日々雑感

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十月8,9,10日の連休

2011年10月09日 | Weblog
十月8,9,10日の連休

関西地方は秋の秋晴れのさわやかな一日。あちこちで運動会の声が聞こえる。こんな日和は家に閉じこもっていては勿体ないと、外に出た。
お目当ては堺ASEANウイークのイベントである。ASEAN5カ国。ベトナム、カンボジャ、タイ、インドネシア、フイリピンの国々が参加して、各国の領事出席の下に、歌や踊りが披露された。日本からは獅子舞と和太鼓が出演した。
まず体型や顔つきであるがアジア人はよく似ている。ヨーロッパ人からみると、この人達がおそらくどこの国の出身かほとんど見分けが付かないだろう。それは日本人から見ても、フランス人とイタリア人の見分けが付かないように。
ASEANで共通しているのは、東洋人は西洋人に比べて泥臭い。その泥臭さの中に東洋独特の人情がある。西洋人とはいっぷちがった人情だ。それは都会に住む人達が、隣にすむ人に対してみせる澄ました顔によく似ている。我関せ
ずの個人主義が発達した国が多いせいだろう。日本では田舎に行くほどに、他人と我の境目が失われて人情が濃くなるのとは、正反対の事である。アジア人はお互いに野暮ったい感じがするが人情が厚い。それは 世界を旅で駆け巡って、東洋と西洋の違いを感じたからである。
タイの東北部(イサーン)の伝統的な古典舞踊を見たが、この舞踊は神へのお神楽ではないかと思った。独特の指先踊りで腕や指をくねらせる。日本人にはまねの出来ない踊りだと思った。日本人は身体で踊る。タイ人は身体の動きに指先のしなやかな踊りが付く。そして今日は南方系北方系の人々が入り交じって踊ったのが、印象的だった。北方系は中国に近くどこか日本人の顔かたちと一脈通じるような印象を受けた。南方系はインドネシア、やフイリッピン人に近いような印象だ。堺市では全国に先駆けて、市役所の中にASEAN課があるような話を聞いた。戦国時代と言うからもう4,500年も前の話だが、この堺港から先祖達はアンナン、シャムへと船出してこれらの国と交易をした。タイのアユタヤには日本人町があった。幕府の海外渡航禁止令が出るまでは、さかんに交易したらしい。
今日はそのアユタヤにある大学の日本語科の生徒がきて、交流の胸の内を話してくれた。おぼつかない日本語だけど、意は通じた。いつ帰るのかと聞くと明日だという。それじゃお土産にと僕が作詞作曲したタイ・バンコクにある有名な寺院・ワットアルンのことを書いた作品「WAT ARUN 」のCDを一枚と歌は英語で歌っているけど、これをタイ語に翻訳して歌詞カードを作ったのでそれも差し上げた。彼女は非常に喜び、ワイをしてお礼を言った。ぼくもあわてて合掌して「コップンクラー」と言った。 久しぶりに胸がわくわくした一日だった。今日は珍しく男性の老人が多かった。男はすることがないので、僕のように暇人が多いのだろう。