かずの里山ハイク

山や花、日常の出来事などの気まぐれブログ

山口お宝展

2006年02月12日 | 雑記
山口市内でお宝展が開催されており、国宝瑠璃光寺五重塔の内部が本日まで初公開されていたのでぶらりと出かけてみる。以下受け売りです「山口氏は14世紀の中頃、室町時代初期に大内弘世が居を山口に移し、京都に模した街づくりをし、以後200年間大いに栄え、西の京と謳われた。また、日本の幕開けと築いた明治維新において山口はその策源地となり、今も多くの明治維新の史跡も残っている。」今回は瑠璃光寺周辺の史跡の一部を紹介します。まずは園地の池からの五重塔。

今日は公開最終日とあって多くの観光客が訪れていました。この塔は古来の塔がそうであるように釘が1本も使われてないらしい。鉄製の釘を使わずに30m余の高い建築物を造るとはその技術は想像を絶する。

この五重塔は、大内義弘が1399年泉州堺で戦死し、その菩提を弔うために弟盛見が建立を計画したらしい。竣工は1442年というから550年以上経過していることになる。珍しい円形の須弥壇には阿弥陀如来像と大内義弘のブロンズ像が安置されている。写真の右側がブロンズ像になる。

別角度より塔を写す。椿が満開だった。

隣にある瑠璃光寺の境内、大内氏の重臣であった陶弘房の夫人が夫の戦死を弔うため山口市仁保地区に創建した寺だが1690年にこの地に移築されたらしい。現在、瑠璃光寺五重塔と称しているが、もとの大内氏の菩提寺は香積寺だったが1604年毛利氏によって解体され、萩に移したとのこと。五重塔も解体されようとしたが町民が残置を願いでたので、当地に残されたという。この隣にある毛利家の墓所も含め香山(公)園というが、香という字は旧寺名から引用されているのかも知れない。

毛利家の墓所の石畳、「うぐいす張りの石畳」では、ある位置で強く足踏みすると、美しい音が返ってくる。場所によって響き方も違うので、ベストポイントを探すのも楽しいかもしれない。瑠璃光寺も含めたこのあたりを香山公園と称している。色んな顕彰碑もある。

毛利元就の菩提寺として有名な洞春寺、応永11年(1404年)、26代大内盛見が国清寺として建立しましたが、後に洞春寺と改称された。由緒あるところだが、こちらは人影もまばらだった。