3月5日。地元の中央公民館で「3・11を忘れない 守ろう命・さよなら原発・復興支援・私達にできること 3/5大館集会」に参加してきました。
当日は、福島原発告訴団団長である武藤類子さんの講演がありました。
武藤さんは養護学校教員退職後、山間に喫茶店『きらら』を営業していました。ソーラーパネルを利用したり、野菜を育てたり、薪ストーブを利用したり、自然の中で取り入れることが出来ることはなんでもやってきたようです。そして喫茶店ではその取り入れたことをお客様にも教えていく、そんな講座をやってきたりしていたようです。それがあの大震災の原発事故によりすべて出来なくなったと。
そこから武藤さんの原発事故への疑念と取り組みが始まりました。
講演会では東電の初期対策についてわたしが知らなかったこともあって、というかそこまで丁寧にニュースを見ていなかったという自分の真実に愕然としていました。もし初期対策であった遮水壁工法の粘土遮水壁(スラリー壁)が2011年の6月14日にプレス発表され、1000億円の債務超過でも建設されていれば後々の汚染水対策の遅れはここまでではなかったのではないかと思えました。
何か事件があったとき、警察が問われるのは初動捜査の徹底だと言われるようですが、ことこの原発事故に関してはどの点でも後手後手になり、しかも会社存続という大義名分のみが一番になっているのではないか、そこには福島にこれまで住んできた人々の存在は消えているのではないのか、といった疑念を感じます。
武藤さんの講演は汚染水問題や健康調査、甲状腺がん子ども基金(手のひらサポートとして)、帰還政策による不安材料、福島の子供たちへの放射線教育の是非等々沢山の問題点を指し示してくれました。
最後に武藤さんたちが原発事故後、『福島原発告訴団』を設立し、活動してきた様子を撮ってきたDVDが流れました。
わたしがこれまで過ごしてきた6年の間に彼女たちはこんなにも行動を起こしてきていました。変わりゆく福島の姿ともう何も作れない土地の上に汚染土壌を入れた黒い袋が山積みにされていく様子、町中に住む人は自分のところから出た汚染物をすぐ目の前の通路に出して保管しなければならない状態。
ここに住む人たちの気持ちをわたしは何も考えてこなかったということに気づきました。
ただ傍観しているだけなんです。
ただニュースを見て、あぁそうなのかと思うだけなんです。
最後に武藤さんが
あきらめない、被害者の対立を避ける、手をつなぐ、自分の頭で考えよう!
と結んだことがずっと頭にこびりついています。
会場で購入した武藤さんの著書。
『福島から あなたへ』
講演会の内容と同じことも書かれていました。その中にある写真が言葉のない写真の数々が、今の福島を物語っています。
帯には、「私たちはいま、静かに怒りを燃やす 東北の鬼です」と書かれていました。
憤怒の気持ちは暴力で体現することではなく、「静かに」燃やし続けなくてはいけないのだと、そして被害を被った同士を分断するようなことは決してあってはならないのだという決意が伝わってきます。
なぜ福島から来た子供達がいじめにあわなければならないのか。
それは社会が断片的なものでしか判断してこなかったことを意味するのではないかと思います。そしていじめた側の生徒たちには何も本当の現実を理解させることがなかったということの現れではないかと思うのです。大人の姿を子供はよく見ています。大人がどんな態度で福島を見ているかを知っているから、いじめもまた簡単にできたのではないかと思えるのです。
わたしは6年の間にどんどん福島から遠ざかっていました。
日常のささやかなしあわせを享受することに没頭し、離れたものへ祈りの気持ちを生むことも忘れていました。今も色々な思いを抱きながら生活している人たちのことを考えることもせず生きていました。
あのとき、一緒に過ごした弟は今はもういません。弟が作った牛すじカレーがまだたくさん寸胴に残っていて暗いキッチンから運び出すのに四苦八苦したことも夢のようです。ワンディシェフの店が再開できるのかどうかという不安もやがてどうにか店を再開できるという希望が見えましたが、災害にあわれた方達はこんなもんじゃなかった・・・ それなのに自分たちは自分たちだけの苦労を思っている、自分の苦労なんてちっぽけだった・・・自分の心配なんてちっぽけだった・・・
自分のことが解決できれば後は蚊帳の外。傍観していただけです。
でもこうしてわたしを福島へと目を向けさせてくれる友人達がいたことは何もしないわたしへの導きなのだと思っています。
わたしを会場へ導いてくれた人たちに感謝の気持ちを。
本当にありがとう。
講演を聴かせてくれて本当にありがとう。
当日は、福島原発告訴団団長である武藤類子さんの講演がありました。
武藤さんは養護学校教員退職後、山間に喫茶店『きらら』を営業していました。ソーラーパネルを利用したり、野菜を育てたり、薪ストーブを利用したり、自然の中で取り入れることが出来ることはなんでもやってきたようです。そして喫茶店ではその取り入れたことをお客様にも教えていく、そんな講座をやってきたりしていたようです。それがあの大震災の原発事故によりすべて出来なくなったと。
そこから武藤さんの原発事故への疑念と取り組みが始まりました。
講演会では東電の初期対策についてわたしが知らなかったこともあって、というかそこまで丁寧にニュースを見ていなかったという自分の真実に愕然としていました。もし初期対策であった遮水壁工法の粘土遮水壁(スラリー壁)が2011年の6月14日にプレス発表され、1000億円の債務超過でも建設されていれば後々の汚染水対策の遅れはここまでではなかったのではないかと思えました。
何か事件があったとき、警察が問われるのは初動捜査の徹底だと言われるようですが、ことこの原発事故に関してはどの点でも後手後手になり、しかも会社存続という大義名分のみが一番になっているのではないか、そこには福島にこれまで住んできた人々の存在は消えているのではないのか、といった疑念を感じます。
武藤さんの講演は汚染水問題や健康調査、甲状腺がん子ども基金(手のひらサポートとして)、帰還政策による不安材料、福島の子供たちへの放射線教育の是非等々沢山の問題点を指し示してくれました。
最後に武藤さんたちが原発事故後、『福島原発告訴団』を設立し、活動してきた様子を撮ってきたDVDが流れました。
わたしがこれまで過ごしてきた6年の間に彼女たちはこんなにも行動を起こしてきていました。変わりゆく福島の姿ともう何も作れない土地の上に汚染土壌を入れた黒い袋が山積みにされていく様子、町中に住む人は自分のところから出た汚染物をすぐ目の前の通路に出して保管しなければならない状態。
ここに住む人たちの気持ちをわたしは何も考えてこなかったということに気づきました。
ただ傍観しているだけなんです。
ただニュースを見て、あぁそうなのかと思うだけなんです。
最後に武藤さんが
あきらめない、被害者の対立を避ける、手をつなぐ、自分の頭で考えよう!
と結んだことがずっと頭にこびりついています。
会場で購入した武藤さんの著書。
『福島から あなたへ』
講演会の内容と同じことも書かれていました。その中にある写真が言葉のない写真の数々が、今の福島を物語っています。
帯には、「私たちはいま、静かに怒りを燃やす 東北の鬼です」と書かれていました。
憤怒の気持ちは暴力で体現することではなく、「静かに」燃やし続けなくてはいけないのだと、そして被害を被った同士を分断するようなことは決してあってはならないのだという決意が伝わってきます。
なぜ福島から来た子供達がいじめにあわなければならないのか。
それは社会が断片的なものでしか判断してこなかったことを意味するのではないかと思います。そしていじめた側の生徒たちには何も本当の現実を理解させることがなかったということの現れではないかと思うのです。大人の姿を子供はよく見ています。大人がどんな態度で福島を見ているかを知っているから、いじめもまた簡単にできたのではないかと思えるのです。
わたしは6年の間にどんどん福島から遠ざかっていました。
日常のささやかなしあわせを享受することに没頭し、離れたものへ祈りの気持ちを生むことも忘れていました。今も色々な思いを抱きながら生活している人たちのことを考えることもせず生きていました。
あのとき、一緒に過ごした弟は今はもういません。弟が作った牛すじカレーがまだたくさん寸胴に残っていて暗いキッチンから運び出すのに四苦八苦したことも夢のようです。ワンディシェフの店が再開できるのかどうかという不安もやがてどうにか店を再開できるという希望が見えましたが、災害にあわれた方達はこんなもんじゃなかった・・・ それなのに自分たちは自分たちだけの苦労を思っている、自分の苦労なんてちっぽけだった・・・自分の心配なんてちっぽけだった・・・
自分のことが解決できれば後は蚊帳の外。傍観していただけです。
でもこうしてわたしを福島へと目を向けさせてくれる友人達がいたことは何もしないわたしへの導きなのだと思っています。
わたしを会場へ導いてくれた人たちに感謝の気持ちを。
本当にありがとう。
講演を聴かせてくれて本当にありがとう。
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