心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

広々としていると気持ちがいい

2018年02月27日 | ほんのすこし
ここは、昨日母と行った市内の総合病院。
休憩スペースはとても広くできていて、こんな感じの大きな窓が南側一面に16枚は並んでいます。手前にある白い雪は屋根に残った雪です。この場所は三階にあるのです。
この病院、建て替えする前はほんとにボロボロでした。そのボロボロのところに患者さんが沢山集まってきていて。
父が最後にいたのは古い前の病院でしたから、相部屋は6人も入っていました。そして狭いベッド脇に家族の方が看護のために寝起きしているといった状態。
それが新しくなってからは家族が付きそうことは殆ど無くなってしまい、部屋も4人部屋、6人部屋といっても前のような狭さではありません。とてもゆったりとした部屋で、母が入院したときには「まるでホテルにいるみたいだね」と話したことを思い出します。
父はこの新しい病院にとうとう入ることなく亡くなってしまいました。
父が亡くなったのは3月28日。明日が月命日。
昨日、車いすに乗った母とこの窓から外を見ながら、父や弟のことを話していました。病院に来るとどうしても父や弟に似た感じの人に遭遇するのです。そういう方を見つけると自然とふたりの話になります。

そしてそんな日は、診察を終えて帰ってきてからもふたりの話題が尽きないのです。

あの大きな窓を見ながら、長いすに腰掛けている人々はいったいどんなことを思っているのだろう。
自分の病のことだろうか、それとも愛しい人の身体のことだろうか。

狭いぎゅうぎゅうした場所に閉じ込められて待たされるより、こんな広々とした空間にいることが出来たら、少しは気持ちも落ち着くのかなと、眩しい青さに目を細めた母とわたしでした。



大事なのは・・・

2018年02月27日 | ほんのすこし
日曜は母のところにお泊まり。昨日、診察があったため。
母のところでは夜のテレビ番組を一緒に見る事もあるけど、母のお気に入りをわたしが見ていなくて、わたしが見たい番組が別にあるときには弟が使っていたテレビをわたしが見ることになる。
この日もそうだった。夜ピョンチャンオリンピックの閉会式を見たかったので、わたしは9時になると部屋に行った。母は「オクニョ」が大好きなので、閉会式は母のテレビに録画しておくように設定していた。わたしはもちろん閉会式を見た。
でも普段は「99.9-刑事専門弁護士-SEASONII」を見るのだけど。自分のテレビで予約録画しているので見なくてもいいのだ。

ということで、昨日の診察が終わり、晩ご飯の準備も終わり、自分の部屋に戻ってきて、食事をし、その後ゆっくりと見ていなかったドラマをおもむろに見る事にしようと・・・あれ、まてよ、レンタル期限いつだっけ? そうなのだレンタルしていたDVDがあった。ということでそっちを先に見ることに。
それも見終わり。さてさて今度はいよいよドラマを見るかな。

ところが、話はすごく面白いのに、どういうわけかハッとすると別の番組になっている。
なんで?
録画を見るとすでに見終わっている状態。
あれれ。もしかしてわたし途中で寝ていた?
慌てて、覚えているところまで巻き戻し。というか、全然最初の方までしか覚えていないじゃない。

もう一度リベンジだ!
意気込んで見た。
あれれ。
午後11時過ぎだよ。
しかもちっともドラマが頭に入っていないよ。

結局わたしは何を見ていたんだ?

もう眠いから諦めた。

あぁ、前振りが長すぎ。
今朝、それもすごく早く目が覚め、眠って入れず。起き出してあれを見よう!って。
覚えているところまで巻き戻し。

最初から朝に見れば良かった。
今度はしっかりドラマが頭に入った。

ドラマを見ていると時々ハッとする言葉が飛び込んでくることがある。今回は弁護士事務所の所長が言う言葉。
「いくら反省しても後悔しても、過去には戻れない。大事なのはこれから何ができるのか、だ」

これから! そだよねー。
これからなんだよね-。
今更戻れもしないことにくよくよしたって仕方がない。これから過去にいた自分が出来なかったことをどう出来るようにするか、なんだよね-。
世の中、日々進んでいるから、過去に出来なかったことも何かを駆使すれば出来るようになるかもしれないし、自分だって昔よりは少しは成長しているかもしれないし。
やろうと思う気持ちがあれば、まわりも変わるよ。
そんな気分になった。
なんだか嬉しい。ドラマの言葉ひとつにハッとさせられ、寝不足の頭が覚醒した。


珍客

2018年02月25日 | ほんのすこし
母の庭に寒さに縮こまりながら、珍客が。
家の中から見ていると、全体が黒く見えて
「あれ、どっちかな」と母に問うと
「しっぽが短いからメスじゃないか」と言いました。わたしにはしっぽが長いように思えたのですが。

外に出て車のそばに行ってもそこの位置から動こうとしません。
まるで人に見つかったネズミのようです。ネズミも人の気配がすると隅っこにじっとしていると母から聞きました。今はネズミはいませんが、昔の家には現われたようです。
小さなネズミがちょこちょこ出てくると、やっつけようと箒を手にした途端にタンスの隅っこに入り込み、こっちが諦めるまで出てこないとか。そしていつのまにかいなくなる・・・
動物も必死です。人間も必死です。家の中にそんなものがいたら困りますからね。

そんな話を思い出しながら、銅像のように微動だにしないキジを見ていました。
よくみると、メスではなくやはりオスのようです。羽の色が深い緑、しっぽも綺麗でした。

この白い雪の上に三本線の足あとが点々とついています。
母がこそっと庭の敷石の上に蒔いた米を目当てにやってきたのでしょう。
「スズメが可哀想だから、蒔いてやったのに来るのは椋鳥、スズメを追い払うから困ったもんだ」と母が話していましたが、このキジも餌の匂いに惹かれてやってきたのでしょうね。
足の悪い母は、自分で外に出てまで蒔くのは辛いので、玄関から身体を伸ばして敷石の上に米をブンっと放ります。それが出来ないときはわたしに頼みます。
母とわたしが蒔いたお米はその日のうちにすっかり無くなっています。

母が最初に蒔いた日はスズメもたくさん食べてくれたようです。
次の日、わたしが行くと母が興奮したように
「こっちの庭(米を蒔いた方ではなく母がいる居間の方の庭)の木にさっきまで沢山スズメが止まっていたんだよ。それもみんな母さんの方を向いて見ているんだよ」
と言うのでした。
(えっ、なんだか怖い・・・)と思ったのですが、なんだか喜んでいるような感じでしたので言わずにいました。

「今日は米をくれないのか、早くくれということなんだろなあ」と母は自分が蒔いた効果に満足していた様子です。
「なんでこっちの庭に蒔かないの? その方が来てくれて食べるところを見ることできるのに」と言うと
「いや、スズメは好きだけど食べた先からフンをまき散らすからこっちは駄目だよ」と答えました。確かに母にとって前の庭は綺麗にしておきたい場所なのです。白い雪の上にフンが蒔かれるのは気持ちのいいものではないでしょう。敷石のあるの場所は軒下にあるので雪が無いのです。

でも。
そのあと母が子供時代の話をして。スズメをざるにしかけをして捕って食べたって言うから、わたしもどでんびつくり(笑)。昔はそういうもんだったよ、とあっけらかんと言われました。
そうだったんだあ・・・あと何も言えませんでした。

朝ご飯

2018年02月24日 | ほんのすこし
朝ご飯です。
もう玉子にいろんなものを混ぜました。
炒め物の残りとか、ほうれん草とか、わかめとか。
おまけに味付けをカレーコンソメにしました。その理由が普段使っていないから使ってあげようという魂胆で。

まあ、使ってみてカレーの匂いはそんなに強くなくて。
ふんわり焼き上がったのがなぜか嬉しくて。そこが予想を裏切るほどで、やっぱ玉子って素敵って。

そう。玉子って素敵。
玉子があれば色々出来る。玉子さまさまです
何もせず、新鮮だったら玉子かけ御飯ができる。あとはお好み次第。

玉子って素敵。

この世に玉子があったことに感謝だあ・・・

タレまみれ(笑)

2018年02月24日 | ほんのすこし
食べてる途中で写したので。
イナダのお刺身、安いので。これをそのまま食べるというのはなんかなあって。
ということで最近はイナダのサクを買ってきて、ネギ塩だれを作ってかけています。このタレ、母が好きで野菜にもかけて食べているみたい。

元は娘に教わったレシピ。
ネギが美味しい時期に作るといいレシピ。ネギたっぷりでイナダの肴臭さが抜けて美味しい。
レモン(酢でも)がしめてくれるので、食べる直前に合わせるといい。

でも。
こんな風にタレがたっぷりで、イナダが泳いでいるようじゃ、ちょっとね~(笑)

半分食べてから写すわたしもわたしだわ。



Fragile - Sting, Chris Botti, Yo yo Ma & Dominic Miller

2018年02月24日 | ほんのすこし
Fragile - Sting, Chris Botti, Yo yo Ma & Dominic Miller


新しい車になって一番嬉しかったのは、音楽を取り込めることです。
一枚一枚CDを出し入れすることをせずに、一度CDを入れてコピーさえすれば後はCDを車に常備しなくても済むという。
初めはそんなこと出来るとは思ってもいず、暖房が効かないということで修理に出したら、車に入れていた15枚ほどのCDを全部取り込んでくれていて、戻ってきました。

あら~、そういうことが出来るの?
50GBの容量だとか。調べてみました。驚きました。かなりの量のCDを取り込めます。
早速昨日部屋にあるCDの中から入れたいものを出して車に。
懐かしいCDも沢山あります。それを一枚ずつ入れてコピーしていきます。でもまだ全部とはいきませんが。
その中に大好きなクリス・ボッティのCDも二枚。

昨日のことを思い出してネットで探してみました。
ありました!
わたしの好きな最強のメンバーがいました。
ドミニク・ミラーのギター、スティングの歌、クリス・ボッティのトランペット、ヨー・ヨー・マのチェロ。
なんて豪華な組み合わせなんでしょうかあ!!!!

フラジャイル、あれ?どこかで聞いたことがタイトル・・・ドラマにあったよね~。


夕暮れ

2018年02月23日 | ほんのすこし
今日はそんなにも綺麗じゃなかったけど、昨日の夕暮れがなんだかすごく気になって。
早めに母のところから戻ってきて、ふと窓を見たら、空が綺麗だなあって。
慌ててスマホを手に踊り場に出てみた。
夕日を浴びて外の世界が眩しそうだ。

部屋に戻ってからも窓から写してみた。
夕暮れっていいなあ。
そう思えた。
いつも戻ればすぐにカーテンを引いてしまっていたけど。窓の外がどうなっているかなんて、ちっとも考えていなかった。
もう少し外を見ていたら、違う世界を見ることができたかもしれないのに。

早々と自分の世界に入り込んで、外の世界を遮断していた。そんな気がした。

わたしの日常は外の世界との繋がりが少ない。自分からそうしているんだな、きっと。もっと外に出ることをしたら、今年という年は変わるかもしれない。
見るものすべてが輝いているような、そんな日があってもいいし、出会える限りのものに感謝したくなる、そんな日があってもいい。
今日はそうだったかな。
今日はオリンピックのフィギュアスケートを観戦したんだった。ずっと母とふたり応援していた。こんな時間を持てることに感謝したい。こういう生活をさせてもらっていることに感謝したい。

わたしが生かされたこと、すでに10数年も月日が経っている。その間、わたしはちっとも成長していないし、後退しているかもしれない。いつも反省だらけの日々を過ごしている。
でも、こうして生きていることが嬉しい。子供達がそれぞれの人生に向かって苦しみつつも前に進んでいる(と思っている)ことが嬉しい。
母が病気を抱えつつも自分の家で暮らすことが出来ていることが嬉しい。

小さなしあわせが沢山積もり積もって今に至る。
この夕暮れを与えてくれたことにも感謝。


メルマガで

2018年02月23日 | ほんのすこし
「がんばれ社長!今日のポイント」(武沢 信行)というメールマガジンを購読して早10年は経っている。
毎週金曜日は雑感を書いているのだけど、今日の雑感の中で気になるものがあった。

※※※

■今週の雑感「リーダーの器、親の器とは」

最近、ある方と話していて「器」(うつわ)とはなにかを深く考えさせられた。その方は「しつもん」を中心にコーチングされている方で経験も実績もたくさんある。仮に氏の名前を A さんとしておこう。

A さん曰く、「部下は上司の器を超えられないし、子は親の器を超えられないことが多い」という。そんなバカな、それじゃ人類の進歩発展に逆行するじゃないか、と思った。しかし、続きがあった。
「高圧的で指示命令が大好きな上司や親の場合はそうなる」というのだ。指示命令ばかり与えていると、自分以下の人間しかつくれない。
自分を超える部下や子を育てたかったら、指示命令オンリーのリーダーシップを変えねばならない。その際に効果的なのがコーチングのメソッドであり、質問の技術を磨くことだという。

いつも頼りになる上司(親)でいたいために、答えを先に与えてしまっていないだろうか。その結果、考えない部下や子どもをつくってしまうことになる。
「うちの部下(子)は頼りない」という人ほど、自らが周囲に限界をつくらせてしまっているのではないかと A 氏。

※※※

特に最後の文面が気になった。
「うちの部下は頼りない」とか「駄目だ」と訪問客に話す上司は、そう話すことによって自分の会社の弱さを露呈しているようなものではないか。
身内を下に見下げた発言をするのは、悪癖だと思う。別に親バカになれという訳ではない。
正当な評価をすることが大事だと思う。
そして自分が自分が、となんでも先にやってしまったり、やることを決めてしまったりすることが果たして成長を促すことになるのかとも思う。言われたことをやるだけでは指示待ち人間を作るだけになるし、「駄目だ」と否定ばかりしていては人も育たない。

でも、案外こうした上に立ったらその位置にしがみついて人を育てることを忘れている上司というものは多いような気がする。いつかは自分を越えていく人間が現われることへの不安がそうさせるのか、裏返せば自信の無さが部下の新鮮な考えを拒むのか。
とにかく、上の者がいつまでたっても自分を変えない限り、企業の成長は人間を育てることと同様、伸びていかないのではないかと最近つくづく思う出来事があった。
トップが変わるか、トップを替えるか・・・逆に下につく者の意識も変えなければ、指示待ち人間だらけになってしまう気がする。


竹内智香さん、素敵です

2018年02月22日 | ほんのすこし
初めて知りました。この記事で。

竹内智香は「人として」金を目指す

朝から竹内さんの生き方に触れることが出来て、今日は嬉しい日になりました。
オリンピックがなければ知ることもなかった気がします。今回のオリンピックでは本当に色々なアスリートの方の生き様や考え方、スポーツに挑む姿勢に考えさせられるものがありました。
自分はちっとも成長できていないし、何も出来ずにいるし、自分を見るとがっくりしてしまうのですが、何もしてこなかったから反省や後悔が多いのだなと。
明日へ明日へと先延ばしにしてきたことも多かったし、動かないことのいいわけも沢山してきた気がします。

アスリートとは全然違うわたしですが、その姿勢に学ぶものは多いなと。
少しずつ春に向けて身体を動かさないと。
やりたいことに対して尻込みしないで何が出来るかを考えていかなくては。

食べ過ぎました

2018年02月22日 | ほんのすこし
あぁ、食べ過ぎました。
食べられると思ってよそったのに。
最近、食べる量を考えて器に入れようと思っています。残すのがもったいないからとお腹が苦しくなっても平らげてしまう癖があるのです。そこを何度も最近母に忠告されていたのです。
「もったいないという気持ちを捨てなさい」と。

特に体重増加で身体に肉がつきすぎていると指摘されることが多くて。それに対し何も反論できずにいるわたしです。
だから、食事の準備をするときは盛り付けにすご~く気をつけているつもりなのに。
また、食べ過ぎてしまいました。
反省が生きていない証拠だわ。

といっても、鶏ハムは冷凍しておいたものだけどしっとりして美味しかったし。
ワラビの炒め煮もうまく出来ていたし。長いもとタラコのコンビは絶妙だったし。
栗御飯は栗御飯の炊き込みごはん用を使ったのだけど、ちょうどいい味付けで良かったし。
ということは、サラダが多かったのかしら。
今度はもう少し盛り付けを少なめにしよう。

お昼近くになってもお腹がすいてこないよ。
食事って大事だなあ・・・
晩ご飯、なんにしようかなあ・・・

あぁ、まだお腹がいっぱいだあ。