コンサルタントバンク コンサルタント(プロ・希望者)+ 士業の異業種交流会

コンサルタントバンクは、コンサルタントや士業の先生方の異業種交流会で、無料で登録できる組織です。関連情報をお届けします。

【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 5 かほりからの電話は?

2024-11-06 12:21:00 | 【小説風】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 5 かほりからの電話は?  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆6-5 かほりからの電話は?
 日本に戻った竹根の正月、一枚だけの年賀状で母が大車輪。
 母のすすめで、年賀状の主、かほりに、胸を高鳴らせながら電話をしたが、つっけんどんな中年女性の不在返事に、嫌な予感がした。
 夕方、かほりから電話があった。
「今朝ほどは特別に用事があるわけではないのに電話をして済みません」
 かほりは、返す言葉に詰まったように一瞬間があった。「明日、友達と神田明神で待ち合わせをしています。もし、よろしかったら竹根さんもご一緒しませんか」と思わぬ言葉が続いた。
 待ち合わせの時間を確認して、出かけることになった。竹根の母はうれしそうであった。
 翌日、時間より十五分前に竹根は約束の場所に着くと、もうかほりはそこで待っていた。
「あれ、ごめんなさい。遅くなっちゃって。お友達はまだですか?」
「実は、友達と待ち合わせなんて、嘘なんです」
 両肩を上げて、にこりとしたかほりの答えに竹根は驚いた。
――あのかほりさんが、このようなことをするなんて――
「実は、今日、婚約者の家族がうちに来ることになっていたんです。それが嫌で、何とか口実をつってでも、家にいたくなかったの」
「私が、かほりさんに嘘をつかせてしまったというわけですか?」
「竹根さんをだしに使って、ごめんなさい。先日も言いましたが、私はまだ結婚をする気持ちはないの」
 きっぱりというかほりの気持ちが、やはり竹根にはわからない。
「だけど、なんで神田明神なんですか?」
「だって、竹根さんのアメリカでのビジネスが上手に進むようにお願いしたかったんだもん」
 今までのかほりのイメージにはない、そのはしゃぎように戸惑いを覚えた。
 お参りも済ませ、お茶の水の方向に何とはなしに歩き出した。今の状況が、信じられない竹根である。あのかほりが今自分の右側に寄り添うように歩いている。
 御茶ノ水の駅前の喫茶店で、何時間も二人で過ごした。別れる時は、あと一分でもいいから一緒にいたい、これが今生の別れになるのかもしれないと言うくらい、竹根はつらかった。
  <続く>
 
■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【お節介焼き情報】 難解用語を解ったつもりになっていないか 765

2024-11-06 12:21:00 | 【話材】 ブログでつぶやき

【お節介焼き情報 難解用語を解ったつもりになっていないか 765

お節介焼き経営コンサルタント」が、経営やコンサルティングに関する情報だけではなく、日常生活に役に立つような情報、旅行や写真などの会話を潤滑にするために情報などもお届けしています。

 それらの中から、直ぐにお役に立つような、選りすぐりの情報を中心にご紹介して参ります。

 難解用語を解ったつもりになっていないか 765.
 2015年9月25日に国連総会で採択された、SDGs(Sustainable Development Goals)ですが、お恥ずかしくて言えないで来ていますが、今ひとつピンときません。日本語では「持続可能な開発目標」であるということは解ります。
 私にとってモヤモヤしている原因が、どうやら「Sustainable」という、あまり身近でない言葉に原因があると思います。
 「sustainable」の意味は、Bingで検索しますと、以下のように出ています。
  一定時間継続できる
  支持・防衛することができる
  一定の割合・レベルで維持することができる
 しかし、単語の意味を再確認したにもかかわらず、まだ、ストンときません。
 ところが、最近の辞書には、「sustainable」の項の最後に「天然資源の枯渇を避け、生態系のバランスを保つ」という意味が追加されています。これを見て、「なるほど」と合点が行きかけました。しかし、では、なぜ「sustainable」の本来の意味とは経路が異なる、この意味が付け加えられたのでしょうか。
 要は、国連総会で審議するにあたって適切な用語がありませんので、「sustainable」の上述3番目の「一定の割合・レベルで維持することができる」という意味合いから、拡大解釈して援用したのではないかという、見当外れかも知れませんが、勝手な理由付けを私自身がしました。
 この「決めつけ」で納得できたわけではなく、なんとなくまだモヤモヤしています。

 上例のように、「何となくこのようなことである」というふうに、概念を示す言葉をわかったような気になってしまっていることが多いような気がします。私達は、ある概念について、厳密な意味・解釈を知らなくても、理解のプロセスをキチンと経ず、あやふやなまま、解ったつもりになってしまう「つもり症候群」に陥ることが多いのではないでしょうか。
 このような、難解用語だけではなく、別の当ブログ記事で記述しましたように「経営とは何か」というような身近な言葉でも、解ったつもりになってしまっているのです。ですから、「それは何に?」という、幼児の質問に対して、回答できないことが多いのです。
 まず、「平易な言葉で話す」ということは、けっして恥ずかしいことではないというを認識することが肝要です。「難しい話を、平易な言葉で語れることこそが『賢さの証明』である」のです。
 平素から、目にするさまざまな用語を、平易な言葉で説明できるかどうかを自問自答することが、自らの理解度を把握するバロメータになるのではないでしょうか。とりわけ、私達のようなコンサルタント・士業は、「このことは、いつか、どこかで、誰かに話す可能性がある」という意識を持っているべきです。それにより「難解用語も身近な言葉もわかったつもりの意味知らず」という過ちを犯さなくてすみます。みっともない姿を、クライアントをはじめ、他の人にさらさずに済むのではないでしょうか。
 コンサルタント・士業が、他人様の前でお話をするという『アウトプット』を重ねる毎に、このような見えない力をつけてゆけるのではないでしょうか。その結果、『納得していただいやすいコミュニケーション能力や表現力』を磨きながら、身につけることに繋がると考えます。

【経営コンサルタントへの道】

 


 
  長い経営コンサルタント経歴の基、書かれたページで、経営コンサルタントになるひとの60%ものの人が目を通しています。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月5日 ◇江戸の大酒飲み大会 ◇カシャリひとり旅 カメラと私

2024-11-06 08:21:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月5日 ◇江戸の大酒飲み大会 ◇カシャリひとり旅 カメラと私 

  平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

11月5日

 アメリカ大統領選挙が行われました。

 民主ハリスと共和トランプが事前予測でも、ほぼ横一列。

 結果が出るまで数週間かかるというマスコミの予想です。

 かねてから興味を持っていた江戸庶民の生活、江戸から学ぶことが多く、時々、江戸に関する書籍を手に取ります。

 映像制作の合間の気分転換になりました。

◆【杉浦日向子の江戸塾】 江戸の大酒飲み大会 22

 江戸時代に「武蔵野」という大きな杯がありました。ススキを前景にした満月が描かれていました。この杯は一升以上もの酒が入るのです。満月にススキという図柄から「野見尽くせぬ」・・・・・「飲み尽くせぬ」というしゃれが込められているのです。

 相撲取りが優勝したときに飲む大杯を連想して、その大きさをイメージしてください。

 この大杯を使って、八升五合もの酒を飲んだという記録があります。ただし、真偽の程はわかりません。

 日本酒だけではなく、焼酎もあり、実は「アラキ」今日では「アラック」と呼ばれているウォツカもありました。ロシアから北前船が運んできたのです。

 北前船が運んだ昆布ですが、これはロシアでは海に生える雑草ですので、日本漁船が昆布を採るとそのお礼のようにしてウォツカが提供されてようです。当時は鎖国政策が採られていたので、ビジネスとしての代金は取れませんが、ウォツカが対価の一種であったといえます。すなわち、鎖国下での貿易が行われていたのです。

 この酒のみ大会には、武士も町人も、誰もが参加できます。スポンサーが付いた催しものなので参加費などとみみっちいことは言わず、飲み放題です。当然スポンサーはその話題作りのためにお金を出すのですから、結果が発表されるときにはスポンサーの屋号が入ります。

 ちなみに「北前船」は当ブログでも紹介したことがありますが、江戸時代の中期以降、明治時代初期にかけて日本海を廻ってのビジネスです。船主は、船を持った移動販売船といったところで、商品の仕入や船の運航など、全てのリスクを負っていました。すなわち、運輸業ではないということになるのです。

 商品は主に北海道や北東北から調達し、途中寄港しながら、下関を回って「大坂」(今日の「大阪」)まで運んで売りさばきました。

 帰りは、空船で変えるのではなく塩や酒など関西地方の物資を運んでビジネスをしたのです。

■ 「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

■【今日のおすすめ】

 ■【お節介焼き情報】カシャリ!一人旅 三溪園 神奈川を代表する名園

 原三渓が、贅を尽くした、横浜市にある本格的な築山池泉廻遊式庭園で、機会があれば是非訪れることをお勧めします。

 庭園めぐりの旅の経験は、まだまだ不充分ですが、贅を尽くした庭園というのは、それなりに奥深さを感じます。

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

  写真と私 b05

 私とカメラとの出会いといいますと、子供の頃の日光写真とピンホールカメラでしょうか。

 日光写真というのは、モノクロのフィルムに相当する、当時はセロファン紙に印刷されたものを、印画紙と重ねて日光に当てると、印刷された画像が印画紙に現れるというものでした。

 定着していませんので、時間経過とともに真っ黒になってしまいます。

 ピンホールカメラというのは、箱に針穴をあけ、針穴をレンズ代わりにしてフィルムに撮影するおもちゃです。

 ピンホールカメラは芸術写真にも使われますので、おもちゃではなく器械というべきでしょう。

 しかし、私のは、厚紙の箱を利用した手作りですので、おもちゃの域を出ていませんでした。

 私のこれらの経験は、印画紙が、時間経過とともに黒くなってしまうので、それが納得できませんでした。

 小学生の頃、雑誌の付録についたカメラがあります。

 曲がりなりにもレンズもついていました。

 それだけではなく、フィルムに印画紙、現像液と定着液がついていたのです。

 しかし、2枚分くらいしか付いてこないので、一度で終わってしまいました。

 その様なあるとき、叔父が中古のカメラを入手し、それを使わせてもらうようになりました。

 現像や焼き付けを写真屋さんに出すのでは、小遣いがすぐに亡くなってしまうのが悩みでした。

 小遣いを貯めて、現像用のバットを買ったのを契機に、焼き付け期などを買い増しして、押し入れ現像室からわたしと写真の第二ステージが始まりました。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

  >> もっと見る

 

■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする