人はどんな時に幸せと感じるのだろう?♪しあわせってなんだっけ、なんだっけ♪
というコマーシャルもある。とても貧しい国として知られるブータンでは幸せと感じる
国民が多いと何かで聞いたこともある。
子供の頃、どの家も裕福とは言えない生活だった。農業を生活の主体としていた時は、
機械化がある程度進んでいたものの農繁期になると重労働の日々が続いた。
肉体的にはとてもしんどい日々だったが、それが当たり前で不足や不満など感じる
暇さえ無かったような気がしている。
小学低学年の時はテレビも普及しておらず、家族の団らんはもっぱらラジオの報道
だった。確かアンクルトムという連続番組があり、毎日聞くのも楽しみだった。
これと言った娯楽もなかったが、四季折々の味わいの中で、それなりに幸せを
感じながら生活していた。
時は流れ、電気器具の普及により、家事なども楽になり、車も少し頑張れば
持てるようになった。生活そのものは格段とレベルは上がった。
だが、それに比例して幸せと感じているのだろうか?
いろんな物があって当たり前になった現在、それに反比例して不満やストレスを
感じるようになったのではと危惧している。少なくとも精神面では回帰が必要では
ないかと最近思うようになった。
わけのわからんことを書いているが、自身もよくわからなくなってきた。
庭ではハナミズキの花が開花を始めた。花芽のある枝だけを残し、選定したので
きれいに装ってくれることだろう。5月になればいろんな花が咲き揃う。
ちょっとした幸せも感じられることだろう。気分も少しは好転するかな?
というコマーシャルもある。とても貧しい国として知られるブータンでは幸せと感じる
国民が多いと何かで聞いたこともある。
子供の頃、どの家も裕福とは言えない生活だった。農業を生活の主体としていた時は、
機械化がある程度進んでいたものの農繁期になると重労働の日々が続いた。
肉体的にはとてもしんどい日々だったが、それが当たり前で不足や不満など感じる
暇さえ無かったような気がしている。
小学低学年の時はテレビも普及しておらず、家族の団らんはもっぱらラジオの報道
だった。確かアンクルトムという連続番組があり、毎日聞くのも楽しみだった。
これと言った娯楽もなかったが、四季折々の味わいの中で、それなりに幸せを
感じながら生活していた。
時は流れ、電気器具の普及により、家事なども楽になり、車も少し頑張れば
持てるようになった。生活そのものは格段とレベルは上がった。
だが、それに比例して幸せと感じているのだろうか?
いろんな物があって当たり前になった現在、それに反比例して不満やストレスを
感じるようになったのではと危惧している。少なくとも精神面では回帰が必要では
ないかと最近思うようになった。
わけのわからんことを書いているが、自身もよくわからなくなってきた。
庭ではハナミズキの花が開花を始めた。花芽のある枝だけを残し、選定したので
きれいに装ってくれることだろう。5月になればいろんな花が咲き揃う。
ちょっとした幸せも感じられることだろう。気分も少しは好転するかな?