聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2019/10/27 Ⅱコリント13章13節「1×1×1の神」ニュー・シティ・カテキズム3

2019-10-27 22:13:26 | ニュー・シティ・カテキズム
2019/10/27 Ⅱコリント13章13節「1×1×1の神」ニュー・シティ・カテキズム3
 前回は、神とは人間が考えるよりも遥かに偉大で、正しく、素晴らしく、私たちに近いお方だと確認しました。驚くべきお方、世界よりも遥かに大きく、誰よりも私たちに近い、不思議なお方。その神の不思議さが、最もよく表れすのが「三位一体」という言葉です。マンガやテレビや経済でも良く聞く言葉ですが、これは教会の言葉なのです。
第3問 その神にはいくつの位格がありますか? 答 唯一、まことの、生きておられる神には、三つの位格があります:父、子、聖霊です。

 神は唯一であり、同時に神には三つの位格がある。これを三位一体と言います。聖書には三位一体という言葉は出て来ません。聖書には「神が唯一である、他にはいない」と繰り返されています。同時に、父なる神が神であると同時に、子なるイエス・キリストも神だとされています。また、聖霊も神とされています。また、父と子とはお話しをしあう関係で、別々の存在です。子と聖霊も、使わす関係で、別々の存在です。父と聖霊も違います。父と子と聖霊の三つの方が、互いに違うのに、それぞれが神であり、また、神が三ついるのでもない。私たちの頭では到底理解できません。そこで、その事を精一杯言い表したのが、「三位一体」という表現なのです。

 先週もお話ししたように、神は宇宙を超えたお方です。宇宙が全部、神経回路であったとしても、神を理解し尽くすことは出来ません。まして、私たちの脳みそは、鶏や虫の脳と変わらず、三位一体を理解することは出来なくて当然です。神は唯一で、父と子と聖霊の三つのお方がそれぞれに神であり、お互いに同じではないけれど、ひとつの神である。それをそのままに受け入れていくだけです。
 時々、三位一体の説明に「水」を持ち出す人がいます。水は水蒸気になったり、氷になったりします。でも、三位一体は、父が子になったり聖霊に変わったりするのではありません。父と子と聖霊は区別されるのです。そして、その別々の三つのお方が、完全なチームワークで、この世界を治めているのです。その事を知るのは、私たちにとって力強い励ましです。


 父なる神は世界の創造者であり、計画者です。父が世界の創造を計画され、人間の救いを計画してくださいました。そして、子なる神キリストは、その父の計画に従ってくださいました。この世界を造り、この世界に来て人となり、救いのご計画を実行してくださいました。そして、子が実行した御業を、聖霊がこの世界に届けてくださっています。世界に働き、私たちに信仰を届け、私たちを新しくして、完成に至らせてくださるのは、聖霊のお働きです。父が計画し、子が実行し、聖霊が適用してくださる。この完全なチームワークによって、世界は今日も守られており、やがて確実に完成します。
Ⅱコリント13:13主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。
 これは、毎週の礼拝の最後に言う「祝福」の言葉です。この手紙を書いた使徒パウロも、コリントの教会への祝福を告げています。それは、主イエス・キリストの表してくださった恵み、その背後にある父なる神の大きな愛、そしてそれを私たちに豊かに届けてくださる聖霊の交わり(関わり)。どの一つを欠いても、神の祝福はとても薄っぺらいものになります。イエス・キリストの恵み、その背後にある神の大きな愛、それを私たちに届けて、神ご自身との交わりに入れて下さる聖霊。ここにも、三位一体の立体的なチームワークが窺えます。
 今日の説教題は「1×1×1の神」です。三位一体を、1+1+1と理解すると3にしかならず、1じゃないじゃないか、となります。でも、1×1×1なら3です。こういう式は、立体を表す時に使いますね。高さと長さと深さ、この三つの要素を表すのに、かけ算を使います。三位一体も、父と子と聖霊と三つのお方が、それぞれに役割を果たして、一つの神として働いておられると考えたら、より豊かになるでしょう。それは、神のお働きを、文字通り「立体的」なものだと思い描かせてくれます。三位一体の神が、それぞれに役割分担をして、私たちを生かしてくださっている。それは私たちにとって、理解しきれないけれども素晴らしい恵みであり、確信であり、希望です。私たちが神をも、この世界をも、豊かに見る助けになります。神が唯一である、というだけでは浮かんでこない、豊かな理解になります。神と私、という一対一の関係と言うよりも、三位一体の神の、立体的な交わりの中に、私たちは入れられています。

 神ご自身が、永遠に三位一体の神であり、交わりを持っていました。この言葉から
「神は愛である」
という聖書の大事な言葉もはっきり分かります。神が三位一体の交わりがあったからこそ、そこには永遠に愛し合う関係がありました。愛する相手が欲しくて世界を造ったのではありません。そんな不完全な神は神ではありません。父と子と聖霊とには、世界の始まる前から交わりがあったのです。永遠の昔から、神は交わりを持つお方、即ち、愛であったのです。そして、その愛の交わりの中に、私たちが創造され、私たちの救いが行われ、この交わりの中へと救われていくのです。そしてそのために、父が計画を立て、子がご自分を献げて完成し、聖霊がその救いを私たちにシッカリと届けて下さるのです。この立体的な救いを、三位一体は思い起こさせてくれます。


 私たちは、神が三位一体のお方であることを信じます。イエス・キリストが、完全な人であると同時に、完全な神、永遠の神であることも信じます。また、この世界が偶然や神の気まぐれで造られた世界ではなく、永遠の愛の交わりを持つお方によって造られたことをも信じます。この世界は、愛の神が造られました。それも、父と子と聖霊とが、「共同作業」で、チームワークで、何か笑ったり歌ったりしながら造り上げられていった世界。三つが力を合わせるなんて、マンガも真似たくなるドラマがこの世界の土台なのです。唯一の神として天の高い所で動かない神でなく、世界の一つ一つを造り、今も支えている神。その神が私たち一人一人を生かし、支えています。神の惜しみないチームワークで私たちを救い、とともにいてくださいます。本当に測り知れないことです。たとえ神が三位一体でなくても、私たちの理解を超えています。三位一体はそれ以上の神秘ですが、しかし、私たちの心に豊かな信頼と喜びとを与えてくれる教理です。

「父、子、聖霊よ、あなたは私たちの理解を遥かに超えています。私たちをあなたの愛のうちに入れて下さり、感謝します。愛は、世界が造られる前から、三つの完全な位格のうちにあった愛です。アーメン」
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