2014/07/06 「人は神のかたちに造られた」エペソ書四章22節~五章1節
ウェストミンスター小教理問答10
先週は、神の創造のみわざについてお話ししました。神様のすばらしい創造のみわざの中でも、特に人間の創造についての教えが、今晩のテーマです。
問 神は、人間のどのように創造されましたか。
答 神は、知識と義と聖性においてご自身のかたちにしたがい、被造物に対する支配権を持つ者として、人間を男と女に創造されました。」
私たちは、「神のかたちに造られた」存在です。創世記の最初、一章26節で、神が人をお造りになる時に、
「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地を這うすべてのものを支配するように。」
と仰り、その次の27節でも、
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
と記されています。これを言い直したのが、ウェストミンスター小教理問答10だと言えますが、まず、人間の創造がこれだけ別格に、特別に扱われていること自体が注目に値しますね。進化論では、人間も他の動物も、みな同等、どの命も等しく大事、と教えます。そうすると、動物を食べることは勿論、植物だって食べられなくなりかねません。動物を守るために、人間を殺すことだって起こります。けれども聖書は、人間が特別に造られたこと、被造物の最後に、特別に手の込んだ作品として造られたことを教えています。
しかし、勿論それは人間が威張って主張して、他の被造物を押さえ込んでいいというのではありません。それは、そのようにご計画なさった神の御心にかなったものでなければなりません。特に、「神のかたち」というからには、その神様のなさるような支配でなければならないのです。ここで人は、
知識と義と聖性において
と言われています。したい放題の暴君のように、ではないのです。神様は、真理であり、義(正しく)、聖であられつつ、全知・全能です。人間は、全知全能ではありませんが、知識と義と聖であることにおいて、神のかたちに造られたのです。ですから、人間に与えられた「支配権」とは、「好きにして良い」という支配権ではありません。神様の御支配とはそのようなものではありません。それは、いのちを生みだし、命を守り、育んでいく御支配です。お世話をし、仕えるような「支配」です。ですから、人間もまた、そういう神様の「お世話」を現すような「支配権」を与えられたのです。
そして、ここには、もう一つのことが付け加えられています。
「男と女とに創造された。」
ということです。男と女とに創造されたこと、違う人格、違う存在同士、共に受け入れ合い、助け合い、尊重し合いながら、生きる所に、人間が「神のかたちに造られた」ことが表されます。決して、人が一人で独裁者になってはなりません。男が女を支配したり、女が男を軽蔑したりしては、神の栄光は現すことなどできません。違う人格を愛することに、「神のかたち」が現されます。そして、男と女との間にあるのが、力や上下関係での「支配」ではないように、人が被造物に対する支配権が与えられているというのも、破壊的な支配ではなく、相手を生かすような支配なのです。
今日開きました、エペソ書四章には、キリストにあって教えられた真理が、
四22…人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨て…、
23…心の霊において新しくされ、24真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に著るべきこと…
と表現されています。この言葉から、ウェストミンスター小教理問答は、神のかたちを「知識と義と聖性において」と言っています。真理を知ること、神の律法に叶った義に従って、罪に汚れていない完全に聖なる心で歩むこと。そうした、本来の人間のあり方、「神のかたち」への回復が、キリストにあって教えられている真理だと言うのです。
人は最初、神のかたちに造られていました。知識も義も聖性も、創造者の神様のように完璧でも無限でもありませんが、十分に与えられていました。けれども、神様との関係に背いて堕落した瞬間から、この「神のかたち」はすっかり壊れてしまいました。
人を欺く情欲によって滅びて行く…人
として生きていました。でも、そのような私たちをイエス様は憐れんで救ってくださいました。それは、ただ私たちが滅びない、天国に行ける、というだけでなく、
心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に著る…
ようになる、という「救い」なのです。そして、25節以下では、
ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。…怒っても、罪を犯してはなりません。…
などなどという具体的な勧めをしていきます。これが、神のかたちとして、真理と義と聖性に生かされ、歩む生き方だからです。ですから、最後に、
32お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
五1ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
と結ばれているのです。
人を愛する、親切にする、赦し合う。そういうキリスト者の倫理の根底には、私たちが「神のかたちに造られた」事実があります。それ以上に、神が真理であり、義にして聖なるお方として、私たちを愛し、恵みを施してくださっている事実があります。その大きな恵みに応えて、御言葉にあるような生き方をさせて戴くのです。恵みによって励まされて、きよく正しく生かされるのです。それは、ささやかですが、本当に尊い恵みです。
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