漫画は子供の頃からの友だちだった。
小学生の時、お小遣いをもらうと大通りに面していた銭湯の隣にあった貸本屋に通った。あの頃の貸本は紙が厚くて、今のようなペラペラの紙じゃなかった。その貸本は雑貨屋?米屋? みたいな中の一角に置かれていて、そこの店番をしていたのがお爺さんだった。毎回、お小遣いを握りしめ借りに行く。おじいさんはすでに顔なじみになったわたしが行くと
「新しいのが入ったよ」と教えてくれるのだった。
一冊10円だったか5円だったか。いくらだったかも忘れてしまうほど遠い昔のことだ。
そして昔の漫画は線が太くて絵が粗く、今のように凝った絵などではなかった気がする。それでも夢中になって読んだのは何故だったろう。
今のように世の中に溢れるほどの情報が散乱しているわけではなかった時代だ。田舎の小さい町で触れることができる未知の世界、それを少し垣間見ることができる歓びを味わっていたのだろうか。
あの頃読んだ本にどんなものがあったのか、それすら忘れてしまった。忘却とは忘れ去るものなり・・・(笑)
そんな漫画と親しかったわたし、次にかなり親しくなっていくのは『週刊マーガレット』『りぼん』といういわゆる少女漫画の類いだ。貧乏だった我が家には漫画を買う余裕なんてなかったはず。でもわたしは読むことができた。それがわたしの少女時代の唯一の自慢だ。
その当時、母の妹が我が家で一緒に生活していた。叔母は同じ町で勤めていたので、わたしに毎回発売される少女漫画雑誌を買ってくれたのだ。わたしはむさぼるように読んだ。そしてわたしが読んだ漫画を叔母も楽しんだ。
わたしが漫画好きになったのは叔母の影響も多大にある。あの頃叔母が買ってくれなかったら、友人たちがこぞって読んだ本を読むことが出来なかっただろうし、図書館の本だけで我慢していただろう。
わたしの漫画好きは大人になっても続いた。
自分で働くようになっても結婚して家庭を持っても。
でも、10数年前のあるときからきっぱり漫画とは手を切ってしまった。
倒れて意識を失い、救急車で運ばれすぐに緊急手術。助かっても後遺症が残る確率三分の二と医者に思われていたわたしがこうして何事もなかったように生きている。
そしてその後の生活の激変。
わたしは好きなものを絶とうと思った。それが漫画だった。あれほどあった単行本も買い取り業者にお願いした。そのときの金額二万いくらは数年使わずに取って置いた。なんだか使えなかったのだ。そのお金を見て自分を戒める気持ちだったように思う。
それが、ここ数年で変化した。読みたい本が出てきたのだ。槇村さとるの『REAL CLOTHS』、友人が貸してくれた『重版 出来!』と読むことで漫画熱が出てきた。
だからといってずっと漫画を読んでいるわけではない。滅多に読まないが、最近またすごく気になる漫画が出てきた。石塚真一の『BLUE GIANT』がそれだ。何気なく本屋で手にして、それがジャズプレイヤーとして歩む青年の話だという帯の説明に心が動いた。絵で演奏をどう表現するのか、そのことに惹かれたのだ。以前読んだ小説『蜜蜂と遠雷』ではクラシックのピアノ演奏を文字の世界で縦横無尽に表現していて在る意味ひどくショックを覚えたが、今度は漫画の世界で音楽を表現するのか? どうやって? それがとても気になった。
まず一冊買ってみた。読んだ。
う~ん・・・
なんで残りも買ってこなかったんだ!
ってその夜思ったよ。
続きが気になって眠れなくなるんだ。
次の日、慌てて本屋に飛び込んだ。もう最後まで大人買い(笑)。
10巻あったけど、もう夢中だったね。あっという間に読破。しかもその次の『BLIUE GIANT SUPREME』も発売されていることに気づいて。またあろうことか1巻だけ買ってきた。
バカだな、なんで3巻まで買わなかったんだよ。夜中に地団駄踏んだ。悔しい、自分の愚かさを呪ったね。
次の日、気もそぞろで本屋に飛び込んだ。
あぁ、続きが読みたい。3巻を読んでこの続きが知りたいと思った。帰省していた息子が合間に「まだ読んでいなかったから」と言って読み始めていた。やはりはまった。
「これ、面白すぎる!」「でしょでしょ!」ふたりで興奮状態だった。
今も雑誌で掲載されているという。でも雑誌は買わない。読みたいものだけ読む、そのスタンスのわたしには雑誌は合わない。早く4巻が発売されないかな。
今からわくわくなのだ。
それにしても、漫画の技術というか絵は格段に違っているんだなと思う。その作家にもよるだろうけど、昔の貸本屋にあった漫画の絵とは格段の差があるなと思う。でもあれはあれで味があって良かった。今のようにパソコンもなかったから、手書きでどこまで描き込めるか、絵に粗さが見られるとこの作家さんどうしちゃったんだろ、なんてちょっと心配したりしたものだ。
漫画がわたしの成長過程に大いに影響を与えたということは否めない。小学校のときは漫画家になりたい! なんてちょっと思ったりしたものだ。ちょっとだけね(笑)
今後も読みたい漫画が出たら読む、それが今のわたしにふさわしい。
小学生の時、お小遣いをもらうと大通りに面していた銭湯の隣にあった貸本屋に通った。あの頃の貸本は紙が厚くて、今のようなペラペラの紙じゃなかった。その貸本は雑貨屋?米屋? みたいな中の一角に置かれていて、そこの店番をしていたのがお爺さんだった。毎回、お小遣いを握りしめ借りに行く。おじいさんはすでに顔なじみになったわたしが行くと
「新しいのが入ったよ」と教えてくれるのだった。
一冊10円だったか5円だったか。いくらだったかも忘れてしまうほど遠い昔のことだ。
そして昔の漫画は線が太くて絵が粗く、今のように凝った絵などではなかった気がする。それでも夢中になって読んだのは何故だったろう。
今のように世の中に溢れるほどの情報が散乱しているわけではなかった時代だ。田舎の小さい町で触れることができる未知の世界、それを少し垣間見ることができる歓びを味わっていたのだろうか。
あの頃読んだ本にどんなものがあったのか、それすら忘れてしまった。忘却とは忘れ去るものなり・・・(笑)
そんな漫画と親しかったわたし、次にかなり親しくなっていくのは『週刊マーガレット』『りぼん』といういわゆる少女漫画の類いだ。貧乏だった我が家には漫画を買う余裕なんてなかったはず。でもわたしは読むことができた。それがわたしの少女時代の唯一の自慢だ。
その当時、母の妹が我が家で一緒に生活していた。叔母は同じ町で勤めていたので、わたしに毎回発売される少女漫画雑誌を買ってくれたのだ。わたしはむさぼるように読んだ。そしてわたしが読んだ漫画を叔母も楽しんだ。
わたしが漫画好きになったのは叔母の影響も多大にある。あの頃叔母が買ってくれなかったら、友人たちがこぞって読んだ本を読むことが出来なかっただろうし、図書館の本だけで我慢していただろう。
わたしの漫画好きは大人になっても続いた。
自分で働くようになっても結婚して家庭を持っても。
でも、10数年前のあるときからきっぱり漫画とは手を切ってしまった。
倒れて意識を失い、救急車で運ばれすぐに緊急手術。助かっても後遺症が残る確率三分の二と医者に思われていたわたしがこうして何事もなかったように生きている。
そしてその後の生活の激変。
わたしは好きなものを絶とうと思った。それが漫画だった。あれほどあった単行本も買い取り業者にお願いした。そのときの金額二万いくらは数年使わずに取って置いた。なんだか使えなかったのだ。そのお金を見て自分を戒める気持ちだったように思う。
それが、ここ数年で変化した。読みたい本が出てきたのだ。槇村さとるの『REAL CLOTHS』、友人が貸してくれた『重版 出来!』と読むことで漫画熱が出てきた。
だからといってずっと漫画を読んでいるわけではない。滅多に読まないが、最近またすごく気になる漫画が出てきた。石塚真一の『BLUE GIANT』がそれだ。何気なく本屋で手にして、それがジャズプレイヤーとして歩む青年の話だという帯の説明に心が動いた。絵で演奏をどう表現するのか、そのことに惹かれたのだ。以前読んだ小説『蜜蜂と遠雷』ではクラシックのピアノ演奏を文字の世界で縦横無尽に表現していて在る意味ひどくショックを覚えたが、今度は漫画の世界で音楽を表現するのか? どうやって? それがとても気になった。
まず一冊買ってみた。読んだ。
う~ん・・・
なんで残りも買ってこなかったんだ!
ってその夜思ったよ。
続きが気になって眠れなくなるんだ。
次の日、慌てて本屋に飛び込んだ。もう最後まで大人買い(笑)。
10巻あったけど、もう夢中だったね。あっという間に読破。しかもその次の『BLIUE GIANT SUPREME』も発売されていることに気づいて。またあろうことか1巻だけ買ってきた。
バカだな、なんで3巻まで買わなかったんだよ。夜中に地団駄踏んだ。悔しい、自分の愚かさを呪ったね。
次の日、気もそぞろで本屋に飛び込んだ。
あぁ、続きが読みたい。3巻を読んでこの続きが知りたいと思った。帰省していた息子が合間に「まだ読んでいなかったから」と言って読み始めていた。やはりはまった。
「これ、面白すぎる!」「でしょでしょ!」ふたりで興奮状態だった。
今も雑誌で掲載されているという。でも雑誌は買わない。読みたいものだけ読む、そのスタンスのわたしには雑誌は合わない。早く4巻が発売されないかな。
今からわくわくなのだ。
それにしても、漫画の技術というか絵は格段に違っているんだなと思う。その作家にもよるだろうけど、昔の貸本屋にあった漫画の絵とは格段の差があるなと思う。でもあれはあれで味があって良かった。今のようにパソコンもなかったから、手書きでどこまで描き込めるか、絵に粗さが見られるとこの作家さんどうしちゃったんだろ、なんてちょっと心配したりしたものだ。
漫画がわたしの成長過程に大いに影響を与えたということは否めない。小学校のときは漫画家になりたい! なんてちょっと思ったりしたものだ。ちょっとだけね(笑)
今後も読みたい漫画が出たら読む、それが今のわたしにふさわしい。