非常に残酷な最期を遂げます。「その中の子どもたち」と言われるエルサレムの住民も、文字通りの子どもたちも虐殺されます。けれどもそのことを予見してイエス様がこれを言われているというよりも、イザヤ書やエレミヤ書の裁きの預言を引用されているのです[5]。イスラエルの民が、主に逆らい続けるならば、主が何百年も前からハッキリと警告されていたようになる。最後にはエルサレムといえども敵が取り囲み、滅ぼされ、中にいる人たちは皆殺しになり、エルサレムも跡形もなくなると言われていたとおりになる。そう思い出させているのです。
実際、エルサレムには今も「嘆きの壁」というのがありますが、紀元七〇年のローマの襲来によっても潰されなかった石壁です。石が積まれたまま残されたのです。イエス様が仰った言葉は外れたのでしょうか。いいえ、イエス様が言いたかったのは数十年後の予告や警告ではなくて、その結果を嘆かれて涙されたのでもなくて、偏(ひとえ)にイスラエルの民の不信仰、契約違反を思って、慟哭されたのです。ですから、最後にイエス様はもう一度仰います。
44…それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
訪れの時、とはルカが何度も使ってきた言葉で、イエス様のお生まれを通して証しされた、神様の訪問、顧みのことです[6]。イエス様のお生まれにおいて、神様が民を顧みてくださった。訪ねて、様子を気遣い、お世話をしてくださるのです。先にイエス様が言われたように、
十九10人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。
イエス様が、失われた状態にあった私たちを訪ねて来てくださり、捜して救い出し、神様によって造られた本来の状態に回復してくださることに、私たちの平和があるのです。けれども、エルサレムはそのイエス様をまもなく十字架にかけようとしています。イエス様の言葉も愛も、平和の恵みも理解できず、頑固になり、思い上がって、イエス様を叩き殺さんばかりの憎しみで十字架に殺そうとしています。自分たちのやり方、豊かさ、力に拠り頼んで、神の訪れにも心を閉ざしている。その事をイエス様は悲しまれているのです。でも、イエス様は、怒って冷淡に突き放してしまうのではなく、泣かれました。なお熱い情熱、溢れる思いをもっておられます。繰り返しますが、それはエルサレムの町そのものではなく、そこに象徴される人々への愛であり、憐れみです。そして、その愛のゆえに十字架に掛かろうとされているのです。
では私たちは今、この町、この国の都市、この国をどんな目で見るのでしょうか。この国の不信仰を嘆いて、裁きを予告する-そういう結論にさっさと飛びつく前に、ここに住む人々を神様がどれほど愛しておられ、平和を知らせようとされているか、を強く思わされるのです。
ルカは「使徒の働き」で、パウロや使徒たちが各地の大都市を訪れた事を伝えます[7]。その繁栄を「バベルの塔」だ、悪魔の町だ、などと蔑んだりはしませんでした。そこに真の神が礼拝されることを願って、命も惜しまずに伝道するのですが、それは都市に象徴される人間の文化や営みが、真の神を中心としてあるべきだから、です。繁栄した不信仰よりも、貧しくても神との平和があるほうがいいに決まっていますが、そんな黒か白か、極端な二者択一に走るよりも、信仰を中心に据えた町、本当に「神の平和」と呼ばれるような豊かな営みを、神様は望んでおられることを、イエス様の涙は教えてくれます。
そもそもこの町に、私たちが神の平和を与えられた者としてある、ということはどれほど尊い事でしょうか。弟子たちと同様、まだよく分かってはいなくても、しかし、この私たちを主が捕らえてくださり、平和を戴いたと知らされています[8]。そのような恵みを知らされた者として、私たちが今ここに、それぞれの場所に生かされています。平和を造る難しさを感じています。こじれた関係をどう戻せば良いのか分からず手を焼きます。それでも、私たちは、そのような私たちを一方的な契約によって救いに入れ、永遠の平和をもたらしてくださった、主イエス・キリストの福音を知らされています。その主の御業と御言葉に拠り頼んで、歩んでいます。文化や経済、事業、人間の営みは決して無意味ではありません。でも、それ以上に大切なもの、そして、そうした豊かさや繁栄に初めて命を吹き込むもの-真の神の平和、キリストが私たちとともにおられる事実。これを私たちが受け止め、味わいながら、ここに生かされている事実が、イエス様の愛、涙に溢れた程に熱い御心によってある事実を受け止めるのです。
「私共を訪れたもうた主よ。エルサレムから地球の裏側のここにまで、あなた様は平和を携えて来てくださいました。涙も笑いも、喜びも悲劇もある私たちを、あなた様がどれ程、熱い思いで見ておられ、愛し、朽ちない絆で結びつけておられることでしょうか。その主の御愛と御業に根ざして生き、労し、積み重ねる私たちの歩みにより、この町に御恵みを現してください」
[1] 本節の他に、ヨハネ十一35「イエスは涙を流された。」、ヘブル五7「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」
[2] 「泣く(クラウゾー)」はルカが最多の九回も使っています。(マタイ1回、マルコ4回、ヨハネ6回)。ルカ六21「いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。」25「いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。」、七13「主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。」、32「弔いの歌を歌ってやっても、泣かなかった。」、38「泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。」、八52「人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」、十九41、二二62「彼は、外に出て、激しく泣いた。」、二三28「しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。」 ルカ福音書の「人間らしさ」が、この「泣く」という人間的感情を多用した事実にも現れています。
[3] 先ほど弟子たちは、歌っていました。「38…「祝福あれ。主の御名によって来られる方に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」しかし、イエス様は仰います。エルサレムには、平和のことが何も分かっていない。
[4] この事がわかる一つは、エルサレム入城の瞬間というものを、ルカは何も書かない、という記述です。人々が期待を寄せ、弟子たちがあれだけ興奮していたエルサレム入城なのに、次の45節ではいつのまにか、宮に入っておられるのです。
[5] 「イザヤ二九3わたしはアリエル[エルサレムのこと]をしいたげるので、そこにはうめきと嘆きが起こり、そこはわたしにとっては祭壇の炉のようになる」。また、エレミヤ書六章(6節ほか)、エゼキエル書四2、二六8、なども参照。
[6] 「訪れ」エピスコペー 使徒一20「その職」、Ⅰテモテ三1「監督の職」、Ⅰペテロ二12「おとずれの日に神をほめたたえるようになります」。動詞形でルカ一68「主はその民を顧みて、贖いをなし、」、78「そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ」、七16「神がその民を顧みてくださった」、使徒六3「選びなさい」、七23「顧みる心を」、十五14「異邦人を顧みて、」、36「たずねて行って」。ヘブル二6「主は御使いたちを助けるのではなく、確かにアブラハムの子孫を助けてくださるのです。」、ヤコブ一27「孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、」
[7] サマリヤ、アンテオケ、テサロニケ、コリント、エペソ、そしてローマなど。いずれも当時の大都市、州都です。
[8] 弟子たちもイエス様のすぐそばで、「天には平和」と歌い、盛り上がってはいても、その平和のなんたるかをまだよく分かっておらず、エルサレムを見て泣かれる御心からは遠く離れていました。でも、彼らはイエス様をお迎えし、イエス様の平和の中に入れられていました。
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