心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

秋の空は

2022年09月24日 | ほんのすこし

見上げる青い空。雲の形がさまざまで、広い空の一角を伸びるように広がる。高い山がない地元は空がとても広く感じる。北海道の広さにはかなわないけどね。

最近の空はとても美しい。

息子家族がしばらく滞在していった。台風と共にやってきて、帰りは台風に向かっていった。でもここでは台風の被害はなく、むしろ台風の影響なのか連日蒸し暑さで寝苦しかった。それなのに朝方は寒くて、寒暖の差に驚いていた。都会に住む人には驚く出来事だったかもしれない。「もう冬になるの?」と言われ、笑いながら「ここの冬はこんなもんじゃないから」と教えた。降り積もる雪の多さを少々大げさに教えたら、とてもびっくりされてしまった。

息子がテレワークしている間、お嫁さんと孫を外に連れ出した。車で20分ぐらいの町に大太鼓の館がある。昔むかしに行ったことがあったので、どうかなと思ったのだ。行ってみたら、9月いっぱいは無料。ちょうどいいところに行った。平日だったので、人もほとんどいない。でもそのせいか照明が暗くて、孫にはとても怖かったらしい。人形が並んでいるのを見て,尻込みしていた。

さーっと見て、外にある大きな遊具「ワンダーランド」という場所に行ってみた。これはとても喜んでくれた。

よくみるとずいぶん傷んでいるなあ(笑)

この遊具を独り占めできてたくさん遊んで、夜は爆睡したようだった。それにしても子供の元気さはすごい。ばあばは無理だなと思った。お母さんが一緒になって遊具で遊んでくれたので、満足しきりだったようだ。子供の遊びにつきあえるという能力は大事だ。若いだけではなく、彼女は産後の自分の体をしっかりと整えることに努力してきたらしい。背筋をピシッとして歩く様子は孫の手本になっていると思う。

わたしも見習わなくては!

ちょこっとでも体を動かす、数年後の自分が弱くならないように、ね。

1週間の四人体制の生活は、アップテンポで、普段とは違う感覚。あちこちちょこちょこ歩いて、自分では行かない場所にも行けて楽しかったなあ。

さよならの後は、ソファで横になってしまうというていたらくのわたしだが、少しの運動を忘れないようにしたい。あんなに暑かった日が何処へ行ったのか、三人が行ってしまったら、窓から入る風が冷たく感じるようになった。だあ~れもいなくなったぞ。だから余計に寒く感じるのかもしれない・・・

今日から残った食材を食べ尽くさなくては(笑) ますます太る!

 

 

 


ここがあって良かったと

2022年09月16日 | ほんのすこし

今朝、四時前から眠られなくなって、まだ起き出すには早すぎるなあ、と思い。

自分の過去記事を読み始めた。ここ一年半ぐらい前からの分を。更新がずいぶん途絶えていたなあとか思いつつ、それでも少しずつはアップしていたんだなって。数年前は結構ひんぱんにアップしていて、マウス画とか、ポエム?みたいなものも書いていた。

でも、一年前ぐらいの記事はほとんど母に関するものが多かった。読みながら、そういえばこういうことあったあった、可笑しかったよなあ、とか。そのときの母との会話や素振りが色あせることなく思い出された。

元気な母の姿を思い出すことができた。体調はずっとすぐれなかったけど、それでも庭仕事の監督をしたり、テレビを一緒に見たり、スポーツ観戦(テレビ)に興じたり、元気になれることは結構あった。そういうものを見つけることも上手な母だった。

思った。

ここに書いてきて、良かったなと。

ここがなかったら、書いてこなかったら、あの日の母の姿がこんなに鮮やかに浮かんでくることはなかったに違いないと。言葉に書いておくことの大切さを、改めて感じた。

gooに出会って、何度も挫折を味わって、もうこれで終わりにしようと何度も思ってきた。そのたびに、いや、待てよ、止めることはいつでもできる、放っておいたままでもいつか復活することができるんじゃないか? 終わりにしたら、これまで書いてきた言葉は消えてしまうよ(保存しておけばいいのだけど、いつからかそれもしていない)、もう少し後でもいいんじゃない? そういう気持ちが残ってここまできたのだった。

だから、今は、あのとき退会しなくて良かったと思える。これから先も沈下することはあるだろうけど、これまで書いてきたことの中に在る「わたしの思い」が読み返すたびに蘇るだろうから。

キュートな母の言動、弥次喜多道中みたいなふたりのこと、こども達の結婚のこと、今同じように書けるとは思えない。そのときどきの一瞬一瞬を切り取っているから、胸に蘇るのだ。

これから、どんな言葉をここに書いていけるのか。未来はわからないけど、未来の自分が読み返したときに、ここがあって良かったと思える自分がいてほしい。

 


探す

2022年09月14日 | ほんのすこし

一人暮らしは今に始まったことではない。すでにアパートで16年は過ごしていた。

だから逆に一人で生活することには慣れていると思う。ただその16年間は一日の内で数時間は母と一緒にいる時間があったから、今のこの一日中ひとりの状況は違うといっていいだろう。そしてアパート住まいと一戸建てとの違いもある。

戸惑うことも多く、今は少しずつ与えられた状況を受け入れていくしかない。

これからどのくらい生きていくのか、自分に与えられた命はどの程度なのか、想像もつかないが、一日一日が前よりずっと惜しい時間だということはわかる。今はただぼーっとしていることが多いけど、自分がやること、やれることを探すことが今のわたしには必要だと思える。

母がいたときは、母に聞けばよかった。わたしがしたことについての批評や感想を聞くのも楽しかった。母はわたしが何かに挑戦することを喜ばしく思っていた。背中を押してくれていると感じることが多かった。それは何かをやろうとするときの大きな励みでもあった。

その励みをくれた人がいない今、わたしは自分を見失っている。わたしは何をしたいのか。これでいいのか。

探すことを忘れてはいないか。

人生という限りある日々をどう生きたか、どう生きていたか、振り返ったときに自分で自分の頭をなでてあげることができるか、今のわたしには遠く、果てしなく遠くにある自分の姿だ。

迷いの中で見えるものはあるだろうか。目指すものを探し出せるだろうか。

眠れない夜に暗闇に向かい手をさしのべ、何かを掴むことはできるのだろうか。掴みきれずに両手を握りしめて、手のぬくもりがあるだけでホッと胸をなでおろす。生きているんだな、わたしひとりが生きているんだな。離れていても心配してくれる人達はいる。だけど、毎日の暮らしはひとりだ。ひとりでしっかり地に足をつけて、「暮らしていく」こと、取捨選択すべきことが沢山ある。無駄を無くし、必要不可欠がなんであるかを知ること、これまで以上に家計を見つめ直すこと、生きていくためにこれまで自分がしてきた大いなる勘違いを軌道修正すべきだと、母が何度も懸念して言ってきたことを思い出す。

人は収入以上のものを求めてはいけない。あるものをいかに上手く使いこなすか、だと。

その点に関しては反省だらけだ。

最近見つけた言葉に、ネットでショッピングするときの注意があった。

「夜中に買い物をするな、判断能力が鈍っているから。欲しい! と思っても即クリックするな、次の日にもう一度考えると案外必要でないものが多い。」

・・・確かに・・・今までは「これ、ちょっといいかも」と思うと、後先考えずにクリックしていた。買っても使いこなせていないものも多かった。あるもので使えるのにわざわざ商品を買わなくても・・・という母の言葉を思い出す。

それを買うことで「作業をした、仕事をした」気になっていただけなのだ。

大いなる反省は日々出てくるだろう。ここに記しておくことにする。反省の中から何かが見えてくるやもしれない。

 

 


そうか、もういないのか・・・

2022年09月09日 | 母のこと

ここ数日、とてもいいお天気です。雲一つ無い青空と夕焼けの綺麗な日が続いています。

ずっと雨が降り続いていたり、じめじめと蒸し暑い日が続いたり、こんな青空が広がるなんて・・・思わず、「ねぇ、今日はいい空だよ」と言いかけて、ふと気がつくわたし。

そうか、もう、いないんだった。話しかける相手はもういないんだった。

話しかけても応えてくれる相手はもういないんだった。

入院したらもう帰ってこれなくなる、と頑固に言い張っていた母、その通りになってしまいました。ブログの更新をした後、13日のお墓参りを済ませて、お墓参りのことや知り合いから電話があったことを手紙に書いて、明日持っていこうと思っていました。本人に会えるわけではないけど。

14日の早朝、まだうつらうつらと眠りから覚めずにいたわたしの耳元でスマホが鳴りました。

「急いで来てください」という看護士の声にびっくりして飛び起きました。

最低限の身繕いをして病院に駆けつけると、すでに看護士の問いかけに応えず、心臓マッサージをしている様子。一体何十分続けていたのでしょうか。「0」の画面がふたたび波打つことはありませんでした。

最後の最後に声を聞きたかった。

前の日までだんだん食欲も出て来ていた様子(伝聞)だったのに、どうして?

どうして? どうして? 

でも、帰らない。頭はパニックでした。ひとりであれもこれもしなくてはならない。決めなければならないことだらけでした。父のときも弟のときも経験してきたはずなのに、全然思い出せませんでした。葬儀社を決め、家から一番近いところを選びました。急いで連絡しなければならない人たちにアポを。電話だけで一日が暮れ、葬儀社の方と段取りを決め、母のそばで一晩を過ごす。ふたりだけで暮らしてきたという現実がそこにはありました。ひとりぼっち、そんな時間が通り過ぎていき、次の日には母の兄弟家族が来てくれて、少しホッとしました。その次の日には湯灌(ゆかん)の間じゅう、母の実家の方達が付き添ってくれました。夕方にはこども達も到着。

ようやく、ひとりじゃないって思えました。誰かがいてくれるだけでなんて心強いのでしょう。

無事に母を送り出し、今は祭壇にお骨を。納骨は息子家族が来たときに、と思っています。毎日、遺影を見ながら手を合わせていると「もう少しなんとかできたんじゃないか」と思えてきます。後悔だけが残って、自分のふがいなさを思ってしまいます。

9月に入り、ようやく弔問客も落ち着き、役所の手続きやらも一通り終え、なんとなくぼんやりとした気持ちで、何をしたらいいのかとぼーっとしています。母のいた介護ベッドも引き取られ、一階は前よりずっと広くなってしまいました。わたしには広すぎるよ・・・

弔問客に、母がいつも行く美容院の先生がいました。新聞で見てびっくりして・・・と。遺影を見て

「わたし、〇〇さんのこととても尊敬していたんですよ。〇〇さんの考え方や生き方がすごく好きで、いつも話をするのが嬉しかったんですよ」と話してくれました。母も美容院に行くのをとても楽しみにしていたものです。

新居に入りたった二年、もっと一緒にいたかったなあ。

会いたくてももう会えないんだなあ。

※※※

冒頭の写真は、母が大好きな紫陽花、庭から切り取ってきたら、大きなお皿にそっと置いていました。そのときの写真です。