歌声喫茶の復活
僕たちは夫婦である。何十年も連れ添っているから、お互いにすれ違う部分もだいぶ、こすり合って角がとれてきた。それはちょうど川の石がお互いにぶっつかりあいながら時を経て、丸くなっていくみたいなものだ。が、歌に関しては好みが全然違う。
母ちゃんは未だに歌声喫茶である。
歌声喫茶と言えば、昭和30年代にはやったもので、青春時代の若者が集まって、アコーデオンの伴奏で入り口で、もらった歌詞カードを見て全員で歌うのが常だった。
誰が言ったのかしないが、清く正しく美しくみたいな感じがあって、そこで歌われる歌は、ロシア民謡、や日本の叙情歌、童謡、などの青春歌であった。
歌には恋心があったが、それは恋愛感情をオブラートでくるんであり、何となく高級趣味みたいな感じがした。まさに青春時代にはふさわしいものであった。
高齢者になった今でも、叙情歌は心の底に沈殿している。が、何かリアルな感じがするわけではない。幼き日のノスタルジャである。いつまでもつきまとうあこがれの世界である
それに比べて演歌は大人の歌である。そのテーマは愛して、恋してという基本的欲求にそったものであるが、これは時によれば、実感を思い起こさせるだけに、リアル感がある。そして演歌にはまってしまうと、歌と言うより現実を追い求めるような気持ちになる。詞と曲の力なのだろう。よる酒などが入れば、酔いが回るせいか身につまされるような切ない気分になる。
しばらくは夢の世界か、幻の世界か、訳が分からないが、さまようことになる。この世の憂さを忘れて明日の活力を、あるいは英気を養うならば、演歌は生きるためのある種のビタミン剤であろう。
往年の歌声喫茶の復活はあるのだろうか。恐らく復活はしまい。というのはその頃に青春を謳歌していた人達は、ぼつぼつこの世を去る年齢に達しているから。