昨日、久しぶりに知り合いが勤めているお店に顔を出した。前からお願いしていたバッグが入荷したので、見ませんか? との連絡があったのだ。そのバッグの話題は次の機会に。
今日は、その昨日のお店訪問で偶然出会った方のことを。
そこに行くといつも冷たい飲み物か温かい飲み物を勧めてくれる。最近少し涼しくなっていたので、言わなくても温かい珈琲を出してくれた。他の人が淹れてくれた珈琲は美味しいものだ。
温かいうちにご馳走になった。さて、品定めといこうか。
店内の品物を見ていると、私より年上の方が入店された。なにやら小さな紙袋を手にしていて、
「これ、みんなで食べて」と友人に渡した。「お皿二枚用意してね」と言われた友人は「お茶持ってきますね」と言った。
友人は空のお皿を二枚テーブルに置くと、紙袋から「鹿の子」を出してそこに入れ、緑茶を置いた。ここのお店の緑茶は色がとても良くて、美味しい。
商品を見ていたわたしに友人が「〇〇さん、食べて。あなたの分もあるのよ」と言った。一瞬、戸惑ったが、お昼がまだだったので、少しお腹がすいていたから、ご馳走になることにした。その方のことを友人は「先生」と呼んだ。なんでも友人が勤めている社長の恩師だそうだ。だから、先生なのか、合点がいった。
その先生と一緒に鹿の子を食べ、緑茶を飲み(珈琲をすでに飲んだにもかかわらず、わたしにはお茶がとても美味しかった)先生の話をあれこれと伺う時間が過ぎていった。
あれはなんの話から繋がったのだろうか・・・
先生はお茶の先生でもあるようで、その関係で着物を100着ぐらいは所持しているとか。そんなにあると処分するのに困りますよね~、なんて話していたら、「でもね、私は絶対一枚の着物だけは手放さないつもりなんですよ」と。
「あら、どうしてですか?」
「それはね、その着物、宮尾登美子さんから頂いたものだから」
「え?! あの、宮尾登美子さんですか?」つい大きな声を上げてしまったわたし。なぜ、どういう関係で?
我が地元の女子校(今は合併で無くなった)で宮尾登美子さんが講演をすることになり、そのときにお世話したのが先生の夫だとか。そして宮尾さんが十和田湖を見たいというので、案内人した夫、でも当日はかなり寒くなり、宮尾さんの着物だけでは寒すぎる。ということで急遽、自宅に寄り、先生の持っているショールやら羽織やらをあれこれ出して使っていただいたという。その縁でそれから宮尾先生とのおつきあいが続いたらしい。宮尾さんから大島紬の素晴らしい作品をいただいたが、それだけは手元に置いておくわ~と話していた。
宮尾先生が講談社の編集長と共に訊ねてきて、その方とも宮尾先生が亡くなった後でもおつきあいが続いていると。
丁寧な人づきあいをされてきた方なんだなあと思った。
さらに話を聞いていると、不遇な子供時代(ヤングケアラー)であったことや、夫の介護、両親の介護など長年やってきたこと、今はひとり暮らしだそうだ。その内容を聞くと、なんと壮絶な・・・と思わずにいられなかった。
私は「ボランティアに行ってるんですけど、先日、あるお年寄りの方がお弁当下げに行ったら、『わたし、今が一番幸せだあ!』って二回も言ったんですよ。(先生の方を向いて)今は、しあわせですか?」と唐突に訊ねた。
先生はちょっと言いよどんだけど、「しあわせなのかも。だって、だんなが亡くなったときに、あぁ、これで解放されるんだって思ったからね」と少し笑っていった。「じゃあ、もっと長生きしなくちゃ」とわたしも友人も笑った。
先生の夫は深刻な病気だったが、再発することの恐怖からお酒に溺れるようになり、手がつけられない状態になった。それが長く続いたのだそうだ。きっと宮尾さんと知り合った頃は旦那さんも優しくて元気だったのだろうな。いつまでもそうだったならいいのに、人生は紆余曲折だな・・・
悲喜こもごも、ご自分の体も歩くのが大変なほどなのに、まだ運転はしっかりしているらしい。話し方といい、コール&レスポンスのスピーディさといい、わたしよりずっと若さがあるなと思えた。
まだまだお話を聞きたかったが、頃合いというものもある。他のお客様が入ってくる前に私は先においとました。
友人のいるお店には、わたしより年配の方が多く行く。こんな風に自然にお話に花が咲くのも偶然がくれた喜び。走馬燈のように過ぎていく人生のほんの少しの時間を新しい誰かと過ごせたことに感謝したくなる。
ありがとう、先生(最後までお名前聞かずにいた)、長生きしてくださいね。
※ 宮尾登美子 ※