心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

「人間 何か楽しみがあるっていいことだよ」

2011年05月23日 | ほんのすこし
「人間 何か楽しみがあるっていいことだよ」
母が言う。

最近 母にひとつ楽しみができたらしい。
15年ぐらい前に 母の妹が育てた花梨(かりん)をおすそわけだといって 数センチに伸びたものを持ってきてくれたそうだ。母はそれを鉢に植え 大事に大事に育ててきた。だが、これまで一度も花を咲かせてくれなかったという。すでに高さも1mは越えているように思える花梨。花を見るのを毎年心待ちにしてきたのだろう。
それが なんとここ数日で いくつかつぼみがついていた!赤い色がところどころに見える。
つぼみの数を探すのが楽しいらしい。

昨日は雨なのに、私を見送りながら 花梨の無事?を確かめていた。そして冒頭の言葉だ。
本当に嬉しそうに言っていた。

そうだね。何か毎日張り合いのあること、楽しみなことを見つけて生きる、それって大事だね。私が言う。
「そうだよね、母さんは楽しみを見つけるのが上手いものねぇ~」
まんざらでもないような顔で笑っていた母。
毎日 ひざの痛みと胸の苦しさと闘いながら 自分なりに工夫して生きている母の姿を見るたびに、この人が母であって良かったと思わずにいられない。

「人間 何か楽しみがあるっていいことだよ」
それはきっと人それぞれ楽しみが違うけど、何かを探そうとする気持ちがあるかどうかで毎日がハッピーかどうか変わってくるってことなんだろうね。
どんなことでも 自分の中にある受け止め方で物事は変化する というか 自分が変化するんだね。自分が変化するから周りも変化する・・・
良い言葉をありがとう。

「Spring」

2011年05月21日 | ほんのすこし
息子はイラストを描く。ここでもTシャツとかを紹介したことがあるけど。
大学卒業後 仕事で忙しく 絵を描くということから遠ざかっていたらしいが、また最近 時間を見つけて描き始めたらしい。
完成するとメールで見せてくれる。
おぉっ!できたかぁ~。今度はどんなのかな?
わくわくする。

今回のは「Spring」というタイトルがついていた。実際の大きさはB4かA3ぐらいだろうか?スケッチブックに描いていたのを携帯でパチリと写して 送ってくれた。
それをパソコンに転送し ワードでリサイズ。絵のみが出るようにして。ハガキ大とA4サイズに印刷してみた。結構ちゃんと印刷された。今度は厚い紙に色がよく出るように印刷。

ハガキ大のは手元にあったフレームにちょうどいい具合に納まった。それが冒頭の画像。

このイラスト、気に入っている。

わたしには無い感性。細かく描かれた花の間からあちこちに小人が顔をのぞかせている。
痛みに耐えるものへ 希望を忘れないでというメッセージがこめられているような気がする。動物たちの目が優しい。

数年前 ある人に「お前の絵は綺麗なだけで何もない」と言われたことを思い出す。そのときはショックだったが、わたしに欠けているものなのかもしれない。自分ではメッセージをこめたつもりで描いた絵でも 他の人には伝わらないとしたら、それは何の意味もないもの?
それでも 描きたいときに描く。描く行為で自分の中の自分を探す。そして言葉も同じく。書きたいから書く。書いた自分がそこにいるから。残されているから・・・だと思う。思いたい。
たとえ 誰かに否定されようと それはその人の見解。

息子の絵を見ながら、また描きたくなった。もうマウス画は無理だとしても。

ご近所さん

2011年05月14日 | ほんのすこし
実家のご近所さんのわんちゃん、リンちゃん。
以前は 3匹いたわんちゃんが 今はリンちゃんだけになってしまいました。最長老のヒロやロックはわたしの手作り本『ヒロ』のヒントになったわんちゃんでした。

リンちゃんは二度 子どもを産んでいます。でも 手元には1匹もいません。代わりに土手で見つけてお乳をあげていた猫のチビがいます。母性ってすごいなと思いました。犬でも猫でも命には変わりないんですね。捨てられていた3匹の子猫(生まれてまもない)を大事に見ていたそうです。新聞でも紹介されました。2匹はだれかにあげたようですが、最後に残ったのが真っ白の子猫でした。

今ではリンちゃんと同じくらいの大きさになっていて 車のボンネットでお昼寝するのが好きな猫ちゃんになりました。母がよく「おいで♪」というと、母の家にあがってくるそうです。チビちゃんは「おいで」という言葉が「あがってもいいよ」という意味だと理解しているみたいです。

ご近所さんですが、わたしがリンちゃんに声をかけたら そっぽを向かれました・・・がっくりして
「あっち向かれちゃった・・・」と母に言うと
「犬が苦手だってわかってるからだよ」とあっさり言われちゃいました。
ロックやヒロで慣れていたはずですが、やはり恐る恐るという気持ちがどこかにあるのでしょうね。わんちゃんは敏感なのだと思いました。わたしは リンちゃんの頭をなでることはできますが、抱っこするのはできないのです。リンちゃんの飼い主さんは子どものように接しています。リンちゃんも飼い主さんが大好きで 車のエンジンの音がすると見えなくてもわかるようです。いないときは こんなふうにずっと車庫のまえで通りを見ています。帰ってくるのを待っているんですね。

リンちゃんも年をとってきました。母がだんだん体がしんどくなってきたように。でも できるなら ふたりともまだまだ元気でいてほしいなと思うこのごろです。
そうそう、母がリンちゃんの絵を描いていました!それがリンちゃんの顔(表情)の雰囲気がとてもよく出ていて その絵はいい と弟に言われたらしいです。他の絵は笑われたのもあるらしいのですが、リンちゃんのだけは good!サインが出たようです。(しかし、弟よ、笑うなんて失礼だぞ)

母が絵を描いていた

2011年05月13日 | ほんのすこし
昨日 疲れて 夜の部をお休みしたので、母のところに行き、温泉行きを誘ってみた。喜んで行くというので ふたりでゆっくりゆっくり温泉につかってきた。いつもおなじみの可愛いYちゃん(年少?年中?)も後でやってきて わたしのお相手をしてくれた(笑)

Yちゃんはとてもシャボン玉作りが上手で 小さいもみじのような手で大きなシャボン玉を作る。できたシャボン玉を わたしの差し出す両手の平にそっと乗せる。そしてさらにまた作って・・・シャボン玉がたくさんくっついて・・・そんな他愛ないことをしながら 〈癒されているなぁ〉と感じる。小さい子と一緒に何かをしたり 話したり そんなことが今のわたしにはとても嬉しいものだとつくづく感じさせられた。

夕飯は久しぶりに 三人で。食べ終わってから 少し母の話を聞いていた。そのとき脇に何やら袋が。
「それ なんなの?」というと 母が
「おまえ 前にも見たよ」と。
紙袋の脇にあった大きなスケッチブックを出してきて、中を見せてくれた。
花が描かれていた。果物もあった。鉛筆だったり、色鉛筆だったり、中にはアクリル絵の具を使ったとみられるものもあった。
「この頃 暇なときに描いてるんだ」と。
「何回も手直ししてるよ。これなんかも」と 果物の絵を指差す母。
昨日の一大サプライズだねぇ♪まさかこんなに描いているとは思ってもいなかった。

変わったなぁ。前はこうして見せることなんかなかった。見せてといっても 自分の書いたものや絵を隠して見せなかった。今は なんだか素直に見せてくれる。
花が大好きな母。もっとたくさんの花を鉢を描いてほしい。
リュウマチで手も不自由だけど 長い時間をかけて描いているんだろう。最近はひざがガタガタで歩くのが辛そうだ。それでも必ず外に見送りに出てくる。

心配かけないようにしなくちゃ。母がまだまだたくさん絵を描けるように 見守ってあげなくちゃ。

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画像は 沈丁花。樹を切ってしまい 少し残った枝を挿したら そこから花が咲いたと教えてくれたので パチリ。

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狂い咲き?

2011年05月12日 | ほんのすこし
母の鉢植え。

冬にはなぜか咲かなかったシャコバサボテン。
二三日前に見たら なぜか一つ二つと花をつけていました。あれれ~って感じです。どうしちゃったのかな。花に聞いてもわかりませんね。

咲きたくなったから 咲いただけよ。

きっと こう応えてくれるでしょ。

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いつも来てくれる方がいて、いつもたくさんお話していくのですが、昨日 帰りがけに
「今日もここに来れてよかったぁ。ここはわたしのうつ防止のためにあるの」というようなことを話していかれました。
たわいない韓流ドラマの話や嵐のメンバーの話が主で 仕事場のメンバーの話がそれに加わりますが、聞いているわたしも色々なことを覚えます。とにかく物知りな方です。

その方が 以前 心療内科にかかったときのことを話していました。薬がとにかく多くて、しかも話を真剣に聞いてくれない とのこと。心療内科にはかかったことはありませんが、薬よりも話を聞いてくれることが一番必要なのかなと思ってしまいました。
だれでも寂しいときはあるし、不安なときはあります。わたしも漠然とした不安を感じるときがあります。そういうときの解消法をいくつか自分なりにつかまえておくこともいいなと思います。解消法はたくさんあった方がいいでしょうね。

友達とたわいない話をするのだって いいかもしれません。自分の話を聞いてくれる人がいるというだけで安心するのかもしれません。そのことを考えたときに わたしの子どもたちは恵まれているなぁと感じました。ふたりとも友達には不自由していないと思われるからです。親ではなく 友人、話を聞いてくれる友人がいる それのなんとありがたいことか。わたしにできないことを友人たちが補ってくれている そう思えます。

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最近 読んだ言葉で とても感動した言葉があります。
「人間は生まれて死ぬまで、どのくらいの言葉と出合うのでしょうか。おそらく無数・無限の言葉と出合います。
その中で、ある時、ストンと心に落ちる言葉がある。
心の土壌と、言葉の種がうまく合致した時、その言葉はその人の心の中で大きく成長し、その人の運命を招来する力となる。
そういう言葉をキャッチする心の力を 養っていきたいものです。」

言葉をキャッチする心の力かぁ・・・心が育っていないと それも響かないんだよね。どんなに周りでいいことを言っても 肝心の本人の心が閉ざされていると、扉の前ではじきとばされてしまう。言葉を受け止めれるだけの心の成長は 個々の成長の度合いによって違うから、それを見極めて 適切なときにストンと落ちる言葉を与えることができる人はすごいなと思う。

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今朝は 左ひざが痛む。湿気が多い日なのかな。昨日 特別なことしたっけ?たいしたことをしていないのにあちこちガタがくるようになると危ないな(笑)

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