心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

嬉しいはずなのになんてこったな、日でした

2020年06月21日 | 母のこと
19日、待ちに待っていた退院。
午前中は病院も忙しいだろうと昼食後の午後二時に迎えに行く旨を伝えていた。当日の朝の天気予報をスマホで確認すると、あれ? なんだか雲行きが怪しい。午前中は曇り&晴れなのに、午後、それも二時から雨の予報。
でも、まあ少しぐらいの雨だったらいいか・・・
午前中は用足しでショッピングセンターに行き、送るものだったりの手配をし、最後に母の好物のおはぎと豆大福を購入。仏壇には旬のサクランボを購入。
叔母と昼食を取り、お迎えの時間までしばし休憩していた。まだ空は晴れている。
「この分だと天気予報ははずれるかもね」
「そうだね~」とふたりで顔を見合わせ笑う。

さて、時間も迫り、病院へ。コロナの影響で病室には入れないから、病棟エレベーターのホールで着替えを看護士さんに渡し、外出の用意が出来るのを待つ。ホールには外を見回せる大きな窓があり、そこからは郊外にある山が見える。夏には例年であれば山頂に作られた「大」の文字が大文字焼きとなってお盆の行事となる。初めは叔母と共に大の文字がくっきり見えるのを楽しんでいた。
が・・・見る見るうちに山の大の字が雲に隠れてしまい、ふもとまで雲が降りてくるのがわかった。その間、かなり短い時間だった。
気づいたときには雷と共にすごい音を立てて雨が落ちてきた。

母が着替えを済ませやってきたが、わたしは看護士さんから薬の説明を受けていて、その間ますます雨が強くなっていたようだ。全部終わり、玄関に向かっていると車に乗せるのが無理なほど。少し柔らぐのを待ち、ようやく母を車に乗せた。
「ひどい雨だね~。まさかこんな日になるとはね~」と三人とも口々に言った。でも、まだその後に続くアクシデントは予想もつかなかった。

母の家がある場所は住宅密集地。しかも母の家の前は私道で以前、集中豪雨があったときにわたしの車が半分水に浸かってしまうというひどい状態になった。
家に向かっている途中で、脇に田んぼがある道路をまっすぐ進む。すると、行き止まりになったところにある商店の前が水で溢れている。かなり深い。でも後ろに戻るのもまたどんどん水が溢れてくるようで戻れない。仕方がないので商店の前を曲がり母の家に向かう。でも少し行った先にある母の家に入る私道の前は前にもまして深い水量。
車がアラートを出した。
これは無理だ!
仕方が無いので、そのまま曲がらず前に進んだ。以前と同じ状況であれば、この道を進めば必ず水が無くなる。思ったとおり水が溜まっている場所は数メールだけ。先に行って道路端に車を止めた。
雨が止むのを待つしかないね。

せっかく退院してきたのに、自分の家のすぐ近くに来ているのに入れないというアクシデント。見る見るうちに母の顔色が悪くなっていくのがわかる。
我慢してもらうしかない。
何度も車から出て傘をさし、水の深さを確認しに行ったが、雨はそれから1時間も止まなかった。ようやく母の家のある私道に入れるようになったのは病院を出てから二時間半も経っていた。

それでも我が家に帰ってきたという安心感からか車で見た顔色の悪さは消えていった。
母の退院、と言う嬉しい出来事が落雷と共にやってきた短時間豪雨でもみくちゃにされてしまったのだった。

退院してもまだまだふらつきがあるし、頭のすっきり感がない母。わたしと叔母とふたりで様子見。
それでも土曜一日見守り、だんだん本人もしっかりしている気がする。今日はアパートに行っていいよとお墨付きをいただきこうして更新している。

今回のような退院も珍しいだろうな。というかこりごりなんだけど。そんな日のしかも雨が落ちる時間帯を退院時間に指定してしまったのは、誰あろうこのわたしだった・・・トホホ。

更新の間があいてしまいました

2020年06月18日 | ほんのすこし
しばらくパソコンに向かう時間がとれないままでした。
コメントありがとうございます。

母の様子。
今度の入院は先生も慎重にみているようで、点滴が取れてもまだ退院オーケーの連絡はありません。トイレに入って立つときにバランスを崩して尻餅をついたので、今はトイレに行くときにドアを少しだけ開けるようにお願いしていると伺いました。コロナの影響で病棟内に入れないので、どんな様子かを毎日伺って洗濯物をもらって帰ります。
看護士さんたちはこちらの質問にとても丁寧に答えてくれます。それだけでも安心感があります。

食事をとっているということですので、検査結果(貧血の数値など)によってはそろそろ退院の声も聞こえるかな? と思っているところです。
毎日、下着などの差し入れを持って行きますが、そのときに手紙とスマホで撮った画像を印刷して入れています。母の家の向かいに今、家を建てているところなので、その日々変化する様子や庭の花が満開の様子など、母が気になっているだろうと思うところをパチパチ写して印刷してみています。

テレビばかりよりも手紙と写真があれば、退屈しないようで、続けてよかったなと思っています。
家が建つ様子を間近で見る経験はなかなかないので、時間があれば叔母とふたりで大きな窓の前に座り、庭の植木の間から見える様子に見入っています。土台、基礎工事なんて見たこともなかったのですから、貴重な経験でした。今は外観がわかるようになっていて、どこにどの部屋があるのかがなんとなくわかります。
梅雨入りしましたが、天気が良く、作業もはかどっているようです。
さて、母が退院する頃にはどのくらい進捗しているかしら。母の顔を見るのが楽しみです。

コメントいただき本当にありがとうございました。ゆっくりお返事したいと思っていますが、借りている空き地に業者さんが車を入れる時間とわたしが入れる時間の兼ね合いやら病院に行く時間の段取りやらでなかなかパソコンのあるアパートでゆっくりできないでいます。今年はこんなふうにあたふたとした年になりそうです。
更新できないのなら、お休みしようかとも思いましたが、こんな風にちょこっと書けたら書いていこうかなと思います。


再入院

2020年06月07日 | 母のこと
しばらく更新できずにいました。パソコンに向かうことがずっと出来なかったのです。
先回の更新で母が入院したことを書きましたが、そのときの入院は案外早く退院できたのです。でも、退院した二日後から変化が現われ、日に日に症状が酷くなっていきました。症状というのは、食欲不振もですが、食事やトイレ、シャワーそのどの行動をとってもめまいや暗黒感や意識が薄れていく感じが出て来ました。でも、早めに体を横にさせると意識もはっきりとし、回復するのです。

でも、夜中にトイレに行くときはやはり注意が必要なので、わたしと叔母が母の様子を見ながら付き添いました。
でも、だんだん体力も弱くなるようで昨夜は母としてはしぶしぶといった感じがありましたが、それでも自信がなかったのかおむつをつけることを承知しました。自分の足でトイレに立っていくことやトイレから戻ってくることが出来るかどうか不安だったのだと思います。

叔母とふたりで母のそばに横になり、夜、様子を見ていました。
深夜、急に母が内容物を吐きました。慌ててタオルなどを用意しましたが(まさか吐くとは思っていなかったので)、最後に血の塊が出ていました。出したらスッキリしたのか寝入っていったようでした。
叔母とどうしようか思案しました。叔母は血が出るのはおかしいから救急に連れて行ったらどうかと言います。でも今の母の様子では起き上がって車に乗るのも車いすに座るのも無理があるように思えました。
少し様子を見ることにしました。

朝方、再度吐きました。やはり血の色のする吐瀉物でした。

今度は救急に電話して相談してみることにしました。
出てくださった方はわたしの心配に丁寧に答えてくれて、自分たちはお医者さんじゃないのでこうしなさいとか言えないけど、血を吐いたのなら診て貰ったほうがいいと思いますよと。そして救急車を呼ぶことも(これで二度目ですが)気にしなくてもいいのですよ、と言ってくれました。
すぐに救急搬送してもらいました。

重度の貧血になっていることで輸血の手配。
内視鏡では胃潰瘍が治癒しかかっている部分に本当に小さな亀裂があり、そこから少しずつ血が流れていたとのことでした。すぐに止血とクリップ。
しばらく食事なしの日々が続くそうです。ますます体力がなくなるだろうなと想像しています。でも、貧血の原因がわかったので、少しホッとしました。
救急車を呼ぶことは、とても悩みます。でも今回も呼んでよかったと思っています。

コメントいただきありがとうございます。母のことと共に別の大きなことがあって、毎日動き回っているため、なかなかコメント返せないでいました。時間がとれましたらまた皆さんのところを訪問させてくださいね。