お墓: 11/10/24
都市化、過疎化の影響で、田舎の方では、檀家制度が急速に崩壊し始めている。それを加速しているのが、人心の宗教離れである。
なのに、都心では、墓バブルが起こっている。
東京の青山墓地とか、大阪の四天王寺境内の墓地は、とても庶民が手の出せるような価格ではない。
先日、四天王寺境内の墓地を見に行ったが、1区画90cmx90cmが、500万円だという。あまりの高さに驚いた。もちろん、手が出せなくて帰ってきた。
そこで考えた。徒然草によると、よほどの名家でない限り、250年も経てば、田畑になるという。生きている間は、墓に収まることを望むが、死ぬと、そこが墓のもままであるか、あるいは、破壊されて、ビルに立て替えられるのか、まったく不明である。したがって、今では墓は、ついの住処にはなり得ない。
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そうだとわかれば、極端な話、僕のように後継ぎのいないものは、「それもアリかなあ。」と思う。
万葉集挽歌には妻を失った葬儀で、妻を火葬して散骨。白い骨が太陽に輝いていたとはある。古墳時代が過ぎて、600年代に入ると、火葬へと移りかわるが、その後のケアーやフオローやがなされていない 。
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万葉人の基本的な考え方
人は必ず死ぬ。だから、男とし生き、女として生きる。相聞歌を歌い交わし今日を楽しむという考え方は、いつの世も、変わらない。
そういえば、哲学者ニーチエも同じことを言っていた。