■【話材】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 035 ◆第35段 手のわろき人の 悪筆でも手紙は書くべし
「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆第35段 手のわろき人の 悪筆でも手紙は書くべし
徒然草の中でも最も短い段の一つです。
35 原文 手のわろき人の
手のわろき人の、はばからず文書き散らすはよし、見苦しとて人に書かするはうるさし。
【用語】
手: 筆跡
わろし: へたな、まずい
はばかる: 遠慮する
書き散らす: 意のままに書く
うるさし: わずらわしい
35 要旨とコメント 手のわろき人の
字の下手な人が、それを気にしないで、遠慮なく、意のままに、どんどんと手紙を書くことは、良いことです。
字が下手だからといって、他人の代筆してもらうは、好ましいことではないです。
兼好は、このように言いながら、自分ではアルバイトで恋文の代筆をしていたと言うことも伝わっています。
世の中には、達筆な人も多いですが、そうでない人もたくさんいます。後者の様な人の大半が、鉛筆やペンの持ち方が正しくないように思えます。
近年は、SNSなどを利用したコミュニケーションが多いですので、紙で文字を見る機会が少なくなっているのかも知れません。印刷物も、パソコンなどから印刷することが容易になったことから、個人でも印刷物を作ることが容易になりました。
その結果、手紙を書く機会も少なくなったと言えます。兼好は、たとえ、字が下手であっても、手紙は書くべしと主張しています。
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