■【きょうの人】 0804 後藤 象二郎 板垣退助・佐々木高行と「土佐三伯」の一人
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■ 後藤 象二郎 板垣退助・佐々木高行と「土佐三伯」の一人
(ごとう しょうじろう
天保9年3月19日(1838年4月13日)- 明治30年(1897年)8月4日)
幕末から明治時代の武士(土佐藩士)、政治家、実業家で、正二位勲一等伯爵を得ています。板垣退助・佐々木高行とともに「土佐三伯」の一人に数えられています。
幼名は、保弥太、良輔で、象二郎は通称です。諱は、正本(まさもと)、元曄(もとはる)、字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁などがあり、雅号に暘谷、雲濤、光海、鷗公などを使っています。
幕末、慶応元年(1865年)閏5月11日、武市瑞山を獄に断じ、次いで慶応2年(1866年)、藩命を奉じて薩摩、長崎に出張、さらに上海を視察して海外貿易を研究しました。
慶応3年(1867年)、土佐藩は将軍・徳川慶喜に対し大政奉還論を提議しました。
土佐藩の在京幹部である寺村道成、真辺正心、福岡孝弟らの賛同を得て、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らと会談し、薩土盟約を締結しました。
イカルス号事件の処理で土佐に乗り込んできた英国公使パークスとの交渉を命じられ、時間を消耗したため、倒幕路線を歩む薩摩との思惑のずれから盟約は解消されてしまいました。
新政府では、大阪府知事や参与、左院議長、参議、工部大輔などの要職に就きますが、明治6年(1873年)の征韓論争に敗れて板垣退助、西郷隆盛らと共に下野することとなりました。
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