日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

アラフオー7-23

2011年10月21日 | Weblog
アラフオー

石走る 垂水の上のさわらびの 萌えいずる春になりにけるかも    志貴皇子
(現代仮名使い) 

 志貴皇子は天智天皇の7番目の皇子で、のち光仁天皇になる。上記の歌は普通なら、中学 高校で習う万葉集の4500首のなかでも、代表的で、美しい短歌である。
中高生が読んでも、差し支えない1首である。相聞歌は深読みすれば、大人でないと分からない意味が歌われているし、あからさますぎて、気恥ずかしさが先走る。
とはいうものの、当時の平均寿命は現代のように、70や80代と言うことはあり得ないから年若くして、現代の大人がやっと理解できるような歌を詠んでいるのは、短い寿命を精一杯生きることを本能的に直感して、生きたのであろう。そして日々の想いを素直に歌に込めたのだろう。それは相聞歌に限らず、雑歌でも、挽歌でも同じだ。
40代にもなれば、もう老婆の域で現代のアラフオーとは大違いだ。アラフオーはどこからみても、老婆には見えない。時代の進歩だろうが、さて心の中身はと言うと、
どう変わったのか。彼女たちは美容にあらゆる手立てをする。これって女磨きかそれとも、男の関心を引こうとするのか。どちらでも結構でござる。見目麗しい女は多い方が世の中明るくなる。

万葉人の生活でも最も大切なことは男として生きることであり、女として生きることであることからして、相聞歌では率直に、時には生々しく歌い上げているのだと思う。
現代人は社会や家庭崩壊の危機にさらされ、殺伐とた時代をさまよっている。
そんな日々の生活に潤いを与えてくれるのが万葉人の生き方ではなかろうか。
古代言葉でわかりにくいが、逐語訳の必要はなく、好きなように想像できるのが嬉しい。

ある日万葉世界の実感を味わいたくて、飛鳥地方を独りで旅をしたことがある。
大都会にすんでいる僕には、飛鳥はひなびた田舎である。のんびりしている。そして夕暮れになって甘樫の丘が黒く姿を変えるとき、空はあかね色に染まり、やがて夜の帳がおりるころ、僕が感じる飛鳥地方のノスタルジャは最高に達する。一方で僕は大都会で、
現代という時代の風に染まって暮らしているので、こんな不便(住めば都だろうが)な所にはとても住めそうにもないという想いが頭をよぎる。
。ここが万葉の故郷でなかったら、ふらふらすることもなかろう。

僕は詠んだ
甘樫の丘は明日香風 采女の袖を吹き返す
思えばここは 古代の(いにしえの)大宮人の夢のあと

応用動作を効かせる。

2011年10月21日 | Weblog

応用動作を効かせる。

信号が赤の時、歩道を横断してはいけないのか。
法律では信号は守るように決められている。そのほうが、安全を守れるからだ。

ところが僕の場合、急いでいるときには、よく信号を無視して、道路を渡ることがある。もちろん信号は赤だから、左右両方から来る車はないか、念には念を入れて調べて安全確認をした上での話ではあるが。
法律は守るべきものである。しかしそれに縛られて、いつの場合も身動きがとれないのは、いかがなものか。
人は自分の状況というか、都合というものを抱えて、それにあわせて行動している。時と場合によっては、決まりと状況が衝突する場合がある。そのときではどうするか。僕の場合は自分の都合を優先する。最もその行動が他人に迷惑をかけないか、かけるとしても最小限にするという前提が付くのだが。
周囲の状況をよく飲み込んで、行動することは、言うまでもないことである。
状況さえよく把握して行動すれば、安全が損なわれることはない。絶対ないのかと言われると、そこまでは答えかねる。というのは、人は常にハプニング(想定外の)と言うものが起きる可能性があるからだ。そうなったらそうなったときのことで、対処しなくてはならない。

僕の場合は、「信号はみんなで渡れば怖くない」とは違う。
「信号は独りで渡っても怖くない」のである。
そしてここには独りよがりがある。僕自身のことについて言えばこうだが、それを普遍化して、いえることではない。あくまで自己判断自己責任の世界での出来事である。