心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

おみやげどっさり♪

2012年09月26日 | ほんのすこし
友人からメール。
「漬けものが良くできたから 持っていきたいけど」
いやいや もらえるものなら こちらから~♪ってことで 昨日 ちょっと郊外へ。
久しぶりに会ったIさん。美味しいものを作るので いつもごちそうになっています。そんな彼女が作った茄子漬なら さぞかし美味しいものに仕上がったのでしょう。
楽しみに出かけました。



綺麗で可憐なクジャクソウが出迎えてくれました。玄関先に花があるっていいなぁ・・・



これはなんという花なのか・・・彼女が言ってたけど難しい名前で忘れてしまいました(笑)

広いリビングでゆったりした時間を過ごしてきました。ここしばらくこういった感じで外で人と会って話すということがなかったので とても新鮮でした。話す相手にもよりますけどね♪
Iさんと亡くなった弟のことをしのんで あれこれ思い出話をしながら、家族のことなどにも触れ 母としか話せなかったことも ぽつりぽつりと話していたら、どんどん歯止めが効かなくなって(笑)。時にはあきれて笑いながら 話していました。「人間 上には上がいるもんだねぇ~」と Iさん。自分の知っている人にもそんな感じの人がいるけど それを上回る人がいるんだねぇ~と。
「それにしてもあなたのお母さん すごいね。よく我慢できたよね。そこまで人間が出来ている人はいないよ。普通は○さんのことをないがしろにされたら 怒鳴りこんでいくよ。でも ○さんはもっとすごいね。男らしいよ。なかなか出来ないよ。」

そうだね・・・優しいって一言ですませてきたけど、Iさんに「男らしい」と言われたら そうなのかもしれないって思う。

なんだかんだと 漬けもの話やら 仕事の話や 趣味の話 自分たちの近況等々、次々と話すことがあって あっという間に3時間経っていました。慌ててお暇を。
帰りには 袋にどっさりおみやげ。Iさんが育てたキュウリやミョウガ 茄子漬 もどしたゼンマイ いただいたという赤大根 ゴーヤ もうこれでもかってくらい詰めてくれました。
早速 帰りに母のところに寄って 茄子漬を披露しました。ゼンマイはもう一度温め そのままにしてきました。今日明日にでも 煮つけにしようと思っています。

それにしても こうして話ができる相手がいるということは なんといいものか。
母と話すのとは違って また別の感激を覚えた時間でした。今度は どこかへドライブしたいね♪とミニ約束。
い・つ・か・ネ

青い皿を見ながら

2012年09月24日 | ほんのすこし
男物のアンサンブル 反物のままフリマで購入したのがあって、それをテーブルセンターに三枚。
今回は赤の帯をしまって その紺色のものを三枚ずらしてコタツの上に敷いた。
紺色だから・・・置くのは 青いお皿!
じゃないけど、このお皿 使う前に飾りたくて。しばらく立てて飾っていたんだけどね。こうしてただ置くだけでもいいなぁって思ったの。


近くで見るとこんな感じのお皿。


後ろには「陶吉」の文字が見える。どんな方が作ったんでしょうね・・・

紺色にしたら 部屋の雰囲気がまた変わった。落ち着いた雰囲気になる。赤はこげ茶のカーテンと一緒だとどぎつい?感じが夜になると漂う(笑) 少し楽しんだので押し入れの整理とともに箱の中へ。
そろそろ朝晩 寒くなった。昨日は実家のストーブ取り付けをした。喘息持ちの母は気候の変化に敏感で 最近はよく咳き込む。急いで取りつけした。今のところ 順調に運転しているようだ。
さて、わたしのところは・・・今のところはまだストーブをつける気はない。
今日はクリーニングに出したカーペットを敷こうかなと。ふかふかのカーペットを敷いただけで暖かさのある部屋に感じると思うから。その次はコタツかな。でもコタツにしてしまうとますますテレビの前で眠ってしまうことが多くなってしまうからねぇ(笑)

今朝は本当に久しぶりに歩いてみた。寒かったけど 無理をしない程度に歩いてみた。気持ち良かった。外に出るってこういうことかと思った。別に外に出ていなかったわけじゃないけど、気持ちが外に向くというか そういうことで。

昨日はずっと母のところで。ふたりで色々なことを話した。主に母がおしゃべりだったけど。父と母の昔話やら、父方の親戚の方のことや かなり昔のことをたくさん聞いた。父は後妻に入って生まれた子だった。先の妻が産んだ娘が二人、次に後妻に入った母の子がわたしの父だ。嫁いで父を産み 幼くして母親が亡くなった。その後 父の父親は三番目の妻をもらう。まもなくその父親も亡くなり 後妻さんとその実子は父親が亡くなると 家を出たそうだ。そのため父は自分の父親の最初の妻の子である義理の姉たちに育ててもらったのだけど、そのおねえさんたちはとても良くしてくれて可愛がってくれたようだ。それでもやはり両親がいないということは どんなにか寂しいものだったか・・・だけど 父はほとんど自分の生い立ちに触れることもなく、愚痴をこぼすということもなく静かに逝ってしまった。
母は母で ほんとにたくさん苦労してきたみたいだし。
そういう昔のことを 今になって聞くということ、それもまた大事な時間なんだろうな。
父と母の周りに存在した人々の人生を振り返ると 人間の逝く末の不思議さを感じる。どんなになんでも出来る人でも 人を見下したりして生きてきた人は その最後はどうなるのか・・・母から聞いたある人物の生き様を想像してみる。
そして先の見えない人生だからこそ 今 どんな気持ちで生きていこうとするのかが大事なのだと思う。
ありふれた生活 人並み以上ではなく つましい生活 それのどこに悔いるものがあろうか。
母を心配して訪れてくれるご近所さんがいる。ありがたいと思う。こうして訪ねてきてくれるのは 母という人間の良さでもあると贔屓目にも思う私なのだ。

物いわぬものたちに囲まれ、静かな時が流れる。よぎるのは過去のあれこれ。その余韻に浸りながら これからのことも考えなくては と思う。堅実に 足元を固めて しっかりと生きていくんだよ と自分に言い聞かせて・・・

窓辺にて

2012年09月15日 | ほんのすこし
旬采館で買い物をした。旬のサンマ、真イカが安かった。イカは刺身に、母のために横に薄切りに。食感を楽しみたいときは縦に切ったほうがよいのだけど、母には横切りがいい。しかも細いほうがもっといい。大根おろしを添えて。
甘ダイが安かったので その場で開いてもらった。帰ってきてから 冷蔵庫で干している。4~5日で美味しくなるだろう。

ずいぶん久しぶりに魚を買った気がする。
買い物に行くということがあまりなくなってね。母とふたりで これからは買い置きせずに使いきっていこうねと話していた。でも こうして買い物に出かけると つい旬のものに手が出てしまう。
時期の物を 美味しい時期に食べるというのは 理にかなっているのだ(笑)

ついでに花も買った。200円で。200円なのにたくさんあって、部屋の4か所にそれぞれ入れ物を変えて 飾った。



花が部屋にあるというのは 気分がいいものだ。ずっとずっと花を飾ること忘れていた気がする。

こんなふうに何かを思い出すように日々が過ぎていく。自分が楽しかったこと、綺麗だと思って見ていたものや 美味しいもの そんなものを遠ざけて ただ時間が過ぎるのを待っていた気がする。
母とふたりで ふと気が付くと 弟のことを話題にしている。母は今でも わたしが母の携帯に電話すると、
「○○から電話だ・・・何したべ」と 思うときがあるようだ。そう思った後で、そんなことはありえないことだということを思い出す。わたしが行くと、
「さっき、またお前の電話を○○からだと勘違いしたよ」と話す。

母が今でも後悔していることがある。
退院してきてから亡くなるまでの二週間前後、なぜもっとやさしくできなかったのか ということだ。もちろん体の不自由な母のこと 十分な手助けをしてあげれなかったのは仕方がない。でも何かもっとやさしく声かけができなかったのかと それがすごく心残りらしい。
でもね、6年前 弟が退院してからずっと 母さんがどれだけ世話してきたか それを思うと、わたしは弟はしあわせものだったと思うよ。最後の数年間 母とふたりで互いにあれこれ言いながらも 結構楽しんで暮らしていたと思うよ。花や庭いじりの好きな母と同じ趣味のある弟だったから、庭いじりもまた楽しかっただろうしね。
人と争うことを嫌うのは 父さんに似ていたね。
おだやかで 声を荒げて話すということがなかった弟。楚々とした雰囲気の女性が好みだったね。木村多江のファンだったけど、あぁいう女性が好きだったのかな。

もっと話をすればよかった・・・もっと話をきいてあげればよかった・・・まだまだ時間はたっぷりあると思っていたけど、そんな明日のことなどわからないものだね。母のそばにいれる今を大事にしよう。弟の分まで大事にしよう。
窓辺には 夏の名残りの風が吹く。
真新しいレースのカーテンが 音もなく前後に揺れている。紫の小花が短い命を懸命に花瓶の中で咲かせている。後数日の命でも そこに在るだけで わたしに与えてくれるものは大きい。
何気ないもの それがそこに在るというだけで 忘れていたものを思い出す。可憐な花を見るのが好きだったことや 弟は花を愛でていたなということ 母の存在がどれだけ彼のためになっていたかということを。

まだこの手に残る思い出が やがては遠いぬくもりだったと思えるようになるのだろう。でも決して消えることはない。忘れることはない。これが遠く離れて暮らしていた同士だったら・・・こんなにも思えるだろうか。こんなにも喪失感を味わうものだろうか。そばにいて日々一緒に過ごしてきたということは なんと強いものだろう。

何気ない窓辺を見ながら、少しずつ元の生活に戻っているのを感じる。でも もうそこには弟の姿はないのだ。

帯を使って

2012年09月08日 | ほんのすこし
夏の間 テーブル代わりになっているコタツ。
最近は コタツテーブル?というのをやめて、食事は別でとっている。もっぱらコタツは絵を飾ったりする場所に変身した。
昨日 あちこち片付けていたら、帯をテーブルセンターにリフォーム?したものが出てきたので それをコタツにかけたらどうかしらん・・・と思い、早速置いてみた。

三枚のテーブルセンター用に作った帯をずらしながら コタツの上に置いていく。柄の出方とか考えながら。

鮮やかな赤なので 使うのに抵抗があったけど、これはこれでまた面白い。部屋の雰囲気がガラっと変わった気がする。
何年か前 帯や着物を集めたときがあって、本当は着つけとか覚えて・・・なんて考えていたのだけど、そんな時間は少しもなく、着物を着ることも全然なく、このままだと着ないままで終わってしまう。着ない着物をなんとか活用できないものかしらね。
こんな今の生活に必要のないものがたくさんある。
食器類もそうだ。使わないままの食器。高価なものだと使えないままとっておいたりするし。日の目をみずに箱の中に入ったままだったり。
出してあげて 使ってあげて それから処分したらよいのか。使わずにリサイクルに出してしまったほうがよいのか。
それが問題だ(笑)


ちょっぴり秋

2012年09月07日 | ほんのすこし
連日 猛暑続きでぐだぐだなわたしです。
それでも朝晩は少しずつ風が冷たく感じられてきました。

昨日 弟が写した写真を六つ切りサイズに印刷したので それを額にいれてあげようと、買いに出かけました。1か所の店では見つからず、郊外の大きいお店に行ってみました。
そこのお店の前に置いてあった買い物かごの列。手に取ろうとしたら・・・あらら、思わぬ先客が。
赤とんぼです。

じっとしているので かごを取るのはやめて写真を撮りました(笑)

毎日 暑い暑いと言いながら 周りでは確実に時が流れているのですね。冬が来るのだって早いかもしれません。秋なんてほんの少しで終わってしまうかもしれません。今年中に上京することは無理かもしれないなあ・・・

空はまだまだ夏みたいなんだけど・・・



まぶしいよぉ~。


主のいないところで

2012年09月05日 | ほんのすこし
去年 弟が植えたミニトマト。
今年 たねがこぼれていたのか 主のいないところで 実をつけていたという。
昨日 裏庭から母が採ってきていた。
これが 実においしい・・・
ぎっしりうまみのつまったミニトマト。これからまだまだ採れそうだ。
弟よ、お前はこれも食べずに逝ったのか・・・



弟が 以前写していた画像データを見つけた。
今 六つ切りサイズで写真用紙クリスピアというものを使って 印刷してみている。



こういうカエルと花といったような写真を見ると 弟のやさしさを思い出す。写真が好きだった弟。もっともっと色々なものを写してほしかったな。
陶芸もやりたかったんだよね。陶芸教室に通う夢もかなえられなかったね。
やりたいことを残して逝ってしまってさ。早すぎるよ。

写真を見ると ついついココロの中で語りかけてしまう。
さぁ 印刷した大きなサイズの写真を母に見せてこよう・・・

ご近所さん

2012年09月03日 | ほんのすこし
チビ。
ご近所さん。
両目の色が違います。ずいぶん大きくなりました。母と弟のお気に入り。





この間 飼い主さんが母のところに来たら、一緒に上がってきました。



我が家のごとく くつろいでいます(笑)



駆けまわることもなく スルスルとあちこち歩きながら、涼しい場所探し。
母と飼い主さんの周りを ぐるぐる。体を摺り寄せてきます。

生き物触るの苦手なわたしですが、ここの飼い主さんのわんちゃんや猫ちゃんだけは触ることができます。不思議です。

小さな動物にさえ 癒される そんなこの頃です。
後は 時間が過ぎるのを 少しずつ待っています。

暑かった夏。飛びぬけて暑かった夏。たったひとりの弟が逝きました・・・早すぎた人生です。今はまだ これくらいしか書けません。