自身幼少の頃は自家用車も普及しておらず、お遍路さんはほとんど徒歩で巡礼されていた。
ところが、最近は自家用車などの普及により、徒歩で巡礼される方は少なくなった。
今日は自身の接待はお許しを頂いて、生涯で初めて他地区の札所を10時過ぎから17時頃まで
徒歩で巡礼させてもらった。最近どういう訳か体調が優れず、これの回復祈願と、今までの
数々の悪行懺悔?のためだ。自宅近くになり、膝にやや疲労を感じたが、常に弘法大師様が
見守って下さったので、無事に歩き通せた。来年から数年かけて1日接待、1日巡礼にして
八十八ヶ所すべて回ってみたいと思うようになった。
この札所では参拝者すべてにヤクルトが接待されていた。
福楽寺、6,7、8番の札所がある。ソテツの大木がシンボルとなっている。
盛況だった札所、接待も豪華でバイキング料理のよう。地元の方のご厚意が身に染みた。
県指定文化財の秋穂正八幡宮の山道
苔むす東参拝道
正八幡宮境内にある一番札所の大師寺、神社の境内にお寺があるとは?明治時代までは神仏習合の
時代が長く続いた名残になる。逆にお寺の境内に鳥居があり、神様が祀ってあるところも多い。
神仏習合となると何ら矛盾は無いということ。
もともと日本には自然などを敬う神道があり、後に仏教が伝来したとき、国の体制をより強固にする
ため、仏教も容認し、利用した経緯もあるみたいだ。東大寺の仏像など国の威信をかけて造営したのも
わかり易い事例なんだろう。
石灯篭が並ぶ正八幡宮西参拝道、この正八幡宮は元々西暦400年ごろ二島地区六十五札所北田大師堂
近くに造営されていたが、火災により焼け落ちて現在地に移転したとのこと。
六十五札所の接待をされていた地区の古老の方に聞いた。
六十五札所大師堂、少し眺めの休憩を取り、接待されている方から色々と話を伺う機会を得た。
旧正八幡宮跡地と火の山連峰
巡礼のご利益およびしっかりと歩いたので体調も回復に向かうことになるだろう。
各札所で丁寧な接待を受けたが、歩いて巡礼するとその有難味をより深く感じる。
また来年も懺悔の巡礼をしてみよう。
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実は小生も9日に奥から誘われて初の巡礼者になりました。
案内幟を頼りに着いた所が41番。案内マップと説明を受けて開始。
そして先ずは集団箇所を中心にと安易な考え方で20ヵ所少々。昼はお接待所に甘えて済ましました。
かずさんとニアミスですね。
来年はスタンプ台紙が満願になるでしょう。
予定です。これ以外の時間帯で他の札所を回るかも?